日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

夜汽車に乗った記憶。

2016-01-19 09:12:20 | 私の雑感あれこれ
前記事つながりで、遠い記憶を思い出したりしています。
(本当は、ウン十年ぶりで覗くようになったおもちゃ売り場の感想も描きたいのだけれど。それは後日)

それは昭和31年の3月。前記事と年号を揃えるとしたら、1955年だから、時代は小説の5年後ですね。
三等車というものはなく、普通車(?)とか2等車だったと思います。北陸線の最寄駅から大阪行きの夜行に乗りました。母が連れていたのは、4月から小学生の私と2歳の弟。各駅停車です。随分後になって母は「あの時は、(空いていた2席に)お前が横になって寝ていたのに、お客が載ってきて、起こされちゃってね~」と。勿論指定席ではないから、仕方がありません。母は、関西に住む妹をどうしても訪ねたかったのだろうと、今は、そこを思います。
以前にも書きましたが、父はシベリア抑留から帰ってきてから、私と弟が生まれています。妹夫婦は戦後中国からの引揚者で、故郷に引き上げて数年暮らした後、都会で事業を始めていたのです。長距離電話など贅沢な時代ですから、どれほどの連絡を取っていたものかわかりません。身一つのようなスタートを切って、ようやく目鼻がついたところだったのでしょうか。しっかり者タイプの母のことですから、妹のことが心配でならなかったのかもしれません。
私の初めての都会へ行く汽車旅でした。カーディガンを新調してもらったような記憶があります。なにせ、遠い都会へ行くのですから。そして、初めて靴下というものを履いた記憶です。親指と人差し指の間に仕切りがなくてスースーしているものだな、という感触が残っているのです。それまでは、幼稚園児でも足袋を履いていました。この感覚、若い人には理解できるかしら?足袋は破れたらつくろいながら履いていたし、こはぜ(留め具)は保存していたものだから、手作りの足袋に使いまわしたのかもしれません(私にはこの経験はありません)。
その関西のおばさん宅には、1歳年上と2歳年上のいとこがいました。もうすぐ小学校の私は、嬉しくてワクワクだったのでしょう。そこの2年生の男の子の「こくご」の教科書を読んだ記憶、話の中身も覚えています。その時の私の写真、ブックりほっぺ、ですよ。苦笑
お巡りさんが交差点の真ん中で笛を吹いて誘導していました。本に出ているのと一緒!やっぱり都会はすごいな~と思いました。もうひとつ思ったことを覚えています。国道2号線に面しているお家だったので、こんなに道路が広いと向かいのお家に遊びに行くときに困るだろうな~、どうするんだろう、ということでした。毎日の私の遊び相手は、お向かいの2歳年上の絹子ちゃん(本名書いちゃえ!今思うと名前もクラッシックですね)でしたから。
随分後になって、母から聞きました。
あの時は、片道切符だったのだと。お姑さんから、帰りの汽車賃は向こうから出してもらえといわれての大阪行きだった、と。
だから、宝塚に連れて行ってやりたくても、お金がかかるから行けなかった、と。
そんなこと不知の子供でしたから、連れて行ってもらった動物園でみたチンパンジーの仕草など何度も語り草にしたものです。
大人の事情、子知らず、ですね。

以上、すっかりセピア色した話です。

その10年後ぐらいでしょうか。
北陸の最寄駅でのシーンを覚えています。
汽車、駅つながりで記しておきます。

帰省した叔母さんが大阪に帰るのを見送りに行きました。
男兄弟はいるものの、女はふたり姉妹。その叔母さん、母の妹です。
母は、お昼に汽車の中で食べたら、と駅の売店でいくつかのパンを買っておばさんに渡しました。(注、小さな駅なので駅弁は売っていない)
叔母さんは、「姉さん、パンはいらない、お昼の心配はしなくていいの」と固辞しているのに、母はどうしても持って行けと、押し付けていました。
その頃の叔母さんの家は事業も軌道に乗りだし、従業員も使ってい羽振りもよくなっていたのでしょう。
「お昼は乗換駅で鱒の寿司を買って食べるからいらないの」と。

そこのところは、記憶に残っています。
母は、何をしてやったら妹のためになるか、自分がしてやれることはないか、と考えて、昼ごはんに困らないようにと行動したのに、社会は評判の駅弁を楽しむ世の中になっている。そのズレがなんとも、こころに触れたものでした。

