日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

内村鑑三「後世への最大遺物」を読んだ。

2012-07-17 07:39:59 | 
内村鑑三は、新渡戸稲造などと並んで覚えた人です。クラーク博士の時代に札幌農学校で学び、その後渡米してアメリカの大学教育を受けた人です。
開化期につづく時代の啓蒙者のひとりという漠然としたイメージでした。

「後世への最大遺物」と言うのは、講演録を活字に書き起こしたものです。
今、30代の若い学究の講演があっても60代の私がが聞きにいくこともないでしょう。
でも、活字になったその短編は、ココロに残りました。
財をなしてこの世に生きた証を証明したいと思う人がいるだろう。
または、事業を起こして、自分の功績を後世に残したいとおもう人もいよう。
それぞれ、真剣に自分に与えられた一生を生き抜こうとする。
で、自分の場合は、財産を貯める才能も事業を起こす才能もひとよりあるとは思えない。
もうひとつ、ものの考え方を人に伝えるという形で、後世に残せるのではないだろうか。という運びです。
聴衆も若いでしょうし、蓄財も名誉欲を否定しているわけではありません。
文明開化から日が浅く、例えば、クロムエルを英雄視したり(彼はアイルランドで大殺戮をした人物という情報を知らなかったのでしょう)、恋話の源氏物語を腐したり、荒削りではあり、片目をつぶって読み進める部分もないわけではありますが、
経済に傾きすぎている昨今、どう評価されるかに知恵を使っているような現代に、一滴の清水のように思えました。
彼の言わんとすることを私が正確に捉えていないかも知れません。
でも、蓄財で証をたてる、とか大事業で錦を飾るは自分の得てとするところではないので、と言い切って、もうひとつの道で自分は後世に残るものを、といっている30代って、目から鱗を聴衆に与えただろうと思いました。
彼の話を聞きに集まった人々に向けて語られているので、大衆むけではないかも知れません。
連合いに、「良かった」と読後感を伝えたら、「ボクは随分前からそう思っているよ。今頃わかったか」と。
短編だし、以前にも読んでいるハズだけれど、今の私に、イヤにストンときて、掌に転がしています。
勿論、自分なりの解釈で、ですが。





コメント
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