日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

こんな風に。

2020-02-05 15:34:40 | 母のことなど
母は103歳になった。
元気だそうだ。
また暖かくなったら顔を見に来て、とメール。そうすると返信。

ようやく夜間はオムツになったらしい。
2週間のショートステイ、5日ほど戻ってまたショート、というパターンになっている、とのこと。
きっとケアマネージャーさんと相談しながら選択しているのだと思う。

それなりの期間、施設にいるとしたら、その間、私が施設に会いにいうか、と話題にしたら、それはやめてほしい、と言われた。

母のホンネには施設よりも自宅で過ごしたい、という気持ちがあるから、連れ帰ってほしいと懇願するだろうし、それが叶わないのなら、迎えに来てくれる日を楽しみにして待たせた方がいいから、と。

「完全に施設入居にしてしまう=自宅の母のための介護設備も全部撤去して、母の住所が施設になる」というのは、弟としてもまだためらわれるところがあるのだろう。

お正月を過ぎて、施設滞在期間より、在宅期間が少なくなった、と聞いて、ゆくゆくは完全に施設、という流れまでの前段階のようにも思う。

思えば、95歳で脳こうそくで倒れるまでは、時々電話で話はできた。
長電話になりそうなときは、こちらからかけなおしていたものだ。
愚痴も聞いたけれど、考え方のイロハも生活の知恵もいっぱい聞いた。

家庭菜園をやり、たくさんのお花も育てていた。

母の居室には、房がたわわに下がっている藤の写真がある。
あまりにも見事に咲いたから、カメラを持って見に来て! と連絡があって、弟夫婦が出かけて行ったときに写した写真。
見事な藤の花の前で、両親が日差しがまぶしそうに写っている。母は今の私ぐらいか?

まだ、知恵をいっぱい働かせて、活動は大丈夫って、感じ。
感慨深い。

今は、私が毎日庭仕事をしているけれど、不思議なものだ。

母が庭仕事をしていたときに聞いたイロハは、当時は糠に釘、だったのに、実は覚えていて(苦笑)、草刈り鎌の要領もだんだん身について、きっと母もこんな思いで、土いじりしていたのだろうと、思ったりする。

そうだった。
長男が1年生の時に、たい肥の中から、カブトムシの幼虫が出てきたから、と宅急便で送ってくれたものだ。

私が仮に送ろうか、というと虫嫌いな娘は、拒否するだろうな~。苦笑

母のしてきたことのいくつもを覚えている。
たまにしか顔を見に行かず、行ったときは弟嫁さんは、配慮して(多分)、二人にしてくれるけれど、耳の遠くなった母とは、きわめて単純な会話しかできない。

だから、施設に会いに行っても,↑ のように、時間が流れるだけだろうし、喜ぶことはわかっているけれど、弟宅に戻っている機会にすることにする。

いっぱいありがとう、という気持ちはある。

先日、知り合いが和服の処分に困っている、という話の中で、一人娘だったから、母親の着物まで私がもらっていて、、、という話だった。

そういえば、母はすっかり自分で処分は済ませており、私がもらったのは、戦争中、一番苦しかった時の野良着1枚(母は戦争中に着ていたもの、と言っているけれど、昭和30年代、山でサツマイモなどを耕作していたときのもののように思う?)。
でも、自分の汗水流した歴史を、という思いだけは、伝わっているからね。








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グランドカバーの整理をしながら

2020-02-05 08:46:25 | 庭 2月
残るバラ株のエリアの寒肥やりを続けています。
ワイヤープランツやらエリゲロンの剪定、抜根などをしながら。
で、グラジオラスの球根が埋まったままになっているのを掘り起こしました。
球根とチドリグサ


ネットに入れて、しばらく保存します。
ふくふくと大き目の球根だったので、気分はルンルン。紫色でお気に入りのグラジオラスなんです。
さっそくその跡地に、今朝チドリグサの苗を4株植えました。
たくさんのチドリグサの苗だったのですが、これで残り4ポットになりました。
残っていたネモフィラの苗も、花壇の縁を整理して全部定植しました。

暖冬なので、お花が咲いています。



 ↑ 早朝で、ライトが反応しています。

ということで、バラの施肥は後回し。

仕事は尽きません。






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