日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

つぎに気になった国、かも、、、。

2024-11-14 10:03:44 | 私の雑感あれこれ
とりとめのない雑感です。
先月の旅行でリトアニアのカナウスの旧日本領事館を訪問しました。
命のビザを発行したという杉原千畝さんの功績がたたえられていました。
カナウスに首都機能があった期間は約1年で、杉原氏はそのうちの10か月間副領事として就任していました。戦局も日増しに厳しくなって押寄せるユダヤ人にビザを発行した期間は1か月間。安全の確保が難しいという判断で、日本の外務省から領事館の閉鎖の通達があっても、カナウスから移動するギリギリの駅のホームでも査証にサインし続けていた、というのです。
その旧領事館で知ったことの一つに、杉原氏が発行したのは日本を通過する許可を与えるビザであり、その目的地は、オランダ領キュラソー島だったというのです。そこを目的地にできたのは、オランダ領事のヤン・ズワルテンダイクの協力があったから成り立ったことでした。旧領事館にはヤン・ズワルテンダイクの執務室も再現されていました。キュラソー島、初耳の地名。場所は南米ベネズエラの北方に位置する島です。ふぅ~ん、当時はそんなところにオランダ領があるんだ、と印象に残りました。
で、先日YouTubeで世界の経済500年にわたる興亡史の講義を視聴しました。
表示されたイギリス、アメリカの旗はわかります。最初の旗はどこ? オランダでした。そ、500年前の経済隆盛を誇っていたのはオランダ(スペインなどはその前になるのでしょうか)。その時代にオランダが占有していた地域が色塗りされていましたが、ベネズエラの北方あたりも👆 オランダ領でした。あぁ~、そういうことだったのね、とひとり納得です。
ポルトガルに次いで日本に来たのもオランダでした。外国事情を学ぼうとした有志たちはオランダ語の習得に励んだ(そういえば大阪の適塾にも行ってきた)のでしたね。
ジャワに本部を置いて、交易を盛んにおこなったのはオランダの東インド会社。対してオランダは西インド諸島に、西インド会社を設立していたとのこと(のちに悪評高い奴隷貿易も行われ、産業革命と相まって資本主義経済の元祖となっていった)。
そうなんだ。私が知ったときのオランダは面積も少ない国なのに、その豊かさはどこからか、という疑問があったのだけれど、ヨーロッパの資本主義が生み出す富の先駆け的存在の国だったんですね。
空港の乗継しただけでいったことはありませんが、行ってみたい候補地に加わるかも、です。
そういえばチューリップバブルもオランダでしたね。そのころを描いた映画見たことあります。
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2 コメント

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次はオランダですか? (haruharu)
2024-11-15 08:03:39
オランダには昔(ハンブルグに住んでいた時)何回か行ったことがありますが
質素で地味な国のような気がします。
チューリップの咲く季節は普通の家庭が宿として
子供たちの部屋を開放して泊まれるようになっていて
友人家族と二家族で利用したことがあったのですが
素朴で温かいおもてなしで朝食の薄くスライスした沢山の種類のチーズが美味しかったのを覚えています。
家並みが(屋根や窓)が他のヨーロッパとは違った雰囲気でドイツから車で入るとガラッとかわいらしい街並みが印象的でした。
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おはようございます。 (案山子)
2024-11-15 08:47:57
そうなのですね。
レンブラントの「夜警」は裕福になった市民(資本家層)がお金を出し合って、画家に注文して描いてもらった(複数人の肖像画になっている)作品でしたね。
家並がロンドンやパリと違うのは、街が作られた時代も違うからかしら。ヨーロッパ風(南アフリカのホテルでも)はチーズの食文化ですね。冷蔵庫もない時代でも保存がきく大事なたんぱく源だったからの伝統なのでしょう。スーパーにもたくさんの種類のチーズが並んでいるので、私のお土産はチーズが多いです。
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