日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

またまた見つけた、素敵なコラム。 日経新聞「哲おじさんと学くん」永井均 筆

2013-06-09 10:47:57 | 
最近は、新聞の拾い読みも甚だしく少なくなった私でしたが、今日出くわしたコラム、引き込まれました。

タイトル「哲おじさんと学くん」

第5話 自分が感じた問題を考える

冒頭部分引用

哲:人は大人になって社会に出ると、限定された見地にしか立てない子供になる。むしろ子供の方が無限定な見地から世の中を見ることができる大人でありうる。こういう逆説がもし成り立つなら、さらに超-無限定な見地から世界そのものを見ることができるような超-大人=超-子供というものも考えられることになるわけだ。

学:以下略

これだけ引用しただけでは、コラムの風格は伝わってこないだろうけれど、こんな新聞コラムを読んでいる人が、世間に多々いるのかと思うとうれしくなった。

またまた、バックナンバーを読めないかと(※)Web検索すると、全部ではないけれど、読めそうです。そして感想を書いているブログもあったりして、うれしいものです。

(※)あいにく昨日、古新聞を回収に出してしまった。
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追記あり。川口マーン恵美著「サービスできないドイツ人、主張できない日本人」を読む

2013-06-09 10:34:16 | 
著者は大阪生まれ。ピアノ専攻でドイツの大学院に留学、その後ドイツ人と結婚、3人の女の子を育てている女性。
日本人とドイツ人の比較文化エッセイです。

この手の本は殆ど読んだことはなかったのですが、彼女の視点についつい惹きこまれていきました。食べることを楽しむ日本人と、きちんと片付いていることが優先で、簡素な食生活のドイツ人。夜の食事に火を使わない(敵の襲来を用心して)風習すらあるというのも、耳あたらしい。

教育についてもまったく違う。4年生終了時に、3つの進路から選択する。知的職業コース(A)。事務職等(銀行員なども)のコース(B)。職人コース(C)。最近は、職人の子供であっても(A)コースを望むものが増え、(C)コースは、教育に無関心な家庭の子や、移民の子たちで占められ、そんな学校ではドイツ人がいじめられる側だとか。
小、中9年間、同じ教育を受けられる日本のシステムがどれほど子供たちにとって優れているか、と綴っている。
教師は授業をするという役割にかぎられており、クラスの友好を深めるという時間がない。教師と生徒の間は真に点数をつける立場と付けられる立場、という殺伐とした関係だと。
外国語の習得についての違いも、なかなか納得いった。
外国語は使うためのものだけれど、日本では明治以来、使う必要もなく、教養のシンボルであったため、会話力を重要視されていなかった。ドイツでは外国語の授業は高校までで終わり、大学段階では、英語で講義されても理解できるという扱いとのこと。日本語の特殊性に絡んでも記述がある。このことについても両国での生活体験者だからの説得力のある話題に引き込まれる。

終章の印象に残った文を引用しておく。

「自国の国益を主張できない国は、決して信用されない。経済援助ばかりでは、他国を思いやり、紛争の仲介をし、指導力を発揮できる国にはなれない。今の日本には、この能力が一番欠けている。」

背筋のすっきりした女性だな、と思う。
とかく、援助は国益の下心が入ってはならぬと非難する風潮が、この国にはあるように思う。
この文章の骨太さに、彼女の視線の深さを思う。
グローバル化された現代社会は、国益優先の首脳陣相手の交渉を避けてはいられないのだから、と。

追記
彼女について検索したら、連載でこんなコラムが読めます。
「シュツットガルト通信」いくつか、読みました。私のWeb上の立ち寄りどころが、ひとつ増えました。
素敵な文章を書く魅力的な人に出会えてうれしかった。



コメント (8)
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