またも、川口さんの本を読みました。
1997年11月に出版された本です。
ちなみに川口さんは
1956年生まれ。
1982年旧西ドイツのシュツットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科に入学。
1985年2月卒業。
同年8月ドイツ人と結婚。3人の女の子をドイツで育てていらっしゃいます。
この本の出版時点で41歳。
結婚して12年目です。
個人情報暴露みたいですが、ドイツ滞在期間や、国際結婚して何年目の思い、というのも、内容理解の要ではないと思うのでカバーの記載を書き留めました。
彼女は国籍は今も日本国であり、本の中にも自分は日本人だ、という表現が出てきます。今の日本の戸籍法では、出生主義の国で生まれた子供の二重国籍が認められているので、子供たちは将来どちらかを選択するという境遇です。
ドイツで暮らしている外国人は、ドイツ国籍を入手したがるのが普通なのに、どちらでも特に不便ではないという日本人である自分は恵まれている、と。
ドイツには外国人は人口の8パーセント。もっとも多いのはトルコ人で、戦後の人手不足の際に多くの移民を労働力として求めたその結果だ、とのこと。ドイツ社会では、ドイツ人がしたがらない仕事をトルコ人が担っており、生活していく上でのトルコ人とドイツ人との融合はなく、住み分けができている、と。
彼女の暮らす町では、いつも自分はアジア人であり、違和感がある生活が、それが自分の日常になっている。
だから、成田空港に着いたとたんにほっとする自分がわかる。自分も周りと一緒。誰も自分を注視しない。自分が透明人間になったような感覚だとも。
ピアノの教師をしているから、ドイツの子供たちとの接点もあるし、日常会話には不自由なく暮らしているけれど、でも「考えるのは日本語」。
子供が押さないときは、是非バイリンガルにと意気込んだけれど、バイリンガルであることよりも、人は血肉となっている言葉で思考する。深い思考するための充分な言葉の習得が2ヶ国語で可能か、と迷い、バイリンガル教育もあきらめる。
日常生活必要言語がいくつもできるよりも、人格を高めるためのアイテムとしての言語の大切さを思うのです。
彼女は読書家です。ドイツ語で読むこともOKなのですが、小説世界に浸るときは日本語で、とのこと。
本の世界を楽しんでいる自分を夫には説明できない。普段の生活には不便はないのですが、そんな時の国際結婚の夫と共有できない世界があることを自覚しています。
終章で、60代の日本文化に詳しいホームドクターとの交流が興味深い。
博識のドクターが見た日本体験話。ドイツ人から日本がどのように見えるか、
えっ、そんなに!
そのひとつひとつが、ドイツに暮らす彼女の日本へのエールのように思える。
内容によると、しばしば日本に来られているようですが、郷愁切々、も垣間見られます。
ふふふ。
きっと、今もシュツットガルトでの日本紹介のスポークスマン役を果たしていらっしゃいますよ。
素敵な方でした。
1997年11月に出版された本です。
ちなみに川口さんは
1956年生まれ。
1982年旧西ドイツのシュツットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科に入学。
1985年2月卒業。
同年8月ドイツ人と結婚。3人の女の子をドイツで育てていらっしゃいます。
この本の出版時点で41歳。
結婚して12年目です。
個人情報暴露みたいですが、ドイツ滞在期間や、国際結婚して何年目の思い、というのも、内容理解の要ではないと思うのでカバーの記載を書き留めました。
彼女は国籍は今も日本国であり、本の中にも自分は日本人だ、という表現が出てきます。今の日本の戸籍法では、出生主義の国で生まれた子供の二重国籍が認められているので、子供たちは将来どちらかを選択するという境遇です。
ドイツで暮らしている外国人は、ドイツ国籍を入手したがるのが普通なのに、どちらでも特に不便ではないという日本人である自分は恵まれている、と。
ドイツには外国人は人口の8パーセント。もっとも多いのはトルコ人で、戦後の人手不足の際に多くの移民を労働力として求めたその結果だ、とのこと。ドイツ社会では、ドイツ人がしたがらない仕事をトルコ人が担っており、生活していく上でのトルコ人とドイツ人との融合はなく、住み分けができている、と。
彼女の暮らす町では、いつも自分はアジア人であり、違和感がある生活が、それが自分の日常になっている。
だから、成田空港に着いたとたんにほっとする自分がわかる。自分も周りと一緒。誰も自分を注視しない。自分が透明人間になったような感覚だとも。
ピアノの教師をしているから、ドイツの子供たちとの接点もあるし、日常会話には不自由なく暮らしているけれど、でも「考えるのは日本語」。
子供が押さないときは、是非バイリンガルにと意気込んだけれど、バイリンガルであることよりも、人は血肉となっている言葉で思考する。深い思考するための充分な言葉の習得が2ヶ国語で可能か、と迷い、バイリンガル教育もあきらめる。
日常生活必要言語がいくつもできるよりも、人格を高めるためのアイテムとしての言語の大切さを思うのです。
彼女は読書家です。ドイツ語で読むこともOKなのですが、小説世界に浸るときは日本語で、とのこと。
本の世界を楽しんでいる自分を夫には説明できない。普段の生活には不便はないのですが、そんな時の国際結婚の夫と共有できない世界があることを自覚しています。
終章で、60代の日本文化に詳しいホームドクターとの交流が興味深い。
博識のドクターが見た日本体験話。ドイツ人から日本がどのように見えるか、
えっ、そんなに!
そのひとつひとつが、ドイツに暮らす彼女の日本へのエールのように思える。
内容によると、しばしば日本に来られているようですが、郷愁切々、も垣間見られます。
ふふふ。
きっと、今もシュツットガルトでの日本紹介のスポークスマン役を果たしていらっしゃいますよ。
素敵な方でした。