サミット報道で、どうにもわからないことがある。
中国、ロシア、北朝鮮、ミャンマー、イランを名指しで取り上げるのなら、なぜ、イスラエルを名指しで取り上げないのか。
このことからだけでも、サミットが結局「アメリカ中心」(アメリカの世界戦略中心)であることがわかる。
読売新聞の報道によれば、バイデンは会見で「米国は価値観を共有する国々と、世界をリードする仕事に戻ってきた」と言っている。
これは「アメリカの価値観を世界に広める、アメリカの価値観以外の存在を封じ込める」である。
その象徴的な仕事が、台湾のアメリカ化である。台湾を中国から切り離し、アメリカの最前線基地にするということだろう。
民主主義の基本は、どんな意見も排除しないということにあるはずだ。
そのどんなことにもには「共産主義」も含めないといけない。
バイデンがほんとうに世界のリーダーだと言うのなら、「米国は、あらゆる価値観をもった国々との共存を目指すという仕事に戻ってきた」と言わないといけない。
サミットではコロナ対策が議題になったが、このコロナが象徴している世界の問題はひとつ。コロナウィルスは民主主義、共産主義(アメリカか、中国か)を気にしないということだ。
コロナの時代だからこそ、民主主義、共産主義の「わく」を超えて、人類が共存する方法を探る、それを実現するための「リーダー」が必要なのに、バイデンのやっていることはまったく逆のことである。
私は、一部の報道しか読んでいないが、どうにも「人類共存」へ向けての動きが提言されているようには見えない。
こんなことでいいのだろうか。
菅が懸命になって売り込んだ東京オリンピックについて「新型コロナに打ち勝つ世界の団結の象徴として、安全・安心な形で2020年東京五輪・パラリンピック大会を開催することに対する我々の支持を改めて表明する」というのだけれど、「団結」の一方で、ある国々を「排除」していては、意味がないだろう。