詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(105)

2020-12-10 11:14:53 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (夕空の鳥たちのように)

ぼくは想いのなかに消える しかし行くことははたさず
ぼくによみがえることがなければ
ぼくは待つしかない

 「行くことははたさず」ということばがおもしろい。
 「ぼく」はいったいどこへ行こうとしていたのか。そのことがわからないから「はたさず」の前で、私は立ち止まるのだ。
 「消える」という動詞は、そのとき、どう動いているか。
 私は「消えつづける」と読む。
 なぜ「消えつづける」ことができるか。「ぼく」は消しても消してもけっして消し去ることができないものだからである。「消す」という動詞が、その瞬間にあらわれつづけるという矛盾が、そこにある。

 このとき「ぼく」は何を待つのか。
 嵯峨は「答え」を書いているが、私はその答えを「消して」、私の答えを探し続ける。それが「読む」ということだ。




*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(104)

2020-10-03 09:22:27 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ぼくは低いところなら)

どこへでも行く 水のよう そして自らのなかに消える

 「自らのなかに消える」とき、そこに残るのは何か。「無我」ということばが浮かぶ。「我」はない、しかし、肉体はない。この「我」のない状態を嵯峨は、こう言い直している。

ぼくはぼくの名もない野花として
人間にむかつて手をさしのべる

 「野花」。しかもそれには「名」がない。「我」とは「名」のことである。「高名」ということばがある。その逆。「低名」の状態へと「ぼく」はかえっていく。そして「野花」になる。
 「名」のないものが「人間」と親和する。そうであるなら、「名」ものない人間は、みな親和できる。手をつなぐことができる。





*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(103)

2020-09-30 10:23:08 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (思いだして欲しい)

かつて何を話したか
いまかつてのその場処と時間帯はどうなつているか

 「時間帯」ということばに私は驚いた。「時間」を「帯」と場所のように広がりのあるものとしてとらえている。
 「時間」は瞬間、「時間帯」はひろがり。
 「時間帯」ならば、そこには当然「変化」が含まれるだろう。変化を前提として「思いだす」というのは、変化は当然であるという意識からだろうか。
 それとも逆に「時間帯」のなかで「持続」しつづけたものがある、ということを思い出し、それを復活させることができるか問いかけているのか。
 「いま」ということばに、何か、願いのような切実さを感じる。






*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(102)

2020-09-29 10:05:07 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
隣人

その人の名が
ぼくの心のなかを水のごとく姿をとどめずに去つていく

 去っていくのは「その人」ではなく「その人の名」。しかし、人は消え去るが、名は消え去るか。名は「記憶」として残る。去っても、去っても、残る。あるいは、記憶の奥から、記憶の表、意識へと流れてくる。
 流れてくる。
 水のように。流れても流れても、水はつきない。
 「その人の名」は永遠に、「去る」という形で目の前にあらわれ続ける。





*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(101)

2020-09-28 10:09:35 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (火はそこで語る)

水のながれの空しさを 時に手足をもがれてながれゆくみなし児を

 水にはたしかに「手足」はない。だから「水」を「手足をもがれてながれゆくみなし児」と言い換えているのだが、なぜ「みなし児」なのか。なぜ、おとなではなく、こどもなのか。
 そう考えるとき、「時に」の「時」の意味がわかれていく。
 ひとつは「ある時」、もうひとつは「時間」というものそのもの。
 ここでは「時間」そのものを「時」と読んでいる。「時(間)」が流れることによって「みなし児」の「手足」をもいでしまうのだ。
 「時間」がながれなければ、「みなし児」の「手足がもがれる」という悲惨なことは起きない。
 一回だけ「脇役」のように登場する「時」こそが、この詩の主役であり、「むなしさ」はすべて「時」に起因する。
 それを、また別の主体(火)が語る。これは、すべて主役を隠すためである。



*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(100)

2020-09-06 08:16:06 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (金にもならぬ)

窓の近くに
水でもくんでおこう

 「水をくむ」ということを、いま、何人の人がするだろうか。「汲む」ということば、そういう動きをしなくなってから「ひとのこころを酌む」ということもなくなったのかもしれない。忖度する、ということはあっても。忖度というのは「くむ/酌む」ふりをして、自分の利益を図る(組むことで自己利益に誘導する)ことだ。
                  
 以前は、水は汲んでおくものだった。いつでもつかえるように。井戸のそばには汲んだ水をためておく「もの」があった。「容器」と呼ぶようなしゃれたものではない。
 「窓の近くに」は井戸から離れている。水を温めるのだろうか。日にさらすことで「消毒」効果もあるのかもしれない。何に入っているのかわからないが、汲んだ水の水面がきらきらと日の光を反射しているのが見える。
 「汲みあげた水」をただ眺めるだけ(金にもならぬ)だけで、こころが動く。そういう時代がかつてはあったのだ。



*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(98)

2020-08-27 09:00:33 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (何も見ているわけではない)

ただ遠くのざわめきに耳を傾けているのだ
やがてそれも静まるだろう

 見ているのは「遠くのざわめき」。それは「耳を傾ける」ような性質のものではないだろう。ふつうは、ぼんやりと聞く。そして、ぼんやりと聞くから、「音」(声)は聞き取れず、ただひとの動きが見えるものだろう。
 このちぐはぐなことばの展開は、「やがてそれも静まるだろう」につづいていく。「静まる」ことを期待しているのか、「静まる」ことを残念に思っているのか。どちらでもいい、という感じしか伝わって来ない。