きっと、私も、母の態度に叔母さん的対応をいっぱいしているのだろうな。







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佐多稲子の小説「三等列車」

2016-01-18 07:15:39 | 
今、日本全国の多くの家庭で読むことができる短編小説です。
私のブログを訪問してくださる方であれば、ほぼ全員。笑

昨日、何とはなしに新聞に掲載されている大学入試センター試験問題「国語」をのぞいてみた。長文でも読んでみるか、と。
最初は、1965年に発売開始されたという、りかちゃん人形の話。
1970年頃のクリスマス前にデパートのおもちゃ売り場でアルバイトをしたことがあり、りかちゃん人形の箱を包装紙でくるんだ記憶が残っている。
筆者は、現在も引き続き販売されているりかちゃん人形の形態が当時と変わってきていることを社会の変化に結びつけて論述しているが、ワタシへの説得力はいま一つ。苦笑
実は、ここ1,2年、孫へのプレゼントのためにおもちゃ売り場をうろつく人になっているのですが、売られているおもちゃへの感慨のポイントは、この筆者と別のところにあるからです。後日文章にしてみたい、、、かも。うっふふ


さて、タイトルの長文。小説全文です、とあったので、プロレタリア作家佐多稲子の名前だけしか知らなかったから、これ幸いとして読んでみました。

1950年の作品。
東京から西へ向かう列車内での話。
混雑する三等車の座席が闇で200円で、という社会風俗は、私にも耳新しい。
3歳(らしい)と1歳の子供を抱えて乗り込んだ夫婦。きっと当時なら20代後半かしら。
通路も満杯状況で、父親は見送りらしく列車を降り、幼子二人を抱えた母親の生活の匂いが伝わってきそうです。
全国の多くの18歳の高校生が土曜日にこの文章を読んで、どう思っただろう。自分の国の話と思えただろうか。(私が育てた子供たちよりも、さらに若い)彼らに、この困窮が想像できるだろうか。
ひとのことはいえない。私だって三等列車も闇売買も知らない。かろうじて長距離夜行列車は知っているけれど。短時間で読みながら設問に回答していった彼らは、抒情になど浸っていられないから、どうでもいいのだ、と言ってしまえばそれまでだけれど、なんだか、私たちの国の先輩たちの足跡を見たような気がして、文章から立ち上ったきた映像がまだ頭の中を去来する。
実は、年末に、同じような年頃の子供二人を抱えて娘は、東京から西方面に帰省してきた。授乳室に一番近い指定席を二人分確保して。乗車時間は1時間半あまり。改札口までくれば、迎えが待っている、という環境。それでも、娘としては連日夜泣きの激しい1歳児に睡眠不足~~と悲鳴状態。
あ~大変さの容量って、、、とも思う。娘よ、ゴメン。

「男の人って封建的ね」とつぶやかせている。佐多稲子が時代に感じた思い、なんでしょうね。
あれから、ずいぶん時が流れて、男女の立ち位置が変わりました。いろいろ思うことも多々ありの分野です。


時間がなく垂れ流し文章です。修正要ですね。すみません。
日曜日の朝刊、まだお手元にあると思いますので、小説「三等列車」時間があればどうぞ。


コメント (8)
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つるバラ誘引、備忘録

2016-01-17 17:02:25 | 庭 1月
今日は日曜日。
里芋の処理に苦心、というか、あまりにもあり過ぎて、どう有効に使うべきか、思案。
親芋(煮物にすると舌触りが大味っぽくなる)を、これもポタージュスープ用に下ごしらえ。冷凍庫は保存食品でいっぱい、です。
ニガウリをスムージーに使って減らしたいのですが、冷凍ニガウリを入れると今の季節、冷た過ぎる!  のです。トホホ

