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秩父事件、井上伝蔵の隠れ家(蔵)を訪ねる。 その2

2014年08月16日 | 紀  現場にアタック、何でも

 死ぬ直前に一部始終を家族に語る。

潜伏先(蔵の中)に、二年間

事件の直後、数日潜伏の後、
伝蔵の実家と村役人仲間で親しい間柄だった実家近くの

下吉田村関の斎藤家の土蔵の二階に二年間匿われていた。

ところが、蔵の中で息を潜めていたのではなく、六法全書を読み、

階段を昇り降りして身体を鍛えていた。

井上伝蔵の告白から

大正7年6月24日、事件逃亡を続けていた会計長井上伝像は、
逃亡先の北海道で亡くなりました。


伝蔵は『伊藤房次郎』という偽名を使い、籍を入れなかったものの
妻子をもち暮らしていた。


亡くなる直前、家族に対して『井上伝蔵=欠席裁判で死刑の宣告を受けた、首謀者である』
と告白して、新聞記者に秩父事件の真相を包み隠さず語った。


伝蔵、臨終の床、草の乱からお借りしました

その述懐は、大正7年7月4日から8月2日まで『釧路新聞』に掲載され、
大きな反響を呼びました。

 

 

 井上伝蔵の詳細については、ここです

 


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9 コメント

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相通じる・・・ (どんこ)
2014-08-16 09:22:13
自由民権運動の影響を受けていた点では
当市の宮崎兄弟に通じるものがありますね。
当市では生家に「宮崎兄弟記念館」が設立され
その功績を後世に伝える努力をしています。
ここです。http://www.city.arao.lg.jp/seika/

井上伝蔵について、改めて勉強したいと思いました。
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夢のあと (比企の村びと)
2014-08-16 09:54:47
秩父下吉田、関耕地、そこまでは井出孫六の小説で知っていました。戸井田昌造さんも井出さんと一緒に歩いているのですね。
地図で関耕地を検索してみました。秩父に通ずる道の脇にそれた谷の行き止まりのようですね。
かくまった斉藤家の義侠を感じます。

農村地帯の土蔵、母の実家に一かも長い間半分崩れて放置されていました。今は解体されただろうか。「蔵持唄」に歌われるように蔵は篤農家の象徴でした。

素晴らしいレポートありがとうございました。
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どんこさん (縄文人)
2014-08-16 11:37:28


「宮崎兄弟」
は現在進行形の朝ドラが有名で、だいぶ見学者の方が増えたでありましょう。

秩父事件は自由民権運動・・・ということで、あんがい有名ですが、個別の人になりますとなかなか事細かに当たるのは億劫に成ります。
その昔、
聞いたことがあり又本で読みましたので、訪ねてみました。
何もなし、夢のあと
返信する
比企の村びとさん (縄文人)
2014-08-16 11:49:17


ヒキノさんのような実際に苦労しながら、調べ上げて『秩父事件の足跡をたどる』丹念に訪ね歩く。
いやはやたいした物です。
今日は休みですから、スライドショウを再度見終わったので、細かな記事を読もうと思っています。

おっしゃるとおり、関耕地は行き止まりです。
行き止まりに溜池があり、釜の上付近の水田地帯の用水に利用された池です。

蔵は遠い昔壊され、『兵どもの夢のあと・・・・』
でした。
行こうと思っていた場所に足を踏み入れ、心のわだかまりが落ち着きました。
細に入り検証ありがとう御座いました。
返信する
秩父事件 (momomama)
2014-08-16 22:24:06
縄文人さん こんばんは。
私は 知りませんでしたが
読んでみたくなりました。
ノンフィクションでも小説でも、 その舞台となったところを
訪ねてみることは 理解を深めますよね。。

かくまうって数日間ならまだしも
よく長い期間 見つからなかった・・・
これが素晴らしいことだと思いました。。

小説を読んでみたいです。


返信する
ぜひお読みください (縄文人)
2014-08-17 07:57:09


波乱万丈に満ちた、井上伝蔵の生涯。

秩父・吉田に生まれる。~商売の為東京によく来る、(自由民権運動に洗脳される)~東京の女性お嫁さんに~秩父事件に傾倒する。~商家のため会計長に~事件首謀者として奔走~事件は暴徒があちこちてんでんバラバラになって終結。~井上伝蔵 山の中に隠れたり、その後今回取り上げた隠れやに2年間、~欠席裁判で死刑を言いわたられる
~北海道に渡る~籍を入れない再婚・偽名で通す、3人の子供をもうける

亡くなる時、事件の一部始終を新聞記者の前で語る。
一大新聞記事として世間の注目を浴びる

返信する
追加 (縄文人)
2014-08-17 07:59:34
 ↑ぜひお読みください  は

momomamaさん宛でした。
返信する
素晴らしい探求心 (kimama)
2014-08-20 21:20:00
秩父事件の足跡をたどる記事をありがとうございました。
農民が蜂起せざるを得ない背景に同情します。貧困の改善は武家時代の農民一揆でも訴えてきたし今日でも世界には紛争の種の一つとして絶えません。
上に立つ者として見せしめ的に処分するのは汚い常套手段ですね。根本が解決されず他に方法が無ければ虐げられた人々の蜂起も支持したくなります。

返信する
kimamaさん (縄文人)
2014-08-21 06:20:22


小学生のころは、暴徒・暴徒と呼んでいた。
何のことかあまり知らなかった。今思えば暴徒の家の子供さんも学校・・・・・へ。

祖母から良く聴かされました。
椋神社に集まった暴徒は、高利貸の家に隊伍を組んで県道を向かった。
その向かう姿が、頭に鉢巻き、竹やり、ムシの旗を掲げて、隣のを通り過ぎるのが見えた。喚声を上げて行くのが聞こえたという。
後で聴いた話ですが、隣家の家の人も蜂起したと聞きました(家は今は無し)

井上伝蔵の家は跡形もなく、説明案内板がたつのみです。
尋ねた蔵の様子もご案内の通りです。

  *谷間の秩父事件や隠れ家を
              訪ねて見れば語る人なし
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