ぼくにはまだ関わりのないことだから

 と、この詩は閉じられるが、「まだ」ということばに、この詩の嫌な感じが凝縮している。




*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(97)

2020-08-25 12:29:06 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (何の傍らだからぼくはじつとしていられるのか)

一つの声で
次ぎの用途でことがはこばれている

 「一つの声で」と「次ぎの用途で」は同じ意味だろうか。「一つの声」を「次ぎの用途」と言い直したのだろうか。
 私は、それにつづく「こと」を「ことば」と読み間違え、しばらく考え込んだ。
 おもしろいと思ったのだ。
 具体的な「ことがら(用途)」ではなく、ただ「ことば」だけが運ばれていく。そういう世界があってもいい。
 動いているのは「ことば」だけ。そして、「ことば」とは「認識」のことである。「認識」が確実にあれば、「ぼくはじつとしていられる」と、私は読みたがっていると、私は気づいた。




*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(96)

2020-08-24 12:46:48 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ある一日)

消えたランプを持つて 目的地を失い ぼく自身を失い
それでもぼくは砂地を急ぐ どこまでも

 このとき「消えたランプ」こそが「目的地」であり「ぼく」というものだろう。いや「持つ」という動詞が「目的地」であり「ぼく」と言った方がいい。
 「動詞」を失うことができない。それが人間だ。
 だから「急ぐ」という運動も「目的地」「ぼく」と言い換えることができる。
 「消えたランプ」や「砂地」は青春が呼び寄せる「抒情」である。

 この姿は、他人から見ても「不可解」である。なぜ消えたランプを「持つ」のか、なぜ「急ぐ」のか。「ぼく」にも「不可解」であるが、「不可解」は「ぼく」を動かす力なのである。「不可解」(わからない)が「ある」ことを確認するのが「詩」である。


*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(95)

2020-08-23 22:32:23 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (中間のあらしには少しの隙間もない)

おなじ夏のつづきのように ある意味 ある頂点 そして ひたひたと
どこまでもひろがつている

 「中間のあらし」とは何だろうか。
 私には「あらし」と「あらし」の中間、一休みしている「あらし」ではないかと思えてくる。
 予感だけが、そこにある。予感としての「あらし」。


*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(94)

2020-08-21 08:36:39 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* 

ただ一羽の風見鶏だけである

 「ただ」と「だけ」によって「一羽」が強調されている。
 でも、ほんとうだろうか。
 強調されているのは「風見鶏」かもしれない。
 「ただ一羽の」「だけ」は「重複」というものだろう。
 このとき「風見鶏」に「意味」はない。「意味」を拒絶するために「ただ一羽の」「だけ」がある。つまり、「意味」は「ただ一羽の」「だけ」にまかせてしまって、無意味としての、詩としての、世界を拒絶するものとしての「風見鶏」が存在している。




*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(93)

2020-08-20 11:44:57 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (歌の彼方の長廊下をいそぐ昔のぼくを)

なぜいまのぼくが声長く呼ぶのか
時のすぎさつているぼくがどう答えられるか

 「昔」と「いま」を「長い」ということばが結ぶ。「長廊下」「声長く」。「昔」と「いま」はしたがって「長く」隔たっている。「長い時間」が横たわっている。
 でも、そこには「廊下」があるのだ。はっきりした「つながり」がある。そして重要なのは「つながり」ではなく「はっきりした」という隠された意味だろう。
 「どう答えられるか」。疑問形で書かれているが、嵯峨は答えを知っている。だから、詩を書いている。「どう答えられるか」が、答え方なのだ。「どう」が答えなのだ。
 だから、こう繰り返す。

本当の姿を追う夢のさびしさを
どう説明したらいいのか




*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(92)

2020-08-17 09:11:51 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (昨日からぼくは声が出ない)

大きな沼のほとりを歩いてきて声を失つたらしい
遠くに雷鳴がしていた

 「昨日」という時間が、「大きな沼」「遠くに雷鳴」ということばで空間化される。何か大きな「空白」がある。その空白に声がのみこまれていく。どこにも届かない。
 「声が出ない」「声を失う」。しかし、「ことば」はある。
 ただし、その「ことば」も誰にも届かない。
 むしろ逆かもしれない。「ことば」が誰にも届かない。その孤独を「声を失つた」と書いているのだろう。




*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(91)

2020-08-15 09:47:31 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ぼくの夢がたち去つていく)

血の織物着て
その道だけはどこかへたどりつくことがない

 夢が立ち去る。そこに道がある。けれど、その道はどこかにたどりついているわけではない。永遠に立ち去るという運動がある。
 あるいは「血の織物」という「もの」が残り続ける。
 「道」と「血の織物」は、この詩のなかでは、それぞれが互いの比喩として存在している。




*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(89)

2020-08-11 09:04:23 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (この狭い部屋は何だろう)

ぼくはここであまりに大きな希望をもつて時をすごした

 「時をすごした」とわざわざ「時」ということばをつかったのはなぜだろう。この「時」は瞬間ではなく、一定の期間(大きさ)をもった「時」である。
 しかし、その「一定の期間」は、こう描写されるのだ。

虹が出ていて
蝶が舞つたりする

 これは「瞬間」に通じる。そしてこの「限定」は「狭い」と呼応している。「狭い」「大きい」「瞬間」が交錯する。それを「青春(希望)」と呼ぶ。




*

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