日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

課題が出来た

2011-12-14 07:49:56 | これから先のこと
考えようによっては仕事が増えたのかも。

まず、膝の完治が課題。
⇒膝を休めるために、先週のショートテニスは休んだ。
⇒時間を作って接骨医に通う(※)。
⇒時間を作って筋トレも。
10年ほど前に膝痛になったとき、持病になるのかと不安もよぎったけれど、完治した。
今度も、膝痛の老人にならないように、目指す!

(※)「水が溜まっていますね」と今日言われた。アチャ!コレまでは、そこまで言われなかったのに。膝がグラグラ状態でムリをしたため、熱をもって、その箇所を冷やすために体液を増やして治癒しようとするらしい。その水が半月板などを圧迫するから、痛みがでるらしい。困った!けど、これも今の課題。治します⇒ワタシへ


「ターシャおばあさんのように、ワヤワヤの庭を造るからね」と、旅行中に友人に白状した。「ワヤワヤ」とはターシャさんに大いに失礼であり、ターシャのファンである友人も、私の暴言を指摘したけれど・・・。
ターシャさんの考え方の尻尾ぐらいの方針で、隣地に草花を植えて楽しもう、という発心です。
庭師さんに整然とした庭を作ってもらうのではなく、自分流で、ワヤワヤといろんな花を咲かせて。
母に電話で伝えたとき、「お日様に当ると身体にもいいからね」と。今でも体調がいいときは、草むしりをするという母の実感なのだろう。
無精者には自信がないのだけれど、二人の友人には、草ぼうぼうかも知れないけれど、見にきてね、と言葉を添えた。友達に来てもらおうという目的を作って、自分をがんばらせようという魂胆(なんとヨコシマな動機付け!)。

話がバラバラでしょう。
私的にはつながっています。その庭作りのためにも、膝が是非とも完治しなくてはならないのです。

上村松皇(?松園の息子)は、鳥獣の絵を描くために自宅に鳥獣を飼っていたらしい。絵描きとして認められた画家だから出来たこと。
それを、ちいさく、小さく、縮小して、庭に草花を植えて、好きに絵をかけるように。・・・おっ、私もそっちの系列の尻尾ぐらいだぞー、って、自分自身と語っている。お花屋さんで買ったお花ではなく、自分で作った庭で育てた花を描けるなんて最高!ではありませんか(ひとりごとです。庭で花を植えている人なんてゴマンといるのですから。苦笑)。

一角をバラ園にしようか。ハナミズキもあってもいいな。
夢は果てしない!

春が来るまでに、膝を直そう。
図書館でターシャの本でも借りてこよう。




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「ローマ人の物語」文庫9巻 読み中。

2011-12-13 06:47:07 | 
前巻からユリウス・カエサルの巻です。戦ではなく(小タイトルに「ルビコン以前」とあります)、ローマの為政の話題が並んでいます。保守派元老院派と改革派カエサル。元老院議員による共和政から、大金持ちのクラッスス(カエサルが大借金している)と地中海東方を制覇してきた武将ポンペイウスとカエサルの三頭政治に移って行く。
地中海地域を制覇した古代ローマ(まだ紀元前です)にあって、ローマ市民権をどう規制するか、農政改革、税金問題がウンヌンされています。
富裕層が生まれると、高利の金貸しで富がさらに偏る、とか、これを規制しようとすると、特権階級の保守元老院はから総スカン、命まで狙われるのは、なんだか、世の中昔からわからないのだなー、と思う。
それでも、王政で、国のものは王様のもの、という国の形ではない。なんとか、これでは不味い、改善しなくては、との論議の声が上がるのが、ローマなのです。
ローマ法が、法律の源といわれるゆえんでしょう。どうにかしよう、こうしよう、常に「○○○○法」というルールを作って周知、運用しようという形、今の時代の水源のように思えます。

追記 24.1.17
やっと読了。
ガリア戦記の期間で、ガリア人、ゲルマン人、ブルタニア人との戦闘ばかりで、目が文字の上を泳いでしまう。戦闘シーンに血湧き肉踊る、というタイプじゃないもので。
今、ユーロ危機で、ヨーロッパの話題が新聞紙面の多くを占めている。
本の中で、ローマ人ユリウス・カエサルが多勢の軍を引き連れて北に向かって、ガリア地方からさらにイギリスまで攻め入っていく。各地の領民は巻き返しを図ったり、恭順の意を表したり、と生き残りをかけて必死の対応を図る。国が地つながりのヨーロッパの力関係の始まりのページだとつくづく思う。
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12月11日署名・押印

