こんな話。
昨日「片付けられない」という話をしていた。
結婚するときに親に買ってもらったタンスに入っている和服をどうしよう、と。
きっと、私たち世代の家のタンスの中に、当時の価格にして相当なものが眠っているだろうね、と。
「何百万円分がそぉっと」未使用のままで。まったく、ブラックな話です。
ちなみに、私は何百万円もクラスではありません。
で、加えて、友人の話。
亡くなった母が(天皇陛下の?)園遊会に着ていった和服一式を持っている、という。
父が大金を奮発して買ったものだから、着物も帯びも相当すると思う、と。
園遊会に出たときにきたものだから、捨てるに捨てられない。
そりゃー、値段は相当だろうな、と拝察。
実は、去年8月末、母が退院の際、長年住んでいた家から放免状態だった。弟があとから荷物を取りに行ったら、母の自室から、車に積みやすいように運び出されていたらしい。弟宅に着いた荷物を、退院したばかりの母に見せながら、とりあえず夏物の上着下着。秋冬物の上着下着と、収納BOXに紙片を貼って弟嫁さんがわかるように収納した。
その中から絣の作業着が出てきた。長い間タンスに眠っていて、ペッタンコ状態。
戦争中の土木作業のときに来たもの。あまりにも辛くて悲しい日々だったけど、捨てるに忍びなくてしまっていたもの。もしよかったら、お前が持っていってくれるか、と。
もう母が使うことはないであろう何枚かの買い置きのストッキングと一緒に持ち帰った。
今、絣の作業着は私のタンスの中にある。
昨日聞いた「園遊会」の呉服一式とは、まったく天と地の差があるけれど、考えてみれば、どれも思い出の一枚なのです。
なんと違うことかと!!
そういえば母の荷物の中から真珠のネックレスも出てきました。それは弟嫁さんに貰ってもらうことにしました。
すごいでしょ。
多分、兄嫁さんが母の自室のタンスから出してきて、玄関先にまとめてあったと思うのですが、すっかり整理を済ませて恥ずかしくないようにしてあった、ということ。
昨日の彼女の言葉。
私、今死ねないの。
だって、片付いていないから恥ずかしいもの。
ワッハハ、です。
私も、同感だし…。
整理整頓が未了名ために、生きていなくてはならないなんて、まったくオソマツなのですが、
ま、余談雑談ですから、笑い飛ばしてください。
持ち帰ってから、絣の作業着のこと、誰にも口にしていません。
母の死亡時からは少し生き延びて、私の荷物と一緒の運命になった、ということです。
こんなにも違った環境なのに、交流しているなんて、不思議なものですね。
昨日「片付けられない」という話をしていた。
結婚するときに親に買ってもらったタンスに入っている和服をどうしよう、と。
きっと、私たち世代の家のタンスの中に、当時の価格にして相当なものが眠っているだろうね、と。
「何百万円分がそぉっと」未使用のままで。まったく、ブラックな話です。
ちなみに、私は何百万円もクラスではありません。
で、加えて、友人の話。
亡くなった母が(天皇陛下の?)園遊会に着ていった和服一式を持っている、という。
父が大金を奮発して買ったものだから、着物も帯びも相当すると思う、と。
園遊会に出たときにきたものだから、捨てるに捨てられない。
そりゃー、値段は相当だろうな、と拝察。
実は、去年8月末、母が退院の際、長年住んでいた家から放免状態だった。弟があとから荷物を取りに行ったら、母の自室から、車に積みやすいように運び出されていたらしい。弟宅に着いた荷物を、退院したばかりの母に見せながら、とりあえず夏物の上着下着。秋冬物の上着下着と、収納BOXに紙片を貼って弟嫁さんがわかるように収納した。
その中から絣の作業着が出てきた。長い間タンスに眠っていて、ペッタンコ状態。
戦争中の土木作業のときに来たもの。あまりにも辛くて悲しい日々だったけど、捨てるに忍びなくてしまっていたもの。もしよかったら、お前が持っていってくれるか、と。
もう母が使うことはないであろう何枚かの買い置きのストッキングと一緒に持ち帰った。
今、絣の作業着は私のタンスの中にある。
昨日聞いた「園遊会」の呉服一式とは、まったく天と地の差があるけれど、考えてみれば、どれも思い出の一枚なのです。
なんと違うことかと!!
そういえば母の荷物の中から真珠のネックレスも出てきました。それは弟嫁さんに貰ってもらうことにしました。
すごいでしょ。
多分、兄嫁さんが母の自室のタンスから出してきて、玄関先にまとめてあったと思うのですが、すっかり整理を済ませて恥ずかしくないようにしてあった、ということ。
昨日の彼女の言葉。
私、今死ねないの。
だって、片付いていないから恥ずかしいもの。
ワッハハ、です。
私も、同感だし…。
整理整頓が未了名ために、生きていなくてはならないなんて、まったくオソマツなのですが、
ま、余談雑談ですから、笑い飛ばしてください。
持ち帰ってから、絣の作業着のこと、誰にも口にしていません。
母の死亡時からは少し生き延びて、私の荷物と一緒の運命になった、ということです。
こんなにも違った環境なのに、交流しているなんて、不思議なものですね。