で、本題。
バラの誘引の話。

毎日、毎日、つるバラと格闘していますが、よえやく目途が立ったような気分です。
あと、手つかずの大物が「パレード」と「マダムカロリンティストゥ」の2本になりました。
パレードは樹勢が強くて、去年の今頃にトンネルフーチを設置して、5月には豪華に咲きそろいました。
マダロカロリンティストゥは、去年にグングン枝が伸びて、「私を素敵な壁面仕立てにどうぞ」と言ってくれているようなのですが、その見事な枝を誘引するアイデアがまだ発展途上なのです。壁面に釘用のものを打つつもりはありません。どこからどこへワイヤーを這わせて、どこで枝を固定するか、、、。そこのところで、迷いがあります。
作業をしながら名案も出てくると期待しているのですが、、、。
脚立に登っての作業だから、気が重いところもあるのです。気をつけなくっちゃ⇒ワタシ

あとは、これまでの誘引の手直ししたり、の作業も残っています。

そして、その後に寒肥やりです。
1月中にはあらかた終わりそう。

午前中の元気があるときに勢いで作業を進めるのがコツです。
ひと仕事、ふた仕事を終えた! (1日2~3時間) 
と思って、室内に入った後は、時間があっても、腰が重くてダメ、という状態です。

以上、今年の誘引作業の備忘録として。


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苦戦しています。

2016-01-15 07:58:39 | 庭 1月
バラ、剪定・誘引の季節。

あっちを先にして、こっちを片づけて、とやりやすいところから初めて来ている。
で、残ったのは、大物たち!

昨シーズンの剪定・誘引は、遅れてはならじ、と、はやめはやめで進めていった。
で、2月に某バラ園を訪ねて、剪定中だったので、

あ~、あせらずともよいのだ、
と理解し、

木立バラの剪定の高さが、わが庭は甘い(もう少し低くした方がいい?)
と、学んだ。

そして、アーチに誘引したつるバラの芽吹きが始まったころに、枝がこみ過ぎているために、葉っぱが重なって日照が悪くなる!
と痛感して、2度ほど剪定しなおした。…とげの中に腕を突っ込むので傷だらけになった。

だから、今シーズンは、「日照が大事、風通しが悪くならないように」と自分に言い聞かせながら、枝を配置している、つもり。

でも、そのつもりでも、なかなか思い切って元気な枝をバッサリやるのは、大変です。

「3本に枝分かれしている場合は、2本切って1本残す」などと、
呪文のように自分に言い聞かせています、、、が。苦笑

でも、アーチの天辺では、まだまだフサフサの枝が、、、残っています。

こんな自分との葛藤を超えての作業ですから、やり始めたらすぐに2時間ぐらいは経過するのですが、進展状況となると、イマイチなんです。

なんだかな~、と思っているのが現実。
いつも訪問している「バラ園芸ブログ村」の中で

ツルバラ剪定に「苦戦しています」
とあったので、みょうに親近感を持ちました。

そう、嫌なんじゃなくて、良くしようと試行錯誤。
思うようにいかなくて、、、苦戦中なのです。

今の季節、バラのつるは思いのほかしなやかで、右へ左へとたわんでもくれます。
こんなふうに、とバラシーズンの開花を予想しながらの誘引ですから、やがて現れる華やかなバラの光景の隠し絵を作っているようなものでもあります。

去年の2月に訪れたバラ園を思うと、あわてなくてもいいハズ。
やり直しがないように今心がけたほうがベターなんだから、
と自分に言い聞かせながらも、

「苦戦しています。」

人生で、こんな苦戦なんて、なんと贅沢な、と思うところもあります。


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マーマレードの季節。

2016-01-14 07:55:27 | 私の雑感あれこれ
ハッサクが豊作です。
お正月に来た孫も収穫体験しました。今頃は忘れているでしょうけれど。アッハハ

取り置きして間をおいてから食べたほうが酸味が柔らかくなるようで、今はリビングにもいっぱい。
せっせとお腹に。

で、第一回のマーマレード作りをしました。
ヨーグルトの甘味として重宝するのです。



お正月、2歳の孫にシーズン最後に残っているイチジクジャム(自宅の庭のイチジクで作った)をどうぞ、と言ったら、

どうしても、
「ブドウジャム…」というのです。
イチジクなのに~、何で?
と思っていると、
私の手にしているジャム瓶は再利用瓶で、ブルーベリージャムの絵柄シールがついていたのです。
ブルーベリーの実がいっぱい=ブドウの房

に見えたのでしょうね。
納得、でした。

サトイモも豊作。
皮を剥いて茹でこぼしをして、冷凍。
皮むきも面倒になるチビの芋は、蒸してから剥くと、手で簡単に剥けます。これはポタージュスープ用に下ごしらえして冷凍ストック。

