捜索 リッツォス(中井久夫訳)
はいって下さい、みなさん--と彼は言った。お困りになることはありません。
隠すようなものは一つもないのです。寝室がここ、書斎がここ、
ここが食堂。ここですって? 古物を入れる屋根裏。
皆がらくたですよ。ね? いっぱいです。皆がらくたです。
すぐ、がらくたになってしまいますよね。これですか? 裁縫の指ぬきです。母のです。
これ? 母のランプです。母の傘。母は私がとてもかわいくて・・・。
この鋳りつけた名札は? この宝石箱は? 誰の? このきたないタオルは?
この劇場の入場券は? 彼女の? そうです。花をいっぱいに飾った帽子をかむって。
このサイン、知らぬ宛先だぞ。奴の筆跡だ。誰がここにはめこんだんだ? はめこんだのは誰だ? 誰がはめ込んだのだ、これは?
*
内戦時の捜索の様子を描いたものだろうか。捜索されているのは「隠れ家」かもしれない。何もかも処分し、どこを捜索されても大丈夫。そういう準備はしてきた。
そのはずだったが、警官(?)といっしょに家のなかを歩いているうちに、ふいに「サイン」が目に入る。
その「異質なもの」「文字」に警官は気がつくだろうか。
余裕を持って、家のなかを案内していた男の意識が急にあわただしくなる。そのあわただしさが、「このサイン、」からの1行に凝縮している。「誰がここにはめこんだんだ? はめこんだのは誰だ? 誰がはめ込んだのだ、これは?」。同じことば、同じ内容が、順序をかえて3回繰り返される。そのリズムの変化が、そのまま男の同様をあらわしている。「このサイン、知らぬ宛先だぞ。」という「は」を省略して読点「、」に代弁させたリズムがとても効果的だ。中井の訳は、そういう生きた人間のリズムをとても大切にしている。
はいって下さい、みなさん--と彼は言った。お困りになることはありません。
隠すようなものは一つもないのです。寝室がここ、書斎がここ、
ここが食堂。ここですって? 古物を入れる屋根裏。
皆がらくたですよ。ね? いっぱいです。皆がらくたです。
すぐ、がらくたになってしまいますよね。これですか? 裁縫の指ぬきです。母のです。
これ? 母のランプです。母の傘。母は私がとてもかわいくて・・・。
この鋳りつけた名札は? この宝石箱は? 誰の? このきたないタオルは?
この劇場の入場券は? 彼女の? そうです。花をいっぱいに飾った帽子をかむって。
このサイン、知らぬ宛先だぞ。奴の筆跡だ。誰がここにはめこんだんだ? はめこんだのは誰だ? 誰がはめ込んだのだ、これは?
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内戦時の捜索の様子を描いたものだろうか。捜索されているのは「隠れ家」かもしれない。何もかも処分し、どこを捜索されても大丈夫。そういう準備はしてきた。
そのはずだったが、警官(?)といっしょに家のなかを歩いているうちに、ふいに「サイン」が目に入る。
その「異質なもの」「文字」に警官は気がつくだろうか。
余裕を持って、家のなかを案内していた男の意識が急にあわただしくなる。そのあわただしさが、「このサイン、」からの1行に凝縮している。「誰がここにはめこんだんだ? はめこんだのは誰だ? 誰がはめ込んだのだ、これは?」。同じことば、同じ内容が、順序をかえて3回繰り返される。そのリズムの変化が、そのまま男の同様をあらわしている。「このサイン、知らぬ宛先だぞ。」という「は」を省略して読点「、」に代弁させたリズムがとても効果的だ。中井の訳は、そういう生きた人間のリズムをとても大切にしている。