詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(104)

2024-04-29 21:55:25 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

  アンゲロス・シケリアノスの詩が一篇だけ訳されている。詩集の最後に置かれている。「パーン」。

浜の石にも錆色の山羊の熱気にも静寂が落ち、

 「静寂が落ちる」。この「落ちる」は強烈だ。真昼の光のように、空を超える高みから、まっすぐに、垂直に落ちてくる感じがする。
 この「落ちる」と、その後の「昇る」を経て「立ち上がる」という動詞の動きがつづくのだが、「落ちる」が強烈だけに「立つ」も鮮明になる。その「立つ」は最後の行にも登場するが、それは書かれていない「立つ」を浮かび上がらせる構造になっている。
 一行だけの引用なので、まるで謎解きのような書き方だが、それが実際にはどういう行、どういうことばの動きなのかは、ぜひ、詩集で確かめてください。

 「静寂」ということばがくれば、私はついつい「つつむ」という動詞を思い浮かべてしまう。ギリシャ語がわからないからテキトウなことを書くのだが、もしその一行を読んで「落ちる」という動詞がわからなかったとき、私は「つつむ」と訳してしまうだろう。どんな国語にもコロケーションがある。私たちは、それに縛られている。詩は、そういうコロケーションを破壊し、ことばにいのちを吹き込むものだが、この一行ではアンゲロス・シケリアノスは「落ちる」をほんとうにつかっているか、ということも気になる。「落ちる」をつかっていても「こういうときは日本語ではつつむだなあ」と思い、「つつむ」と訳す翻訳家もいるかもしれない。また「つつむ」という動詞であったとしても、前後の関係から「落ちる」と解釈する翻訳家もいるかもしれない。
 中井の訳は、いつも、そういうことを考えさせる。訳詩が「翻訳」にとどまらず、新しい日本語の運動として感じられるからである。

 

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