♪ 里の秋 作詞 斎藤信夫 ・ 作曲 海沼 実
歌 川田 正子
静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ母さんと ただ二人
栗の実煮てます いろりばた
明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
ああ父さんの あの笑顔
栗の実食べては 思い出す
さよならさよなら 椰子の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ父さんよ 御無事でと
今夜も母さんと 祈ります
〔里の秋は、川田さんが最も好んで歌った曲。
この曲は外地から引上げ船が日本に入港するとき
必ず船上や、港で流され引揚者の方々の涙を誘ったという〕
川田さんは、
2006年1月22日夜、入浴中に意識を失い、病院に搬送されたものの、
そのまま息を引き取った。71歳だった。
昨日、2月5日〔日〕都内某所で川田さんの音楽葬が行われ多くの方々が駆けつけた。 私たちは、戦中・戦後貧しい時代に川田さん童謡をラジオから流れるメロディーを口づさみながら勇気と元気を貰い生き抜いてきた。
ご冥福をお祈りします。
NHK深夜便『川田正子さんを偲ぶ』特集
ミカンの花咲く丘、汽車ポッポ、とんがり帽子の時計台、蛙の笛、おサルの篭や、
数え上げたらきりがない。
「あのころは“空襲の音を聞かない日はあっても、川田正子の歌を聞かない日はなかった”と言われるほど、一日に何回も私の声がラジオから流れていました」。
当時のラジオ番組はすべて生放送。
空襲警報が出ると、交通機関がストップするため、
7時半からのゴールデンアワーに出演する大人の歌手がスタジオに来られなくなる。
そのため、NHKのすぐ近所に住んでいた彼女が急きょ、呼び出されて、代理としてうたうこともしばしばあったという。
このような川田さんのエピソードから始まり、
午前2時から3時の間、宇田川アンカーの司会で、
思い出話、リスナーの便り、数々のヒット曲がながれた。
また、
ラジオの新番組「空の劇場」の公開生放送=(伊東と大手町をマイクで結ぶ中継)が
静岡・伊東の西小学校体育館で
行われることになり、
前日、海沼氏と一緒に、伊東に向かった。
「先生が“ま~ちゃんに新しい歌を作ってあげよう。みかんの歌がいいね”とおっしゃったの。でもね、当時は並木路子さんの“りんごの歌”が流行っていたから作詞の加藤先生が“みかんの歌じ ゃ二番煎じみたいでイヤだ”と言って、
曲のタイトルを“みかんの花咲く丘”にしてくれました」
『ミカンの花咲く陸』のエピソウドも紹介された。
最後の言葉で、現代はさまざまな音楽があり
若者はテンポの早い歌、熟年者は歌謡曲と歌われていますが、
少々童謡の影が薄れています。
昔の名曲・童謡を歌い継ぐことにより心の豊かさ、音楽の美しさを知ることになる。
是非・お子さん、お孫さんに伝えて欲しいと結んでいた。
〔過日、「今日のメモ」で川田さんを取り上げましたが今日も書きました〕過日「今日のメモ」で書きましたがあえて今日も・・