日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

雨後のガーデン

2012-07-12 10:46:50 | 庭 7月
備忘録です。

大きい雨でまた地植えの松葉ボタンコーナーに水溜り。かき出そうとしたけれど、水は低きに流れ、の当然で、まだ戻ってきた。我ながらやることが滑稽。

バーグマン(真紅のバラ)とヘンリー(黄バラ)の蕾も花びらの色を見せているが、開くのが雨の中でなくて良かった(ホッ)。

シソの植わっている間に植えたゼラニウム。周りのシソが大きく育って、日当たりがイマイチだった。で、周りのシソを抜いた。葉は乾燥させてシソ茶にしよう。
虫食いがあったゼラニウムの葉っぱも新旧交代して立派な葉ばかりになった。
すくっと茎を伸ばして朱の花びらを見せている様は、幾重にも層をなした緑のドレスを纏ったカルメンのよう。―――親バカならぬ、ガーティナー馬鹿です。
お前は、ここの一角をゼラニウムの森にするのだよ、と念じるあたり、このオーナーは欲が深い(苦笑)。

それにしても、自分で育てるってことは、こんなにも面白いものかと、このトシにして思っています。


メイン通路以外の通路は防草シートを敷いてから、レンガを飛び石状に置き、その間を砂利にしよう。今度のレンガは厚めだから、クワで掘る作業は大変だけれど、花壇より低い分その砂利部分をダムと考えよう。
花壇と花壇の間のいくつかも、深堀して砂利、というパターンの箇所を作れば、そこはダム(ミニため池)の役割を果たすハズだ。
敷地はそもそも道路より1.6メートル高いから、水はけが悪いことはない。急激な雨水でどこも水溜りにするのではなく、不都合ではない水溜りにする作戦だ。日照りに水分は貴重。排水する必要はない。ゆっくりと地中に浸透してくれれば一番の好都合だから。
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自殺した中学生 悲惨

2012-07-12 06:04:45 | 社会問題
死ぬ練習までさせられていたとは。
人に死ぬ練習をさせよう、とさせるココロというのは、なんだろう。
嫌悪か。
嫌悪だとしたら、距離を持てば済む、のに。
誰かを攻撃の対象にしたい心理か。
自分の中のムシャクシャのハケグチとして。

SOSをキャッチする大人社会がなかったことが情けない。
アンケート調査がなされていたそうだけれど、学校側はそのアンケートの取扱についても、外部との関係では、「守り」に入っている。
「守る」のは、自殺しなくてはならなかった少年、ではなく、「学校」という組織。

自殺前にも暴行やいやがらせはあったそうだけれど、見てみない振り。
許されない行為があっても、自浄作用が働かなくなっている。なんと!
「おい、どうした~健全な感覚を持った同級生たち、塾通いや勉強にそんなに忙しいか~」
と、声にならない声が出てきます。まさか、クラス全員が事なかれ主義ではあるまいに。

そして、教師側。
こんな仕打ちをされることの痛みを理解できないなんて、教師失格です。
―――アッハハ、ワタシに権限などないけれども。

そして、上層部や外部から求められるコメントでは責任逃れに終始。
「責任逃れ発言しか出来ない立場」
これは、残念だけれど想定内。
「少しでも責任を認めると損害賠償の対象となる」という事情が潜んでいるから、なんと言われようと、味気ないコメントに終始するしかないのです。
何でも損害賠償、という社会が、組織人をステレオタイプにしてしまうのです。

なんとも痛ましい話です。
形態はちがっても、今現在辛い中学生は、彼だけじゃないとも思う。
どうぞ、先生たち、彼らのSOSを受入れてください。



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