寒いので、ついつい室内仕事になってしまいます。

バラの剪定・誘引が待っているんですけれどね。






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なかなかキナ臭いニュースのない日はない。

2016-01-13 14:51:42 | 私の雑感あれこれ
ひとり、ぼんやり、考えごと。

先日たまたまチャンネルを併せたら「プライベートライアン」をやっていた。
以前には観終わってからも、ノルマンディー上陸のシーンほか、戦場の生々しさをこれでもかと描写されており、私にとっての印象に残っている映画です。
スピルバーグ監督の名品のひとつだということも、鑑賞後に知りました。
再度の鑑賞は時間のもったいなくて、今回は録画はしていません。でもストーリーの記憶はあります。で、ついつい後半の部分はテレビの前に釘づけ、(中身の濃い映画なんだからいいじゃないか、と自分に弁解して。トホホ)でした。
「戦争はしてはならない」「戦争は悲劇だ」「殺戮はこうも惨いものだ」という、スピルバーグ監督のメッセージの洪水に身を置いているような思いに駆られました。

その数日後、「アメリカンスナイパー」(2014年制作)を見ました。これは、私たちの記憶にもある、あの貿易センタービルへのテロ攻撃の後の時代、フセインのイラクへのアメリカの武力侵攻です。
訓練を受けた狙撃兵の、海兵隊の陸上戦を戦う兵士たちの守り役として配置された実話に基づく、とあります。

女子供であっても、爆弾を隠し持っていれば、アメリカ兵にとっては十分に危険な敵兵なスナイパーにとっての仕留めなくてはならない的なのです。失敗すると自国兵の命に係わるのです。160を超える命を奪い、米兵の中ではヒーローとたたえられても、彼の中で何かが壊れ、精神を病んでしまいます。


どれだけの映画を見ただろう。
どれだけのテレビドラマを見ただろう。
(現在連続視聴中の「刑事フォイル」も1940年代のイギリスが舞台。)
(第4シーズンが始まったばかりの「ダウントンアビー」も、第一次大戦が終わった1920年代。)

戦争はこんなにも悲惨だという現実を次々に教えられているのに、
でも、戦闘が何年もやまない地域からの難民のニュースが連日流れる。

メルケル首相もオバマ大統領も、これらの近い過去の悲惨さを知っているから、だろうか。メルケルさんは毅然として難民受け入れ政策を続けているし、オバマさんはアメリカの若い兵士を地上戦に投入することをためらっている。

勿論イギリスやフランスのトップたちも、知り尽くしたうえで、平和に納まることを望んでいることでしょう。

実は、阿川弘之著「山本五十六」を読書途中にしたまま、戦後70年を総括した特集を組んでいる文芸春秋の中の司馬遼太郎の文章を読んだりしている。
お二人に共通しているのは、日本がなぜ太平洋戦争に突入していったか、を後世の私たちに書き残してくださった読み物です。お二人とも、当時のいきさつを追いかけることにより、そのときの世相をもふくめて、伝えようとしてくださっている(生徒(私)が不出来で、深い理解にまで至らないかもしれないけれど)。

当時の日本は、世界の進度とのずれが明らかなのに、不都合な部分は、自分の国は特別な国だから、勝ち戦に持って行けるという風潮を作ってしまっているのです。
戦闘機の時代になっているのに、巨大戦艦を作ることを至上命題にしていました。燃料が石炭から石油の時代に代わって、列強として伍していくには、どうしてもジャワ・ボルネオを支配下におさめる必要があった。

このパターンって、今の近隣の某国に似ているようにも思えます。
自国民に情報を与えず、治安維持法で思想統制して、、、。臣民は天皇の赤子でしたものね。
なんとか、上手い方法で、開けた国になってくれないものかと思っています。

それにしても、もう一つの隣国は、経済バブルがはじけたようで、これも激動が起こるのでしょうか。

年明けから入ってくるニュースは穏やかではありません。




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シーズン最後のバラ、パレード

2016-01-12 07:10:22 | 庭 1月
四季咲きで、5月は100輪以上が咲き揃い、冬になっても、トンネルアーチで花をつけつづける優等生です。
昨日は、高枝ばさみで、手の届かないところもパチパチ切りました。
そうシーズン最後のバラです。


