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秩父事件、井上伝蔵の隠れ家(蔵)を訪ねる。 その1

2014年08月15日 | 紀  現場にアタック、何でも

時代は経過して、の跡地は夢のあと。

秩父事件とは

1884(明治17)年10月31日から11月9日に掛けて、
埼玉・群馬・長野などの民衆数千人が 負債の延納、雑税の減少などを求めて武装蜂起した。

 山国秩父では、江戸時代なかば以来、養蚕がさかんだった。
 農民たちは、石だらけの傾斜地に桑を植え、蚕を飼って糸をとった。 

『昔、秩父には、゛秩父暴徒〝という大変に恐ろしい出来事があった』と、
お年寄りが話していたことを、私は、記憶している。


井上伝蔵

井上伝蔵、安政元年6月生まれ - 大正7年6月23日は、
秩父事件の中心人物の一人。


井上伝蔵氏が隠れたの最奥地からの眺め


母屋と物置を残すのみ


上の説明に同じ

            
*印

井上伝蔵が隠れていた蔵の跡地
この詳細は下記に説明


通じる道
当時は母屋の裏から通じていたといいますが、広い新たな道が南に出来たため
昔の面影はない。


入り口の道筋に山吹の花

*七重八重山吹咲けど隠れ家は
                     代々変わり話し途切れし

井上傳蔵の隠れ家

小生もこの辺は、遊びに行ったのでよく知っている。
蔵があり、大尽であったと言うイメイジが強い。

幼少期には、そんなことはつゆ知らず、
秩父暴徒=秩父事件と言う位で、
井上伝蔵隠れ家などということは、全く知らなかった。

月日が経過して、65年ぶりに訪れると
天と地の違いでした。
付近の様子やら道筋さえ違っていた。

間違えて隣の家を尋ねると、この下(しも)の家だと教えられた。
談・・・・・・。
・・・しかし尋ねても、お婿さんですから(井上伝蔵隠れ家)知らないでしょう。
・・・と、アドバイスを頂いた。


斎藤家のご主人 談

写真*印の付近を指差しながら、
この辺に有ったと言う事は聞いています。
しかしこの家に、婿入りした時は蔵は既に無く、
多くの方たちが訪ねて来られますが、失礼の有様です。
・・と、言いながら現地を案内してもらいました。

やはり燐家の方がおっしゃる通り詳細は皆無でした。

指差した先は、*印 草ぼうぼうでした。
・・・・兵どもの 夢の跡。

                                         その2へ続きます

コメ欄はその2を開いております。

 


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