詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

杉惠美子「秋の階段」ほか

2024-11-30 23:01:39 | 現代詩講座

杉惠美子「秋の階段」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2024年11月18日)

 受講生の作品。

秋の階段  杉惠美子

秋の階段を登ったら
銀杏の色に染まってしまって
自分を見失ってしまった

秋の階段を降りたら
川に落ちて
落ち葉と一緒に流れてしまった

秋の風は
窓を探して迷ってしまって
空に舞い上がった

やがて秋の風は
人の心を優しく包み
穏やかな風となってあたりを静かに包んだ

その白い風の中から
私は
何かを手繰り寄せたいと思った

離れて自分を観る
今年の秋が
そこにあるかもしれない
 
 受講生の声。「連の進み方が詩。秋の風は、春や夏の風と違って白い。その白い風がいい」「途中で風が主体になる。最後の、あるかもしれない、が印象的」「四連目までは、杉さんらしい詩的表現。最後の二連に飛躍がある」「終わりから二連目の、何か、というのはわからないもの。そのわからないものをつかもうとしている」
 受講生のひとりが言った「途中で風が主体になる」という指摘は、この作品のポイントだと思う。
 一連目は、いわゆる比喩。私が銀杏色に染まり、銀杏と区別がつかなくなり、自分を見失ってしまう。論理が動いている。ところが二連目では「川に落ちて」とある。私は実際には「川に落ちて」などいない。落ちたのは落ち葉である。落ち葉を見たとき、杉は落ち葉となって、川に落ちた。まあ、これも比喩ではなるけれど、この比喩は二段階に動いている。つまり加速している。別なことばで言えば、ことばが暴走している。ことばの暴走が詩なのである。書かれていることは「うそ」なのだけれど、ことばが加速していくときのエネルギーに「うそ」がない。そういうところに、詩が存在する。
 三連目に注目する受講生はいなかったのだが、私は、ことばの暴走の点から見ても、この連はおもしろいと思う。ここには「ま」の音の繰り返しがある。一連目にも「ま」の音はあるのだが、三連目の方が、何といえばいいのか、「無意味」である。「窓」が登場する必然性はない。(と、私は感じる。それが「無意味」という意味である。)「迷う」「舞い上がる」とイメージが暗くなるのではなく、明るく軽くなっていくところも、無責任(?)でいいなあ、と思う。こういうことも「無意味」につながる。杉は、きちんと「意味」をこめて書いているのかもしれないが、私は「意味」を考えない人間なのか、こういう「意味」を離れる「音」というものに強く刺戟を受ける。
 谷川俊太郎の「鉄腕アトム」の「ラララ」と同じである。「音」だけになって、そこからほんとうに何かが加速する。
 この詩も、一連目、二連目の展開の仕方は、いかにも「秋」、センチメンタルな美しさに満ちている。それが「ラララ」ではなく「ままま」を通して「私」ではなく「風」に重心が移る。(受講生のことばで言えば「主体」が変化する。ほんとうは私の考えとは違うことを言っているのかもしれないが、私は、そう言っているのだろうと「誤読」する。)
 しかし、ほんとうに「主体」が完全に入れ代わったのではなく、「私」もまだ「私」のまま動いている。「風」も「私」も、「自分」なのだ。
 で、「離れて自分を観る」という哲学的なことばがぱっとあらわれるのだが、このあたりの「呼吸」が軽やかでいい。感傷に溺れない清潔さがある。

星とかえる  青柳俊哉 

高木のうえでかえるがうまれる
吹きならす星のような酸漿(ほおずき)
 
空の水面に
声の輪がひろがり無数に波立つ
 

絶えず星へむかってかれは吹く
身体の深みから知覚できないものの肌へ
貝を吹きならすように
 
星がそよぎ岩が鳴る
光に乗せてゆらぐ輪を返す
 
かれはすべての星の声を聴く
かれは世界の星の声と合一する 
原初の星がうたう

 「かえるには、カエルと帰るが重ね合わさっている」「星とかえるがつないでいるのが不思議。かえるの表現もふつうとは違った描写」「星とかえるの組み合わせにびっくり」
 重ね合わせる、ひとつのことばにいくつかのイメージが重なり、ひとつに整理できない。その未整理を「混沌」と呼んでもいいかもしれない。詩は、その「混沌」のなかから、それまでになかった姿としてあらわれてくるものだろう。
 私は、この詩では「吹く」という動詞に注目した。酸漿を「吹く」、(ほら)貝を「吹く」。そのとき人間ならば、ほほが膨らむが、カエルなら腹が膨らむのか。強く「吹く」ためにはほほを膨らませ、唇を狭くする。風圧をコントロールする。何かを動かすためには、そういう「矛盾」というか、一種のコントロールが必要だが、そうしたコントロールを意識するとき「合一」ということがおきるかもしれない。「星の声」と「かえるの声」が「合一」するとき、星とかえるの、自分の声をコントロールする力こそが「合一」のものになっているかもしれない。
 「表現/声」よりも、混沌としたエネルギーをコントロールする力が、世界を「一体化」するのかもしれない。「身体の深みから知覚できないものの肌へ」と青柳は書くのだが、私は「知覚できない」ものは、「身体の深み」にあるエネルギーそのものであると、逆に読むのである。それは直接知覚できない。しかし、それをコントロールしようとする力のなかで、反作用のようにして身体の存在そのもののように感じられてくる。「星とかえる」と青柳は書くが、それは青柳の二つの別の呼称だろう。


空はなぜ青い?  池田清子

そんなこと 考えたこともなかった
生まれたときから
昼間の空は青かった
灰色の空を見て
憂いを感じる子供ではなかった
雨の日に
雨音を楽しむ子でもなかった
晴れた日にだけ
外を見ていたにちがいない

なぜ 青い?

なぜ? って思ってたら
科学者になってたかも
太陽や地球、空気、光、色
水素だとかヘリウムだとか
それはそれで
愉しかったにちがいない

でも
もし
空全体が
緑一色だったら?
黄色一色、紫一色だったら?
どうしよう って思う

もし
空全体が
しましまの虹色だったら?
って思う

 「おもしろい。夕日が赤いのは、恥ずかしがっているから。空が青いのは、海が青いから、などとこどものとき言っていた」「最後の二連、特に、しましまの虹色が池田さんらしい」「考えたことがなかった。 晴れた日にだけ/外を見ていたにちがいないと書いているけれど、私はこどものとき空を見上げなかった」
 「考えたこともなかった」が「憂いを感じる子供ではなかった」「雨音を楽しむ子でもなかった」と繰り返され、加速したあと、「ちがいない」「ちがいない」の繰り返しのなかで、科学的な感想が、空想にかわっていく。そして、「どうしよう って思う」が出てくるのだが、このあとが、ちょっとおもしろい。最終連は「どうしよう って思う」ではなく、単に「って思う」。
 これは、「どうして」だと思う? なぜ「どうしよう」がないのだろうか。「どうしよう」とは思わないのだ。ここには「不安」ではなく、「願い」が書かれている。「虹色」から何を連想するか、ひとそれぞれだろう。池田は何を連想したのか。「平和、しあわせ」。それが「しましま」に織りなされているのだとしたら。

 

 

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