これで、すっかりバラの花のないお庭になりました。

バラ育ての冬仕事(剪定・誘引・寒肥やり)は、時間を見つけて毎日1.5~3時間はしていますが、まだまだ先が見えてきません。苦笑
やった感を得られやすいところから始めているので(私のクセですね)、大仕事が後回しになっているのです。
アーチの1つはやり終えたものの、残るアーチが3つ、トンネルアーチが1つ、壁面仕立て部分が手つかずです。

昨日は、道路から見える大鉢4つ(剪定・誘引は済み)の寒肥やりを済ませたので、すこしほっとしました。
できるだけ土を替えるという意味もあって、土を掘り出したのですが、土は乾燥していてサラサラ。養分の入った土に置き換えてやって、水をたっぷりやったので、喜んでくれたのではないかしら、とひとり悦に入っています。笑

今朝、自分の手元に目をやったら、手の甲が傷だらけ。
バラの手入れでトゲに刺されまくりでできた傷です。トホホ
あ~、去年もこうだった、と思い出します。
そういえば、恵方巻きを自分で作ろうと酢飯をつかむ前に、手を酢で洗ったら飛び上がるほどしみたんだった!
季節は同じ。
去年の今頃も同じことをしていたんですね。

まだ、恵方巻きを作ろうかしら。笑
手の甲に酢が触れるのを避ければ、なんとかなるハズ!

千里の道も一歩から。
先は見えてこなくても、こなしていけば何とかなる。
そう思う庭仕事です。


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いいことがあった、今朝。

2016-01-10 13:41:45 | 映画・テレビドラマ・音楽
日曜の8時半からはNHKの「趣味の園芸」を見ている。
それを観終わって、そのまま「日曜美術館」を見ることもあるが、今日はチャンネルを切り替えた。

バイオリンニストの葉加瀬太郎と五嶋龍の姿!

『クラッシック新世紀の音楽界』でした。


葉加瀬太郎はご自分の作品を連続演奏。
最後は、お二人で、あの『情熱大陸』の演奏。

五嶋龍氏は、この曲を早く二人で引きたくて、番組の終わりになるのが待ち遠しかった、という、生のコメント。

テレビの前の私もワクワク。

こんな豪華な時間を味わえるなんて!

ワクワクの極みでしょうか、涙が出てきました。

クラッシックというと、襟を正して、というイメージですが、
いつの時代の作曲家も、その時代の音を自分の曲作りに取り入れている、と葉加瀬氏。

文学も音楽も、作出する人はその時代を生き、その時代の感性の持ち主。
文学史や音楽史の中の偉人になると、額縁写真の映像のようにとらえがちだけれど、どの時代にあっても、時代の人たちの感性に響くから評価されたわけだから、飾り物じゃないんですよね。
だから、ご活躍中のお二人の躍動感あふれる『情熱大陸』、ステキでした。
会場、あの場にいる人たちは、さぞかし、でしたでしょうね。


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私的な話。

2016-01-10 12:50:25 | 私の雑感あれこれ
8日金曜日の午後はある月例会があって、夜は同じグループの新年会でした。
(私マスク姿でーす。苦笑)

会議の最後に、今年の宿泊付き研修旅行の話題が出ました。
3年に一度は2泊という慣例らしく、今年はその2泊の年に当たるそうです。
(私メンバーとしては新人です)
2泊だったら負担というメンバーもいるだろうから、2泊はなしにしようという声も耳に入っていました。
私としては、「もし、今回は慣例に従い2泊なら、絶対東北の被災地方面を研修先にしてほしい」と念じていました。
加入1年目研修は、神戸の地震で被災したエリアの視察や体験者の経験が入っていました。去年は、御嶽山噴火で経済的に冷え込んでいるという村に行ってきました。

