現在入院中の母のこれから。
充分高齢だから、もう充分、という思いは本人にある。
でも命はあるのだから、「一日一日を前向きに」なんていっても白々しい、か。
では、何がいいのか。
周りのものは、できることしかできない。
生きているということは、その人自身のもの。
母は、こうなったからには(自分の身の回りのことも不自由になったのだから)
「もう長男夫婦のいうことを聞くよりほかないから」
という言い方をする。
「本当はこうありたいのに、我慢するしかない」という底意が含まれている気がする。
「そうじゃないんだよ」とワタシの中に声にならない声。
「相手に、したくないことまでを強制はできないし、自分でもそうしたくないでしょ。依然と違って、社会の仕組みとして介護制度ができたのだから、それを利用して自分の「生きる」を全うするということができるようになったのだよ」と。
だから、
「自分で選択して介護施設で暮らすよ」と、きっぱりと言って欲しい、娘がいる。
そうしたら、家に戻りたいときは、長男夫婦も同意してくれるだろうし、私が連れて行ってもいいし、「それがいいんじゃない」とワタシは思っている。
多分その流れになるだろう。
で、
「もう長男夫婦のいうことを聞くよりほかないから」
のフレーズが出てくると、あ~あ、なのです。
いいじゃないの。
介護施設宛に絵ハガキを送るよ。
気軽に電話もできるようになるよ。
自分のお城が、施設の1室でいいじゃないの。
いっぱい絵や写真を飾って賑やかにもできるよ。
100歳まで、大丈夫だよ。
どんな生き方をするか、決めるのは自分。
年取ったからって、長男夫婦まかせじゃないんだよ。
さ、自分で決めた、と言ってほしい、ワタシです。
充分高齢だから、もう充分、という思いは本人にある。
でも命はあるのだから、「一日一日を前向きに」なんていっても白々しい、か。
では、何がいいのか。
周りのものは、できることしかできない。
生きているということは、その人自身のもの。
母は、こうなったからには(自分の身の回りのことも不自由になったのだから)
「もう長男夫婦のいうことを聞くよりほかないから」
という言い方をする。
「本当はこうありたいのに、我慢するしかない」という底意が含まれている気がする。
「そうじゃないんだよ」とワタシの中に声にならない声。
「相手に、したくないことまでを強制はできないし、自分でもそうしたくないでしょ。依然と違って、社会の仕組みとして介護制度ができたのだから、それを利用して自分の「生きる」を全うするということができるようになったのだよ」と。
だから、
「自分で選択して介護施設で暮らすよ」と、きっぱりと言って欲しい、娘がいる。
そうしたら、家に戻りたいときは、長男夫婦も同意してくれるだろうし、私が連れて行ってもいいし、「それがいいんじゃない」とワタシは思っている。
多分その流れになるだろう。
で、
「もう長男夫婦のいうことを聞くよりほかないから」
のフレーズが出てくると、あ~あ、なのです。
いいじゃないの。
介護施設宛に絵ハガキを送るよ。
気軽に電話もできるようになるよ。
自分のお城が、施設の1室でいいじゃないの。
いっぱい絵や写真を飾って賑やかにもできるよ。
100歳まで、大丈夫だよ。
どんな生き方をするか、決めるのは自分。
年取ったからって、長男夫婦まかせじゃないんだよ。
さ、自分で決めた、と言ってほしい、ワタシです。