考えの対象になることを好まない、という書き置きをして、その「ことば」は一冊の本のなかから逃げ出した。
その「ことば」は、その本のなかには存在しないが、その本のことを考える読者の思索のなかには存在する。あるいは、その「ことば」について考えるひとの思索のなかに存在する。「ことば」の意志に反して、そういうことが起きる。
「ない」というのは、そういうことだ。
「ない」になろうとした「ことば」がある。そして、その「ない」ということに反するように、「ある」が存在してしまう。
可能的なものは、その根底に非存在を持つのか。
(安部公房『他人の顔』を、このことばから対象化できるか。)
これは、また別のメモである。