日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

脳梗塞で倒れてから4ヶ月が経とうとしている。

2012-08-11 07:21:26 | 母のことなど
現在リハビリ入院中。
8月末で退院の予定。病院のスタッフさんたちは励まし上手なのだろうけれど、よく頑張っている、といわれているらしい。
さて、今後。
ガラガラと環境が変わるだろう。流動的。
一日だけ自宅に戻って、自宅介護が出来ない状況という形をとって、ショートスティで施設に行くことにしている、と聞いた。
そのあとは、どうなるのだろう。
その間に、自宅和室をフローリングにして、ベットと隣にトイレを作る、というスケジュールとも聞いた。
そもそも膝が不自由だった身。年齢のこともあり、いつまで自力でトイレに行けるか。

快適だろうと思われる介護施設もたくさんあるのだけれど、満員。入れる可能性はなさそう。昨今は施設を増やすのではなく、在宅介護の方向らしい。維持費が膨大で国も予算が追いつかないのだろう。判る。

在宅介護か、4人部屋の介護施設の空きに行く…のか。
※2年前、脳外科に入院した娘が4人部屋に移動したとき、ベットの上で意識があるのかないのか不明な老人と相部屋だったのを思い出す。ベットの上だけが居住空間で、オムツの生活が日常になるのには、それを受入れたくないところがあって葛藤です。

母は、なるようにしかならずリハビリに励むだけ、というスタンスながら、いろいろ考えているだろう。今は個室。入院ではなく、居住室が4人部屋という状態をどう想像しているか。
私のほうも、少しずつ、こころの準備をする。

私が産まれた頃、母は戦争中の体力消耗もあってか、体調が悪かった。
あの頃は、「具合が悪いからお医者さんに掛かり、治療を受ける」は贅沢なことだったらしい。民間療法で必死に自分の体力をつけることを続けたという。
乳飲み子の私に母乳を与えてはいけない、とお医者さんから指示されて、粉ミルクを購入するのにはお金がかかるから困り果て、私を米粉を溶いて育てたらしい。実家の農家から米粉を貰ってきたのだろう。その米粉を野菜スープで溶いて飲ませたら、青白かった赤ちゃんのほっぺたが、ほんのりと赤らんで元気を取り戻すようになった、コレはなんども繰り返し聞いてきた話しだ。勿論、私の記憶にはない。

思えば、母は、お金をかけることはままならず、知恵をフル動員して、私を育てたのだ。
今、感謝を返すときが来ている。
コレまでは、「私は幸せにやってるよー」と伝えることが親孝行だったけれど、今は本当に、そのときになっているのだと、思っている。

「親の世話を出来るのは幸せだよ」と、家人も言ってくれる。
自分の親の世話を、「気兼ねなく出来る」というのは幸せなことだ、と私も思っている。

長く離れていたので、乳児を抱えての長距離転居の際には助っ人にきてもらったことはあっても、返したことはまだありません。若い頃の夫はテニスに夢中。荷解きもそこそこにテニスに、というタイプでした。今時と違って布オムツで、洗濯物は溜まるのに、洗濯機はヘルツの変更が必要で使えず、転入園があったり、大変でした。

親の世話の初心者です。
「大変だー」の声は、同世代のあちこちから聞いています。
その大変さがどういうことか、想像するたけです。

でも、育ててもらったこと、困ったときのヘルプ、そんなアレコレを思い出していると、
ここでひと頑張りする機会が与えられたのかな、とそうも思います。

8月末からしばらく、とう展開するかは未定な部分がありますが、絶対大丈夫だよ、と
母に、こころの中で語りかけています。


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