2011-12-12 07:36:47 | これから先のこと
昨日、一つの契約をしました。
私たち夫婦にとって、それなりに感慨深いです。
思ってもみなかったことが起きて(誰かの幸、不幸ということではなく)、では、こっちの選択をしようか、ということになって、その選択が出来たこと、そのことは嬉しいことでした。
いつも、一生懸命に歩んできたもんだねー、だから、今、ここまでのポジションでいられるのだねー、と。そういう意味でも、一緒にやってきたからこそ味わえる感慨、という種類のものを味わった日でした。
さぁ、また、一日一日と続きがあります。
前に向いていこうと思います。
大いに恵まれていたのでしょう。
ノーブレスオブリージって、オットならともかくワタシ分際では、不適切かも知れませんが、恵まれていることに感謝して、役割を果たして生きたいと思える幸せを感じています。
あっ時間、お弁当を作らなくっちゃ!←実際はコレが現実なんですよ。うっふふ
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9、10日と小豆島へのバス旅行

2011-12-12 07:07:33 | 旅行・休養
いつもの3人で。残念なことに日程調整の結果、12月になってしまったので、名所寒霞渓の紅葉は見ごろを過ぎて冬模様でした。瀬戸内なのに何故「寒霞渓」のネーミングと「?」でしたが、絶壁の岩山に鈎をかけながら登った山だったことから、「カギカケ」・・・⇒「カンカケイ」⇒「寒霞渓」となった、らしい、とのこと。
紅葉のシーズンだと観光バスでイッパイになるそうで、それがなかったので、ゆったりとした「寒霞渓」でした。
この名所の前に訪れたのは、「二十四の瞳」の映画村。
20代の終わり、若い夫婦だった私たちは、この小説の舞台の小学校の教室で、2歳の息子を教室の椅子に座らせて撮った写真が残っています(笑)。その写真では、「ハイ、と手を挙げて」という母親の指示で、教壇に向かって手を挙げているのですよ。(笑)
ちなみに、4歳の長女は車の中でお昼ねでした。

昭和60年に再度の映画製作があって、新しく舞台セットが作られ「映画村」という観光スポットになっていました。

行きも帰りもフェリー利用。私にとっては、ホント久しぶりのフェリーでした。
行きはジャンボフェリーで、トレーラーが船倉にぎっしり列を成している間を通って、客室に行きました。トレーラーは何も語らないけれど、産業の一役を担って、こうして本州から島へ行くのかいな、なんて、こんな地味目ところで、グッと来るタイプなのです。
船の出帆も、そんな、こころが揺れるものをもっていますね(コレもワタシ的には)。実際は、毎日のことで、見慣れた人には、なんの不思議もないことなのだけれど、ね。

今日は仕事。師走は早い。12月の予定もサクサクと終わっていきます。
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「ローマ人の物語」文庫8巻 読了。

2011-12-08 06:52:43 | 
カエサル史の前半。ワクワクというより、淡々と読了。
時代は紀元前1世紀。
ローマは地中海世界を制覇。地中海は東より西地中海(オリエント方面)のほうが文化が高い。今、シリアが民主化を求めて大変なことになっているのに、とリアルのニュースを横目に見たり、その後の2000年の歩みのちがいが今に至っているわけ、ってこと、と自分自身と問答。
私のオリエント理解が貧困なゆえに、若い頃からのイメージで、ヨーロッパ文化が世界を常に席巻しているような想いがあったけれど、自分の中の、天秤のバランスを少しニュートラルにしなくては、と、そういう思いを改めてもつ。
キケロやカエサルの演説文が掲載されている。すごい、紀元前の話です。日本は縄文or弥生?
そして彼らは、既に歴史上のローマ人の業績を史実から学び、目の前の困難を乗り切ろうと弁論を展開している。時代は紀元前。塩野さんの本に出会って知りえた知った世界。
ま、カエサルは女たらしだし、借金王だし、・・・そうか、そうかと読み進めた次第。

9巻に行きます。
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週日に自宅にいる時間が増える。

2011-12-07 10:21:50 | 私の雑感あれこれ
週日の日中に自宅にいる時間の使い方を工夫しないと、と、「神妙に」(笑)思う。
これから、ますますそんな形になるので、作業日誌見たいのを漬けたほうがいいかしら、と…。三日坊主に終わりそう~~だけど。

さくさくと作業。
確認・連絡の電話を2本。
母への電話1本(久しぶり!でも、伝えた話題を非常に喜んでくれて、元気になった!と)
キクイモの粕漬の下準備に塩付をする。(アバウトで失敗するともったいないので、重さを量って、塩は20%)
キュウリの粕漬をお正月頃には食べはじめたいので、その粕床を兼用したいのだけれど、さて、どうか。
安納イモ(サツマイモの一種)の大物2個がキッチンの床にゴロリとしていたので、干し芋を作ろうと、挑戦。
今年は干し柿を2度も作った(お腹に入ってしまいました)。

