歳を経ていると、その分だけ経験値も上がっているハズ。苦笑
なので、いろんな話題にも、興味深い捉え方ができたりする。
先日の雑談から。
多分着ることもないだろう和服がタンスに詰まっている、という話になった。70代の女性が半数以上の集まりです。
古着屋にもっていっても、本当に残念な値段しかつかないし、どうしたらいいものか、と思案。この手の思案している人たちは、きっと相当数に上ると思います。
母娘でたっぷり和服買取店に持って行ったけれど、買い取り価格は二束三文で、ランチ代でお終いだった、とも聞いたことがある。
それが現実。
「親が一生懸命拵えてくれた「嫁入り時に持たせてくれた和服だから、処分するのもためらわれる」が、共通する気持ち。
で、聞いて、たまげた話。
70代半ばの女性。
「当時は、嫁入りのときに近所の人たちに、タンスの中身を披露する習慣があった。だから、タンスの中に着物をいっぱいにしておく必要があって、タンスの中をいっぱいにするために、人から着物を借りたりしていたよ」と。
ビックリ !
「ああ、みんなそうしていたから~」と、こともなげ。
「だって、見に来る人がいるので、少ないと体裁がつかないからね」
卑屈にもならずに、さっぱりしている。
当地方は、数十年前までは、花嫁道具が豪華で有名な地域のイメージで、女の子を3人も持つと身上をつぶす、といういい方も聞いたように思う。それが、こんな知恵を働かせていたなんて、うっふふ、です。(ちなみに、私たち夫婦はこの地出身ではありません)
で、何を連想したかというと、江戸時代の参勤交代。ものすごい出費で藩は経済的に苦しむ一因だったとか。
で、藩としての体裁があるので、地元の藩内を出るまでと、幕府近くでは大行列を作ったけれど、途中は人数も減らして出費減に努めた、とか。背に腹は代えられぬ。中抜きです。
幕府は多大な出費で、藩が苦しむことには頓着しません。むしろ藩の力を削ぐことになり、有益なのです。
なんだか、共通しているものを感じます。片方の散財は他方にとって痛くもかゆくもないから、相手に対する配慮する気持ちはないのです。
嫁ぎ先の負担にならないように、一生分の着物(和服)を、親元が揃えてやるものだ、だから、歳をとっても着られるように、地味目の着物も準備するんだ、とも。
アッハハ、です。
明治、大正(昭和の初めも)生まれの親たちは、そのセオリーにしたがって、豊かになりだした昭和の時代に、一生懸命嫁入り支度をし整えてくれたのです。
それらが、今、多分、膨大な不用遺産になっている。
ま、そんなものなのでしょう。
刀が必需品、貴重品だったけれど、明治以後は不用品になったように。
刀の鍔(ツバ)などに贅を凝らす技術は、その後仏壇の装飾技術へと転用されていったと聞いたことがあります。だから、豊かになってからは一般家庭にまで、絢爛豪華な仏壇があります。
嫁入り時に和服を1000万円分も持参した、とか聞いたりもしました。たくさん持たせたというのが、鼻高だったのです。
そんな時代に、「借りて、タンスをいっぱいにしたものだ」なんて、庶民の知恵、のような気がして、ほほえましい。彼女の口ぶりでは、自分だけでなく、そんなものよ、と屈託ない語り口でした。
文化は、贅沢を競うところで発展するものだから、贅沢もアリ、だろうけれど、そのために、人の心を荒ませたり、悲しませたりしてはいけない。
城郭めぐりをしていると、蒔絵で飾られた嫁入り調度品にも出会う。それらを日常使いしている姫君は、贅沢品には縁もゆかりもない大勢の人たちがいることを知っているだろうか、と、思ったりする天邪鬼です。
付けたしに書いておきます。
復元された、二条城の襖絵にも、名古屋城の二の丸御殿の襖絵にも、田植えをしている風景を描いたものがあります。下級ランクの控えの間だったと思います。
建造当時に誰が絵のテーマを指定したのかは知りませんが、「田植えの絵をここに」という配慮があり、描いた人がいたのだと、私の見学記憶に残っています。