哲学の科学

science of philosophy

日本人論の理論の理論(3)

2021-06-05 | yy78日本人論の理論の理論


日本人だからその行動をするという人は多い。ボランティアや公務員だけでなく、協力、参加、取引の対象に同じ日本人を選ぶ。無意識的に自分が日本人であるというアイデンティティが働いています。

日本人だから、という理由付けで自他ともに納得しています。日本人ならばだれでもそうなのか?日本人は日本人を対象として行動する。日本人に聞くと日本列島ではどこでもそうであるようです。しかしこのような話はどこの国でも通る話なのでしょうか?

こういう現象の原因について、日本は島国だからとか日本語だけが使われるからとか単一民族だからとか、自明のようにいわれます。それはそうであるかもしれません。しかしたとえば江戸時代の人々は、自分はまず日本人である、とは思っていなかったでしょう。どうしてもここには近代の歴史というものが決定的な因子として影響していると考えられます。
江戸時代には庶民だけでなく支配階級、知識人であっても、自分をまず日本人とは思っていなかったようです。まず徳川直参であるとか、江戸っ子であるとか三河人であるとかは思っていたでしょうが、日本人であるという意識は明治以降の日本人よりずっと薄かったでしょう。
しかし明治になってしばらくすると、日本人はいつの間にか日本人でしかなくなっていました。世界は日本人と日本人でない人からなりたっている、となりました。明治維新における大変化は多々あるでしょうが、日本人が日本人になった、という歴史的事実は大きい。
現代でも、「日本人は外人と違うから・・・」とか日常会話で使われていて、それを話している人は、当然自分は日本人だ、と思っていますね。
このような事情が、各日本人論の背景にあります。









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日本人論の理論の理論(2)

2021-05-29 | yy78日本人論の理論の理論


拙稿本章での興味は、なぜ日本で特にこの種の議論が盛んなのか、なぜそれらが面白いのか、です。
日本は、江戸時代までは国内で完結する高度な自律的文化を持っていた、といえます。少なくとも二百数十年の鎖国の間、それが急激に変容することはなかった、といってよいでしょう。
黒船に代表される幕末の西洋文化の流入は当然最大の文化変容をもたらしました。当時の地政学的リスクを痛感していた明治新政府は、開国進取、富国強兵を国是とし、チョンマゲを切り小学校を全国に普及させました。
生糸を輸出し軍艦を輸入しました。その政策は功を奏し、日清日露戦争を勝ち抜き、第一次世界大戦の勝ち組としてついに世界列強(一九一九年ベルサイユ条約五列強:英仏伊米日)になりあがりました。
わずか半世紀で日本のパワーは西洋諸国に追いつきました。これは革命的発展といってよいでしょう。この大成功によって日本人はどうなったのか?このテーマが、すなわち日本人論の起源といえます。

さて現代日本人は自分を日本人だと思っています。
まず日本人である。日本人である前に人間である、などといってもふつうの場面でそうは考えていません。まずアジア人である、とか極東人である、とかはふつう思っていません。
なぜ自分はまず日本人なのか?

筆者は赤いタオルの鉢巻をした老人がテレビの現場インタビューで答えた場面での「わざわざじゃないですよ。日本人だから。言葉が通じるから私は日本中どこでも行きます(二〇一八年 尾畠春夫)」という言葉をはっきり記憶しています。この事件は、山口県の山林で三日間行方不明だった二歳児が、三八〇人の捜索隊の活動によってではなく他県から来た老ボランティアが現場到着三〇分後になしとげた快挙によって発見され、無事保護されたというものです。








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日本人論の理論の理論(1)

2021-05-22 | yy78日本人論の理論の理論


(78 日本人論の理論の理論  begin)




78  日本人論の理論の理論

日本人論という理論カテゴリーがあります。日本人について論じる考察のことです。昨今、インターネットやマスコミや出版物にあふれるばかりあります。しかし、これらの中身はともかく、一番の特徴は、こういうものが日本国内でよく読まれる、売れる、ということでしょう。
日本人ほど自らの国民性を論じることを好む国民は他にないようです。最近の傾向ではなくて前世紀あるいはそれ以前からこうであったらしい(一九九四年 南博「日本人論―明治から今日まで」)。
これら出版物あるいはコンテンツの特徴は、慨していえば、日本人は特殊である、という主張が圧倒的に多い。当然、西洋人とは違う。さらに他のアジア人とも違う。どう違うか、それはなぜか、なぜ問題なのか、という観点で論じられるようです。
これら日本人論の個々の中身は広くバリエーションに富んでいてその分類もまた興味深い議論を呼ぶところですが、拙稿ではさらにその背後にある共通の理論のまた理論、つまりなぜこれらの話が語られるのか、私たちにとってなぜそれが面白いのか、という観点から考えてみましょう。

明治以来、西洋から移入された制度やそれに伴う思想と文化が江戸時代からの伝統文化と衝突する場面で、彼我の感覚的差異、権威が移行する場面での齟齬、それに伴う不愉快な違和感などが生じたでしょう。
それに触発されて彼我の身体と個人能力の差異に関する劣等感とそれへの反発をはじめ自国の制度、システムへの批判、改善要求、逆に現状の擁護などの議論が沸き起こってきます。これは世界中、異文化の交流が起こる場面では当然起こる現象ですが、諸外国に比べ特に日本で著しい、と観察できます。
これらは異文化の流入に対する集団心理的反応、さらにそれに喚起される国民のアイデンティティの危機意識、あるいはその不安定化への不安からくる、とみることもできます(二〇〇三年 船曳建夫「日本人論再考」)。
土着文化と外来文化との衝突は世界史上どこの国でも起こっていることです。よく知られている民族大移動、侵略征服、植民移民、布教活動などに伴って文化間の軋轢が起こります。ある民族文化が急激に変容していく場合、その文化の本質は何か、アイデンティティは何か、という考察は当然なされるでしょう。その文化圏内外の知識人の研究対象となります(紀元前四三〇年 ヘロドトス「歴史」など)。





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