日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

戦争中の暮らしを描いているテレビ小説「純情きらり」からを観ながら

2006-08-09 09:32:04 | 母のことなど
NHK朝の連続テレビ小説は戦争中の暮らし「純情きらり」をやっています。
あの時代を知っている人は、自分の暮らしを思い出しながらテレビの前に座っていることでしょう。
生きて帰るか、戦死者となるかは、願ってどうなるというものではない感覚は、さぞかし、だったろうと思いはそっちのほうへ行ってしまいます。

国が決めた赤紙一枚で出征。
シベリアに連行されたといわれ、いつ帰るかわからない夫を待つ日々。
「『シベリアに連れて行かれたものは、生きて帰られないそうだよ』と町内でただ一人身長不足のため徴兵検査に不合格になったひとから軽口を言われたことがあってね、その無神経さに腹が立ち、怒鳴り込んで、ほっぺたを叩いてやろうかと思った」と母が語っていたことがあります。
そして、昭和16年に出征した夫が23年の7月末、漸くの帰還。そのとき母は32歳。

数年前、母からこんな電話があった。
福井地震が6月28日と、テレビでいっているけれど、あれは間違いで、7月末だった筈。シベリヤから舞鶴に上陸して、北陸線でT市に来る予定だったのに、鉄道が不通になって、岐阜の高山を回って、そのために顔を見るのが遅れたのだから…。

まさか、テレビニュースが間違ってはいないと思うものの、母は夫の帰ってきたときの多分鮮やかな記憶として残っているのだろうからと、調べてみたことがあります。
便利なもので、県の図書館で当時の新聞がマイクロフィルムで保存されていました。7月下旬あたりを探していくと、確かに鉄道は不通でした。
但し、その原因が福井地震ではなく、大雨による水害でした。
当時の新聞は、漢字が多く(もちろん旧字体)、紋切型。いかに現在が読みやすくなっているかと思ったものです。
そして、あちこちに事故や災害の報道の多いこと。インフラが未整備ということは、こんなにも事故災害を招くものだったのかと、強く印象に残っています。

ああ、話が横道にそれましたね。
そう、61年目の夏が来て「あの戦争」と話題になります。どの家庭にも、ひとつとして同じ形はないけれど、深い辛さを残した時代を経て今があります。珍しく15分テレビの前に座っていたものだから、そんなことを思ったりしました。

語り聞かされた話しでしか知らないものと、日々をその最中に暮らしたものとでは、思いは格段に違うのでしょうね。

戦争時代を体験された人たち、90歳になる母も、きっとテレビを見ながら、若かったころの戦争中の暮らしを思い出しているはずです。

この60年間で戦争に関わっていない国は、国連加盟国で一桁しかないそうです。
戦からどうして離れられないものかと、考え込んでしまいます。

まったく、付け足しの話ですが。
ツアーのバスでパリ市内を巡っているときだったかに、兵士の一団が通り過ぎました。車中の日本のおばさんたちは「兵士って、ホント若いのね」と、思わずびっくりの声。
ガイドの男性は、その声を受けて、「彼らほど若くないと、走れといわれても、息切れしてるようじゃ、役に立ちませんから…」
平和を当たり前のように感じて育った戦後生まれも、しっかりおじさん、おばさんです。私たちが享受できた平和の感覚を、つぎの世代、そのまた次の世代へとバトンを渡して生きたいものです。


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8月炎天 蝉の鳴き声 そしてあの問題

2006-08-07 07:46:22 | 社会問題
あの人の論理。「総理になったときに靖国参拝するかどうかは、今申し上げることではない」と。なんと玉虫色か。
4月に公用車を使わないで、玉ぐし料はポケットマネーで参拝してきたと。但し内閣官房長官と自分の立場を明記しているとのこと。これは彼の場合、私人として参拝したことになるのか、小泉首相の右腕の役職者としての役目なのか。
小泉首相は、安部長官の参拝については、彼個人の問題、とコメントしているし、参拝を促したわけではないらしい。
この国の世論で大きく取り上げられている問題なのに、この度の総裁選の論点にする必要はないとの判断。
「うーん、そういう人がこの国のリーダーの有力候補なのか」と、ため息。
ひとまず決めるのは自民党総裁だから、国民には関係ない(党員でない私も関係ない)といえば、そうなるのかも知れないけれど、上司の様子を伺い、保守派の人たちの心を逆なでせず、耳障りなことは知らせないほうがよい。
この論理は、以前に逆戻りするようで困りものです。
国のリーダーたらんとする人は、機密事項は除くとして、できる限りの説明責任があると思うのです。
やんわりと、言葉を荒げず、いつも時期を見ている感がして、今ひとつです。破壊型と言われた小泉首相の後だから、調整型のひとが適任なのでしょうか。
政権交代をなんて叫んでいる「民主党党首」も、小泉改革を非難すればするほど、彼の古巣の自民党の抵抗勢力に見えてしまうし、まったくややこしい。
数年前の桜のころに訪れた千鳥が淵墓苑の静かさは玉砂利を踏む音とともに思い出します。分祀という案も具体的に上がってきています。無理を通すのではなく、合理的で周りから理解を得られる道に向かって解決して言ってほしいものです。
それにしても、「申し上げることではない」とは…。

