今日は出勤だから、年末に向けてのアレコレはなし。
昨日、おとついと面談のことを書いたので、そのあとも、記して置かなくては。でないと
「楽になった」と喜ばれたのは、一時だけ(?)。元の木阿弥になっているようです。
さて、どう配慮するか。今考え中。
これで、この話題をしません。
…「うまくいった」でおしまいにすると、私が解決のための特効薬を持っていると誤解さを招きかねないから。そうは問屋が卸さないことを付け加えておきます。
検索って便利ですよね。
なんかあると検索。
知りたいことがあると検索。
お料理レシピも検索するとより取り見取り。ラクチンです。
電子辞書を持っていると空き時間が埋められて手持無沙汰がない、と思っていたことがあるけれど、今は昔、です。
で、私がついつい訪問し続けているブログ村があります。
不安のどん底、何が何だかの暗い状態にあったときに、検索し続けて、行き着いたそのブログ村。
ウォッチャー歴も3年になります。
アクシデントがあって、必死になって探し当てた同じアクシデントにあったケースを綴ったブログ。「検索しまくってたどり着きました」という表現も何度か読んでいます。みんな同じ心境、なのでしょう。
同じ症状であっても、重い後遺症を生きているこども、元気に成長できているこども、ひとりひとり違うのです。
そういう、どうしても訪問してしまうブログ村の中に、数か月前に始められた方のブログがあります。
小学校2年生のママのブログですから、30代のママでしょうか。
彼女、素敵です。
彼女の感性に、ときにうふふ、と和み、グッと胸が詰まります。
勝手に貼ってもいいものなのかわかりませんが、ここです。
双子のママです。双子の一人は自閉症児です。
むか~し、私が26歳のママの時、32歳のご近所さんママがいました。
彼女の長女が自閉症でした。
「自閉症って性格の問題じゃないのよ。脳の障害なの。ゴールデンウィークで医療の手薄な時の出産だったから、初めてわが子の顔を見た時、これは普通じゃない、と思ったわ」と
彼女、新米ママの私に話してくれました。
いつも思います。
彼女の言葉の重たさをちっとも受け止めていなかったし、彼女はそのことを(健康な赤ちゃんを抱いている人には理解できないだろうと)知っていたろうと。
彼女は70代。彼女の長女は50才近くになっているはず。
「この子が通う学校は近距離とは限らないので、通学の送迎のために、私、運転免許を取らなくっちゃならない。で、頑張っているのに32歳じゃあ、はかばかしくなくってね」と、同時期に運転免許所通いをしていた私にぼやいていた日々はいとおしい。
彼女どうしているかしら、と時々思う。
障碍児はね、その子だけではなく、兄弟にも負担がかかって、この弟もこんなに幼くって今はなにもわからないけれど、将来的には、普通のお子さんのケースと違うのよ、とも、確かに彼女は私に言ったし、覚えている。
でも、意味の受け止め方、切実さは、までは理解していなかったと思う。
「・・・・・・・・・・・」
いろいろ思う。年取った分だけ。経験した分だけ。
言葉になんてならない。
ぼんやりと、脳性まひなんて、医療が遅れていたからそうなった、なーんて、まったく他人事のように思っていた。
そうじゃない。現代医学でも思わぬことでアクシデントということもあるのだと、今は解る。
「・・・・・・・・・・・」
言葉では言えないけれど、私の、アタマ(?)、ココロ(?)の中に、そのことを思うスペースがあります。
何をいいたいのか、またまた隘路に入ったような文章になってしまいました。
日常的に私を去来するもようをつづっておこうと思って。
私ってのが、隘路づくしで出来上がっているんでしょうね。
昨日、おとついと面談のことを書いたので、そのあとも、記して置かなくては。でないと
「楽になった」と喜ばれたのは、一時だけ(?)。元の木阿弥になっているようです。
さて、どう配慮するか。今考え中。
これで、この話題をしません。
…「うまくいった」でおしまいにすると、私が解決のための特効薬を持っていると誤解さを招きかねないから。そうは問屋が卸さないことを付け加えておきます。
検索って便利ですよね。
なんかあると検索。
知りたいことがあると検索。
お料理レシピも検索するとより取り見取り。ラクチンです。
電子辞書を持っていると空き時間が埋められて手持無沙汰がない、と思っていたことがあるけれど、今は昔、です。
で、私がついつい訪問し続けているブログ村があります。
不安のどん底、何が何だかの暗い状態にあったときに、検索し続けて、行き着いたそのブログ村。
ウォッチャー歴も3年になります。
アクシデントがあって、必死になって探し当てた同じアクシデントにあったケースを綴ったブログ。「検索しまくってたどり着きました」という表現も何度か読んでいます。みんな同じ心境、なのでしょう。
同じ症状であっても、重い後遺症を生きているこども、元気に成長できているこども、ひとりひとり違うのです。
そういう、どうしても訪問してしまうブログ村の中に、数か月前に始められた方のブログがあります。
小学校2年生のママのブログですから、30代のママでしょうか。
彼女、素敵です。
彼女の感性に、ときにうふふ、と和み、グッと胸が詰まります。
勝手に貼ってもいいものなのかわかりませんが、ここです。
双子のママです。双子の一人は自閉症児です。
むか~し、私が26歳のママの時、32歳のご近所さんママがいました。
彼女の長女が自閉症でした。
「自閉症って性格の問題じゃないのよ。脳の障害なの。ゴールデンウィークで医療の手薄な時の出産だったから、初めてわが子の顔を見た時、これは普通じゃない、と思ったわ」と
彼女、新米ママの私に話してくれました。
いつも思います。
彼女の言葉の重たさをちっとも受け止めていなかったし、彼女はそのことを(健康な赤ちゃんを抱いている人には理解できないだろうと)知っていたろうと。
彼女は70代。彼女の長女は50才近くになっているはず。
「この子が通う学校は近距離とは限らないので、通学の送迎のために、私、運転免許を取らなくっちゃならない。で、頑張っているのに32歳じゃあ、はかばかしくなくってね」と、同時期に運転免許所通いをしていた私にぼやいていた日々はいとおしい。
彼女どうしているかしら、と時々思う。
障碍児はね、その子だけではなく、兄弟にも負担がかかって、この弟もこんなに幼くって今はなにもわからないけれど、将来的には、普通のお子さんのケースと違うのよ、とも、確かに彼女は私に言ったし、覚えている。
でも、意味の受け止め方、切実さは、までは理解していなかったと思う。
「・・・・・・・・・・・」
いろいろ思う。年取った分だけ。経験した分だけ。
言葉になんてならない。
ぼんやりと、脳性まひなんて、医療が遅れていたからそうなった、なーんて、まったく他人事のように思っていた。
そうじゃない。現代医学でも思わぬことでアクシデントということもあるのだと、今は解る。
「・・・・・・・・・・・」
言葉では言えないけれど、私の、アタマ(?)、ココロ(?)の中に、そのことを思うスペースがあります。
何をいいたいのか、またまた隘路に入ったような文章になってしまいました。
日常的に私を去来するもようをつづっておこうと思って。
私ってのが、隘路づくしで出来上がっているんでしょうね。