AパートとBパートであまりの落差に驚愕!
というか、Bパートの最後の場面は、マジで、ええ、ここで終わり?!、って思ったものね。
いや、何でここで釣り?って冒頭を見た時には正直思っていたけど、このBパートの展開を考えると、緩急を考えた構成で、思わず脱帽! って感じだった。
実際、この展開はホント上手いなぁ。
何と言っても、今回のボス戦がマジでヤバイ!って思わせる展開だから。
だって、キリトとアスナの他には、結局、ヒースクリフが例の無敵盾で防御しながら立ち向かってるだけだし。要するに、プレイヤーの力量がそのまま現れてしまう。
というか、あのボスの造形、マジで気持ち悪いし。
そして、あのボス戦が始まったところからの画面の動きが、もうパない。
キリトやアスナだけでなくヒースクリフの動きも素晴らしいし、
回転木馬のようにグルグル回る戦闘場面も素晴らしい。
仰角のアングルでの描写も素晴らしい。
そういう意味では、Aパートだけでなく、ここまでの12話のタメをうまく使ってきてるな、と思った。サチのエピソードがどれだけキリトにとってトラウマになっているかを何度も描いてきたからこそ、リアリティをもたらす、このボス戦のヤバさだよね。
もちろん、そのボスに対峙できる力量を持つ数少ないプレイヤーの一人、ということも、二刀流に至った道をちゃんと描いてきたからこそ、生きてくる。
そういう意味では、シリーズ構成がよくできた物語。
原作既読なのだけど、実は、あれ、この先どうなるんだっけ?という感じがしてしまうほど。
とりあえず、次回でSAO編は終わりのようだから、ああ、ああなるのね?という風にも思ってるわけだけど、でも、次回が楽しみ。キリトとアスナの連撃が果たしてボスに通じるのかどうか。
ホント、ここに至って、画面に力が宿ってるよなぁ。
しかし、そうなると、このSAOでは、一体原作のどこまで進むのだろう。AWと同じように、4巻ぐらいまでが目安なのだろうか。。。
それにしても、結局、このSAO物語は「死ぬ」ことが何か、ずっと考え続ける物語だと思う。
そして、その反転として、生きることが何か、を問うてしまう。
今回、アスナが言っていた、リアルの方の体が受けている、いわば植物状態の身体の介護があるわけで、そちら側での身体の限界もある。
サチに代表される、SAO内での消滅=死、もある。
あるいは、前回のユイのように、AI的存在のカーネルを結晶化させることもある。
死ぬことの意味がとても観念的になる分、生きることの意味にも幅が出てくる。
原作を読んでいて、そういうことには気づいていたつもりだったのだけど、やっぱり映像にするとよりそういう部分がグッと来るように演出されていて、物語全体として考えることができてしまう。
そういう意味では、AW同様、SAOも映像化されてよかった、と思う。
しかし、キリトの二刀流を見ていると、もう、その流儀ないし遺伝子が、黒雪姫に伝授さているようにしか見えないね。
いわゆる、黒と白の隔世遺伝的転生のように見ると、キリト→黒雪姫なら、アスナは誰かということになるけど、それがハルユキなのか、それとも黒雪姫の姉(普通に考えたら、白雪姫だよねw)のことなのか。
だんだんそういうものに見えてくるから不思議。
直接的には、アスナがナーブギアを被ったのはキリトに会うためだった、というセリフからの連想なのだけど。
でも、そういう意味付けはやっぱりいいよね。
ということで、次回が楽しみ。
というか、Bパートの最後の場面は、マジで、ええ、ここで終わり?!、って思ったものね。
いや、何でここで釣り?って冒頭を見た時には正直思っていたけど、このBパートの展開を考えると、緩急を考えた構成で、思わず脱帽! って感じだった。
実際、この展開はホント上手いなぁ。
何と言っても、今回のボス戦がマジでヤバイ!って思わせる展開だから。
だって、キリトとアスナの他には、結局、ヒースクリフが例の無敵盾で防御しながら立ち向かってるだけだし。要するに、プレイヤーの力量がそのまま現れてしまう。
というか、あのボスの造形、マジで気持ち悪いし。
そして、あのボス戦が始まったところからの画面の動きが、もうパない。
キリトやアスナだけでなくヒースクリフの動きも素晴らしいし、
回転木馬のようにグルグル回る戦闘場面も素晴らしい。
仰角のアングルでの描写も素晴らしい。
そういう意味では、Aパートだけでなく、ここまでの12話のタメをうまく使ってきてるな、と思った。サチのエピソードがどれだけキリトにとってトラウマになっているかを何度も描いてきたからこそ、リアリティをもたらす、このボス戦のヤバさだよね。
もちろん、そのボスに対峙できる力量を持つ数少ないプレイヤーの一人、ということも、二刀流に至った道をちゃんと描いてきたからこそ、生きてくる。
そういう意味では、シリーズ構成がよくできた物語。
原作既読なのだけど、実は、あれ、この先どうなるんだっけ?という感じがしてしまうほど。
とりあえず、次回でSAO編は終わりのようだから、ああ、ああなるのね?という風にも思ってるわけだけど、でも、次回が楽しみ。キリトとアスナの連撃が果たしてボスに通じるのかどうか。
ホント、ここに至って、画面に力が宿ってるよなぁ。
しかし、そうなると、このSAOでは、一体原作のどこまで進むのだろう。AWと同じように、4巻ぐらいまでが目安なのだろうか。。。
それにしても、結局、このSAO物語は「死ぬ」ことが何か、ずっと考え続ける物語だと思う。
そして、その反転として、生きることが何か、を問うてしまう。
今回、アスナが言っていた、リアルの方の体が受けている、いわば植物状態の身体の介護があるわけで、そちら側での身体の限界もある。
サチに代表される、SAO内での消滅=死、もある。
あるいは、前回のユイのように、AI的存在のカーネルを結晶化させることもある。
死ぬことの意味がとても観念的になる分、生きることの意味にも幅が出てくる。
原作を読んでいて、そういうことには気づいていたつもりだったのだけど、やっぱり映像にするとよりそういう部分がグッと来るように演出されていて、物語全体として考えることができてしまう。
そういう意味では、AW同様、SAOも映像化されてよかった、と思う。
しかし、キリトの二刀流を見ていると、もう、その流儀ないし遺伝子が、黒雪姫に伝授さているようにしか見えないね。
いわゆる、黒と白の隔世遺伝的転生のように見ると、キリト→黒雪姫なら、アスナは誰かということになるけど、それがハルユキなのか、それとも黒雪姫の姉(普通に考えたら、白雪姫だよねw)のことなのか。
だんだんそういうものに見えてくるから不思議。
直接的には、アスナがナーブギアを被ったのはキリトに会うためだった、というセリフからの連想なのだけど。
でも、そういう意味付けはやっぱりいいよね。
ということで、次回が楽しみ。