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豊田市美術館で「黒田清輝展」を見る。

2006-08-06 16:52:41 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
土曜日豊田市美術館に「黒田清輝展」を見に行く。
彼は明治になる前々年の1866年に生まれているから、世代としては夏目漱石らと同時代の人に当たるのだろう。
法律を学ぶためにフランスへ留学し、そこで絵画の道に方向転換する。20代の7年間もフランス暮らし。パリ万博開催に向けて、フランスがもっとも華やいでいた19世紀末の時代に日本から長期間留学できる階層を想像しながら、会場を巡る。
人物デッサンも多く展示されており、また葉書大のスケッチ帳の鉛筆スケッチも絵を学んでいる若者の熱心が感じられて楽しかった。
パリは印象派の時代。元気なパリは私たちが想像する以上に刺激的だったのでしょう。
黒田清輝といえば超有名な「湖畔」や「読書する女」(正確な題名は不知)なのでしょうけれど、気品ある確かなデッサン力の裸婦の絵を見たりすると、彼らの世代が西洋絵画を輸入したのだと、そう教えらる思いです。
その後続々とパリへ学びに行く人たちが出たわけだけれど、先駆者に属する人なのでしょうね(若いとき学ぶ美術史よりも、今の方が味わい深く、その時代を想像できる気がします。人との比較ではなく、自分自身の問題として)。

後になって、東京美術学校の教授となり、帝展等の美術展の創設者であったと、俄か学問で知り、その後は美術界の重鎮とし名を成したのだろうけれど、若き日のデッサン画や、沢山の鉛筆スケッチを描いている明治の青年、黒田清輝を思って、そりなりに心に残る展覧会でした。
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新聞報道から、「ああ、雇用形態のカラクリ」

2006-08-02 11:33:13 | 私の雑感あれこれ
松下系企業が二日続いて朝日一面トップ記事に。
カラクリを駆使して、雇用促進助成金2億円を受取っていたとのこと。
雇用形態に光りを充てると、「キャノン」「日立」「松下系」と誰もが知っている大企業から、続々と目を覆いたくなるような実態が明らかになってきたということでしょうか。
思うのは、これらの仕組みを遣って、労働コストを抑えているのは、これらの会社だけではないのではないか、ということ。
各労働局に、しっかりと公平にチェックをして欲しいものです。
会社の労働者管理部門の担当者も、好き好んで選択しているのではないと言い張るかもしれません。他所もしていると。
これらをうやむやにしておくと、正当な賃金を払っている企業は競争力で劣後してしまいます。

最近聞いた話。
友人Aがパートを退職しました。
「失業保険がもらえるから、安心してゆっくりできる」と。(実は、これは違います。次の職を捜している人に出るのが失業保険。捜す積りがないのなら、支給されないはずです。まあ、それは目くじら立てることもないかも)
友人Bが「私と同じように、Aさんも、失業保険が出てよかった」と。
彼女らは、パート勤務でした。勤務期間は5、6年もあるはずです。
でも、雇主はパートを雇用保険に入れていなかったのです。
⇒よって、保険料の負担は、ずっと本人も雇用主も無し。
退職する段になり、雇用主は保険加入していない人が、(便宜的に)遡って納付できる2年間だけを納め、期間は多少少ないけれど、失業保険が出る形になる。
⇒この2年間の保険料を雇用主が負担してくれて助かったと、パートの本人は、とりあえずは満足する。
⇒雇用主も2年分だけで助かる。

小さい企業でも、掛金負担はしんどいもの。しっかりと仕組みはあっても、皆さんそれぞれ知恵を絞って、本来のルールではないところで動いています。暗黙のルールがあるのでしょうか。


ああ、それにしても、日本を代表する企業が、雇用形態でコスト削減のために、カラクリを使っていたとは…。
我が家のプラズマテレビ君を眺めながら、おまえもか!と、いっても始まらないですね。2割ほど値引きしてもらったし…(苦笑)。

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ふとしたことから「養護施設 『100ワット村』 」

2006-08-01 07:03:21 | 社会問題
土曜日、県内一の高い山茶臼山へ涼を求めてドライプに出かけ、土砂降りにあって早々に帰路に。
帰りは途中から別の経路をとって設楽町経由。
我が家で設楽町といえぱ「設楽農学校」。開校から20年以上経ち、様子を伺いに立ち寄ってみました。
すると…、学校は廃校らしい。自ずと、子供と訪たときの面影を必死に探しています。
「あそこにアヒルいたよね」
「ホールのテーブルに紡いだ毛糸を染色したのが並んでいたのは、確かにこのテーブルだった」とガラス越しに覗いたり…。
子育て真っ最中だったあのころを懐かしく思う。
本来なら、そのまま帰るところ。
ところが遇然、主(農学校主催者)に出会い、話をすることに。
そこで、タイトルの「養護施設」の話題になる。

数年前から農学校はやめており、施設が活用できることから「養護施設」の設立を検討中との話を聞く。
昨今、子供が育つ環境の充分でないケースが増えているそうです。少子化なのに矛盾するのではと素人は一瞬思うのですが、養育能力については、別問題らしく、幼児虐待、養育放棄で、施設はどこもいっぱいらしいのです。
「そうなのですか」
と、門外漢は相槌を打つばかり。
22年前に、理系分野の職場から、自然志向そのものの農学校を立ち上げた彼にとって、緑溢れる地での「養護施設」立ち上げが軌道にのることを祈ります。

施設の名前は「100ワット村」(但し、まだ準備段階です)。
「偶々、育つ場に恵まれなかった、そんなハンディなんて、へっちゃら!」そんな風に、たくましく育つ子が、ひとりでも多くあって欲しいと、まだ生れてもいない「100ワット村」ですが、勝手に夢見たりしています。



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