研修委員の皆さんの検討結果が、1泊で隣県の福祉事業施設にするか、2泊で東北にするか、全員の挙手決める、ということでした。

某氏はこんなテーマは多数決で決めるのではなく、話し合いを深め、みんなの意見を聞いて、全員一致で決めるべきだ、と。

えっ!
そ~んな。
これまでは、研修委員お任せだったし、新人としては、よく良心的に考えられた目的地だったな、と思っていた、そんな程度の認識だったのに~~。

場はのらりくらり。2泊は疲れる、とか、3日もスケジュール空けられない、との空気も流れてくる。

私、はたと困った。
ちょっと、しゃべらせてもらった。
私は、研修委員の皆さんがこれまで目的地を決められるものだと思っていたし、それに何の不自然も感じません。で、2泊3日の研修旅行の年に当たると聞いて、東北の被災地を尋ねられたらいいな、と思っていました。
個人的に被災地へと考えたこともありましたが、夫婦二人でその地に向かう交通費だけで10万円になります。被災地にお金を落とす前に、鉄道会社への支払い大になるのが現実です。だから、団体で皆さんと行けるのだったら、願ってもないことだと思っている一人です。

ということを述べました。多分。
マイクを手にして。

帰宅後、夫に、挙手してしゃべったことを伝えました。マイクを握ってしゃべったけれど、ちっとも緊張しなくて、思いを聞いてもらえてよかった。と。ついでに「私、喋るの得意かも」とぬけぬけといっていました(夫婦の会話です。割り引いて読んでくださいね。図に乗るなよ、と釘を刺されましたけど)。


で、18時からは新年会。
食事が始まってしばらくすると、はす向かいの席の女性が、「今日の会議で、よくおっしゃってくださった。私もあなたと同じように思っていても、なかなかあのように言いたい内容を整理して発言できない…」と、伝えてくださいました。
あっ、ちょっと心臓に毛が生えている私の役目は役に立ったかしら、と嬉しく思いました。
会も後半になって、みなさんお酌したりして席の移動が始まります。私はひざ痛もあって、というかそうでなくてもお酌して回るタイプじゃないのです。
顔の広い私の友人がビール瓶を片手に傍にきました。
ねね、あなた2泊が希望なのね、さっきの発言、みんなに評判よかったよ、と聞かせてくれました。
私は、2泊が希望じゃないんです。これからは1泊になってもOK。でも、慣例では2泊という機会で、まだ東北の被災地に行っていないから、今回に限って、東北の被災地を目的地にと願っているだけなの。
そっか~、2泊も行くなら、真ん中の1日はボランティアしてきてもいいね、と、これはまた軽い、軽い。
そんな~、こちらの都合でボランティアの企画なんて失礼。それは先方の迷惑だから、去年と同様、宿泊やら土産物購入などで当地にお金を落とすのがいいのでは、とは伝えました。

なにか言おうとすると、口止めされこと多々あり、私の人生。苦笑
自分の思うことを伝えて、こんな反応が返ってくる、嬉しい限り、という体験です。













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とりあえず万両のスケッチ。笑

2016-01-10 12:27:53 | 絵画・マイギャラリー
6日に季節料理屋(割烹)さんで、新年会をしました。
板前さんの手の込んだ日本料理がコースで出てきます。毎年新年会に利用するほど、私的にはお気に入りのお店です。前日までは写真を撮ろうと思っていたのですが、風邪でダウンしないことばかり気にかけて、マスク姿だったので、すっかり失念。

そのお店には、水彩画の植物画(ボタニカルアート)が季節に合わせて飾ってあります。
きっと、お店にかかわりのある方でボタニカルアートをなさっている方がいらっしゃるのでしょう。それを観るのも楽しみなのです。
今回は冬の花で統一されていました。
その中に、万両もあるではありませんか。

あ~律儀に書いていらっしゃるな~、という思いで絵と向き合います。
そして、私も、ウチの庭の万両を描かなくっちゃ、とちょこっと思うわけです。
とてもボタニカルアート的にはかけません。
ワタシ風のスイスイスケッチ風にしかなりません。苦笑
でも、ウチの庭の端っこに健気に自然発芽して、この冬初めて実をつけてくれた、ありがたい万両なのですから、私にとってかけがえがありません。

ブログ友達は、ウチの万両に「どこんじょ万両」という名称を献上してくださいました。
南西の角、山茶花の根もと、移植不可能なスペースで実をつけた万両のスケッチです。

本当は、山茶花の幹に挟まっている様を描きたいのですが、寒風の中に座り続けるのを避けて室内に一枝持ってきました。

ああ、前書きが長くなりました。
凡作です。


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