日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

お金について

2011-12-02 07:05:25 | 私の雑感あれこれ
経済活性化のためには、おおいに消費しなくてはならない、と叫ばれても、老後の蓄えとして、せっせと貯蓄に励むのが習い性である。・・・一般化してはいけないだろうか。

遠い記憶だけれど、小学校時代、郵便局の預金通帳を持っていて、100円、200円の貯金をしていた。学校の各教室に、郵便局員がやってきて(?)だったか、1行ずつ、預けた金額のゴム印が押されて返してもらった。
昭和30年代です。そのころは、国は国民に(小学生のお小遣いまで)貯蓄を奨励し、国民から吸い寄せられたお金は、復興始めた企業へどんどん貸し出され、国民には金利がついて返ってきたのです。
さて今は。
銀行には沢山のお金があります。融資を願う企業も沢山あるでしょう。でも、銀行が貸したい企業がないのです。「何故借りたい企業があるのに貸さないのか」コレについては、わかりますよね。焦げ付きやすい企業に貸しては、銀行の身が危なくなるのです。
それで、銀行はジャブジャブあるお金で、国債を買っているのです。倒産のない国債は金利が低い。だから銀行のコスト、利益を差し引くと、預金者に支払う金利は、さらにさらに薄くなっている、というわけです。
融資のプロ、銀行が安全パイの国債で凌いでいるという現状です。
シンプルすぎて荒っぽい説明になったかしら。

貯金を教えられて育った習い性は根強いです。
こんな話を聞きました。
「お金は貯めて半製品、貯めたお金を上手に使ってこそ完成する」という。
だから、しばしば2代に渡って、それをなす、のだと。
…わかります?親が蓄えた身上(身上を潰すの「身上」です)を、ぼんぼん育ちが費消するというパターンを差しているのでしょう。
「お金」って、不思議です。自分で貯めたものと、労せずして入ってきたものと、感覚が違うものです。お金に色は着いていないから、どちらのお金であっても、同じものが買えます。だけれど、その使い方に差が出るのじゃないかなー。
この歳までに、いろんなケースを見て着ました。つくづく、そう思います。
上手に使うのも、なかなか難しい。
上手に生ききるのと通じるのかも知れません。

件(くだん)の台詞は、世に「お金の神様」といわれる邱永漢氏。
お金の高い山に登った邱永漢氏には、いろんな光景がみえるのでしょうね~。
コメント
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