昔からの作り方、保存方法に挑戦するって、面白い。
「面白い」なんて、感じるのは、時間的に余裕が出来た証だろう。

あと、作業メモには、30分の筋トレジムへ行く予定、その帰りに、ボタン電池を買って、長らく停まったままの、卓上時計を動かさなくっては。
因みに、今朝は、既に二つの時計(単1電池と、単3電池使用の時計)を稼動させました。
!!!なんと、わが家は停まった時計だらけでした。

まだ、午前中。
日差しが長く室内に入り込んできます。
チャクチャクと冬至に向かっているからですね。



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聞きたくもない、社会保障の負担増の説明!

2011-12-06 07:32:12 | 社会問題
今朝も新聞が図解して、社会保障の世代間格差、将来的に年寄りを1.2人で一人を背負わなくてはならない!と。

アホか!厚生労働省の官僚さんたちは、今それがわかったわけではないでしょう。ピラミッド型の人口構成が崩れて久しいから、遠の昔から、百も承知のことだったはず。
それなのに、制度設計の見直しもせず、高社会保障を目指して、チャクチャクと家族間のつながりの薄まった社会を作ってきました。
実は、私たち世代は、その社会福祉の恩恵を受けています。
勿論、年間60~70万円の国民健康保険料をエイヤッ!と「税金のようなものだから仕方がない」と思い込ませて払い続けてきました。
夫の言葉を時々思い出して。
いい世代じゃないか、戦争に行かなくて済んだのだから。そして、親が年金で充分に暮らせるということは、実質、子の扶養の経済的負担がないわけで、回りまわって恩恵を受けているのだよ。と。
納得でした。

今、新聞の書き手は、私たち世代よりまた一回りも若いのでしょう。
戦争に行かなくていい世代でよかった、という気持ちも
年老いた親は養うものだ、という発想がそもそも、育つ前に社会保障が充実していた時代の子、なのでしょう。

ふふふ、とおかしくもあります。
かつては、跡取りは親を背負っていました。厚生省に世話にならないで。
だから、1.2人で背負うのはいいじゃないか、といっているわけではありません。
賢者と自負するキャリアが何十年もかかって、国民から社会保険料を納めさせて、まず自分たち公務員が給料を受取る組織を作ってきた、そんな感が否めません。

追加あり
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無事終了・・・。

2011-12-04 15:38:03 | 私の雑感あれこれ
膝の痛みを何とか騙しダマシ、ショートテニス大会を終了。
一勝だけ出来たのが花。
前日の土曜日に練習しておかないと、でも前日の疲れが膝に来ると、日曜日はダウンかな。
だからといって、土曜日に慣らさないで日曜日に出場するのは、やっぱりおかしい。
とにかく、性能のよいサポーターを購入して、土曜日に慣らして、日曜に備えた。
ケガをしないように、が最課題。
加えて、パートナーの足を引っ張らないように。
この二つは達成できた。
自分で自分の性分を再確認する。ウフフ。
土曜日に足首が痛くて、といっていたIさんは、ピンチヒッターを頼んでいた。
もう一人も、都合により相方が変わっていた。
なんどか、ピンチヒッターを、と断ろうかと思わないでもなかったのに、今、5試合を終えてきた。
試合を終えた膝は、階段を下りるときに手すりを必要とするほどの情けなさ。

意地っ張りだねー⇒ワタシ(苦笑)
雑談中でわかったことだけれど、ホームの出場女性の中で、3番目の高齢者、とのこと。
(オープン大会なので、アウェーの参加者も多いのです。)

これからも、ケガをしないようにがんばろうね、と声をかけてくださる、仲間に恵まれているのだけれど、
ああーー、ワタシの膝よ!

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お金について

2011-12-02 07:05:25 | 私の雑感あれこれ
経済活性化のためには、おおいに消費しなくてはならない、と叫ばれても、老後の蓄えとして、せっせと貯蓄に励むのが習い性である。・・・一般化してはいけないだろうか。

遠い記憶だけれど、小学校時代、郵便局の預金通帳を持っていて、100円、200円の貯金をしていた。学校の各教室に、郵便局員がやってきて(?)だったか、1行ずつ、預けた金額のゴム印が押されて返してもらった。
昭和30年代です。そのころは、国は国民に(小学生のお小遣いまで)貯蓄を奨励し、国民から吸い寄せられたお金は、復興始めた企業へどんどん貸し出され、国民には金利がついて返ってきたのです。
さて今は。
銀行には沢山のお金があります。融資を願う企業も沢山あるでしょう。でも、銀行が貸したい企業がないのです。「何故借りたい企業があるのに貸さないのか」コレについては、わかりますよね。焦げ付きやすい企業に貸しては、銀行の身が危なくなるのです。
それで、銀行はジャブジャブあるお金で、国債を買っているのです。倒産のない国債は金利が低い。だから銀行のコスト、利益を差し引くと、預金者に支払う金利は、さらにさらに薄くなっている、というわけです。
融資のプロ、銀行が安全パイの国債で凌いでいるという現状です。
シンプルすぎて荒っぽい説明になったかしら。

