「カリグラフィー」。
空(そら)の非在の中に
私は、後先を考えずにはじめてしまうので、こんなはめに陥るのだが、セフェリスの短い詩のなかから一行を選んで、そこに中井の訳の特徴と詩の魅力を重ね合わせ語るのは、ほとんど無謀な試みである。
途中で方針転換をすればよかったのかもしれないが、もう終わりも近い。つづけてみるしかない。
中井は「空」に「そら」とルビを振っている。前に「ナイル(河)」が出てくるから、その対比として「空(そら)」を想像するのは自然な気がするから、逆に「そら」というルビが気にかかる。ナイル河だから、その周囲に広がる砂漠を思う人がいるかもしれないし、中井は最初に砂漠を思ったのかもしれない。
何もない砂漠。空(くう)としての砂漠。何もないから「非在」ということばもやってきたかもしれない。突然やってきた「空(くう)」と「非在」。そうした抽象的な概念と戦いながら、中井は「空(そら)」と書いている。原文が「空(くう)」ではなく「空(そら)」だから……。
こんなことを想像するのは「非在」ということばがあるからだ。「非在」、何もない、だから「空(くう)」と感じるのは、私が日本人で、「空(くう)」ということばを知っているからかもしれない。
そして、その「空(くう)」が「空(そら)」ということばで否定された瞬間、そこに書かれている「非在」もまた、抽象ではなく、具体として立ち現れてくる。具体としての「非在」というものなど存在しないかもしれないが、その存在しない「非在」が存在しないことを否定されて具体になるしかないという、激しい目眩のような瞬間が、この一行に凝縮している。
詩人が書いた以上のことが、中井の訳語からあふれてくる。なんだか、全ての詩が、中井のことばをしてギリシャの詩人に詩を書かせているという感じがする。もちろん、そんなことは非現実的で、時系列的にいってありえるはずがないのだが。
あるいは、中井は「訳詩」をとおして、誰も書かなかった新しい詩を生み出していると言った方がいいのかもしれない。
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