貯金を教えられて育った習い性は根強いです。
こんな話を聞きました。
「お金は貯めて半製品、貯めたお金を上手に使ってこそ完成する」という。
だから、しばしば2代に渡って、それをなす、のだと。
…わかります?親が蓄えた身上(身上を潰すの「身上」です)を、ぼんぼん育ちが費消するというパターンを差しているのでしょう。
「お金」って、不思議です。自分で貯めたものと、労せずして入ってきたものと、感覚が違うものです。お金に色は着いていないから、どちらのお金であっても、同じものが買えます。だけれど、その使い方に差が出るのじゃないかなー。
この歳までに、いろんなケースを見て着ました。つくづく、そう思います。
上手に使うのも、なかなか難しい。
上手に生ききるのと通じるのかも知れません。

件(くだん)の台詞は、世に「お金の神様」といわれる邱永漢氏。
お金の高い山に登った邱永漢氏には、いろんな光景がみえるのでしょうね~。
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私のオーバーコート(外套)史。

2011-12-01 22:58:03 | 私の雑感あれこれ
記憶をたどってみた。
1)雪国で、ランドセルを担いでいた頃は、マントだった。

2)4年生頃に、防水効果の高いアノラックが流行りだして、いわゆるカッパのズボンと対で着用していた。

3)中学3年の頃は、黒で衿がからし色のアクセントとなっているアノラックだった。

4)高校の3年間は、学校指定の紺のオーバーコートを着ていた。

5)大学は下宿の一人暮らし。自分で選んだコートは真っ赤なオーバーコート。思い返せば、なんであんなのを選んだのだろうと、我ながらセンスにガッカリだけれど、そんな心境だった、ということ。

6)東京で就職して、お給料を貯めて買ったのは、衿と袖口に毛皮のついたキャラメル色のキュートなコート。・・・今思えば、このセンスもどうかと思うけれど、就職したての給料取りには根が張ったので、何度もウインドーショッピングの日々でした。そのコートを着ていた頃、彼の家を訪ねることになって、
「キミがそのコートを着ていくと、ボクがプレゼントしたのかと誤解して、オフクロが機嫌が悪くなるかもしれないから、毛皮つきはやめてほしい」と彼が言ったのを覚えている。

7)次はミニスカートの時代が終わり、茶色のツイード生地のロングコート。まだまだウエストが63センチのころで、シルエット重視、ロングブーツで気取っていた頃。
でも、このコートは一冬で終わった。

8)ママコートの時代に突入。冬の外出はいつも子供オンブの時代で、シルエットを強調するコートは、お蔵入りになった。

9)夫の仕事が変わって、節約第一の暮らしに突入。バーゲンの半コートと、学生時代のスプリングコートで乗り切った。

10)仕事に出るようになって7年頃。まだ高級品だったカシミヤのキャラメル色のロングコートをデパートのバーゲン見つける。自分へのご褒美、と思って、エィヤッと決断。仕立てのよさと、しなやかな手触りで10年近く着た。

11)その5年後、黒のアンゴラのロングコートを購入。
2枚のロングコートを定番のように着ながら冬の通勤電車に乗った。
気がつくと、街には、すっかり肩パッドの入ったロングコートは見かけなくなっている。アレレ!・・・好きだったから着続けていたのだ!

12)黒皮の半コートを購入して6、7年。地味目で着易くて重宝している。・・・こっちも流行は去っているのかも知れない。

13)もう一度ロングコートを買おうかなー。

汽車通学の頃、黒のロングコートで毛皮の襟巻きをしている女性を始発駅の停車場で何度か見かけた。美しかった!田舎の小娘の私の目には、高嶺の花、こんな綺麗なひとが私の田舎町にもいるのかと思ったものです。県内に一つしかないデパートのエレベーターガールなんだって、と聞きました。当時デパートのエレベーターガールは美人がなる、というのが定番でした。
オンブ用のママコートを着始めた頃、子育て一段落したご近所さんの、グレーのロングコート(コレも毛皮の襟巻き付き)姿に、素敵!の感想。・・・彼女も美人でした。
アッハハ、すらりと背の高い美人のロングコート姿、好きなのです。
ロングコートは買えても、他の条件は買えませんなー(ショボーン)。
コメント (4)
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