第1巻の『悲鳴伝』が2012年4月の発刊なので、足掛け6年に亘るそらからくんの地球との戦い、最終章。
一体ぜんたい、どんな結末を、そらからくんは、空挺部隊は、そして、人類は迎えるのか?
ということで、スペース、空けときます。
『悲球伝』との2ヶ月連続の発刊で大団円、・・・
なのだけど、『悲終伝』を読んでから振り返ると、両方まとめて1冊くらいでちょうど良かったかなぁ、というのが正直なところ。
それくらい『悲球伝』は冗長、・・・、というか、とりとめがなかったかな。
正直、話がどこに向かうか、見えないまま、3分の1が過ぎ、3分の2が過ぎ、気がつけば、え?、火星なの?、ってところで終わっていたわけだから。
まぁ、西尾維新らしい、といえば、らしい、のだけど。。。
しかし、終始、この最終巻では、「ジャイアント・インパクト」が活躍してたw
月を地球に落として、もう一つの地球を創る、という「ジャイアント・インパクト」と、
言動においても行動においても重要局面に常に登場していた魔法少女ジャイアント・インパクトこと地濃鑿w
てか、正直なところ、地濃、便利に使いすぎじゃない?
ワイルドカードすぎでしょ?
だから、終わってみれば、このシリーズは、結局、地濃鑿の物語だった、ってことだよなー。
そらからくんが活躍したのは、あくまでも第1巻の『悲鳴伝』だけで。
あとは、基本的に、そらからくんは狂言回しにすぎなかった。
まさに語り部。
なので、『悲球伝』のように彼が登場しないと、そもそも話がどこに向かうのか、見当がつかない。
あ、そうか、あれも、一冊、地濃鑿が登場し得ないから、ノリとツッコミがなくて、いまいちだった、ってことになるのかな。。。
うーん。
あとは、やっぱり、杵槻鋼矢。
彼女の存在が、ここ一番では、圧倒的だった。
そういう意味では、最後に、むりやり「悲恋」を事実上、花屋瀟にしてしまったのも、もうそれだけで、フィナーレが始まっている感じだったかなぁ。。。
正直、まだ、ちょっとシリーズを消化しきれてないので、また書くかもしれないけれど。
難しいなぁ。
そらからくん自体は嫌いではなく、彼の戯言ではない行動力、というか、死神ぶりが魅力的だっただけに、最後の方は、ちょっと丸くなりすぎたかなぁ、とは思うよね。
まぁ、過去の西尾維新のシリーズを考えれば、本編終了後は、定期的にスピンオフをだらだらと書き続けていくのが常道なので、多分、地濃鑿のスピンオフは遠からず始まるよね。
てか、最終巻の最後でいきなり飛んだ100年間の間のエピソードをいくらでも書けるだろうから、その意味でも賢明な終わり方だよね、今回の幕引きは。
もともと、地球と一介の少年が対峙する、というスケールが全く合いようがない設定だったから仕方ないと言えば仕方ないけど、それにしても荒唐無稽だったなぁ。
カッコよくいえば、最後は、今どきのAIやらシンギュラリティを含めて「生命とはなにか」という話に突き進んでいたからね。
もっとも、第1巻が出たタイミングが、311の一年後だから、地球をヒール役にするのも、ある意味で時宜にかなっていた。あの頃、地球が天罰を下した、なんてしたり顔でいうひとたちもいたのに対して、西尾維新は、だったら地球を敵認定して、地球に優しい云々なんてバカなことをいうのはやめようぜ、という感じの、彼らしい皮肉たっぷりの逆バリの展開だったわけで。
その逆バリぶりでいけば、今回も、いやー、世間ではAIとかバイオとかを危険視する話が多いけど、それで延命できたり、生き返ったりできるんなら、万々歳じゃないか!、そもそも今ある問題の多くが無効になるよね、・・・、という感じの終わり方だったなぁ、と思う。
西尾維新らしい、超サーカスティックな落とし所w
もっとも、その結末に至るまでがとにかく無駄に長いから、普通の人は追えないよね。
正直なところ、このそらからくんのシリーズで、西尾維新は最後かなぁ、という気がしている。
あ、いや、過去のシリーズのスピンオフは、多分、なんだかんだいって読んじゃう気がするけど、今後新たに始まるシリーズについては、もうちょっとついていけないかな。
その意味では、いつまでも成長せずに西尾維新のまま、というのある意味ですごいとは思うけど。
舞城とか冲方とか辻村とか、同じ時期にデビューしてた作家が、みな直木賞や芥川賞の候補者とか受賞者になっているのに、西尾維新は相変わらず、戯言一本だもんね。
特に『悲球伝』とか、ホントに「謎のシチュエーション」を無理矢理つくって、その状況の解釈の仕方について延々と自問自答を繰り返していく・・・ようなところばかりで、それを、なんだかんだ言って真面目なキャラである鋼矢と花屋が語ると、どうしようもなく正論すぎて息を抜くところがなかったのがきつかった。
そらからくんの場合は、地濃や氷上さん、あるいは左右左危博士がいて、突っ込んでくれるからなんとかなってるだけで。
てか、『悲衛伝』以後の宇宙編では、そこが人工衛星「悲衛」の内部とわかっているからなおさらだけど、ひたすら閉鎖空間の中で、相手を変えては、あれこれ話すだけだもんね。
あー、わかった。だから、『悲衛伝』以降は退屈だったんだ。
仮にも四国編は、まだ、動きがあったからね。突如、場面が展開して、いきなりそらからくんがピンチに直面するとか、びっくりするような展開は、やはり多かったから。
当時は、アクションも一応、あったしなぁ。
宇宙編は、そういう意味では、全編、瞑想だけの世界のようなものだからね。
そういう意味では、やっぱり、『悲亡伝』以降が、大掛かりな蛇足だった、ってことだよね。
四国編はまだ、いくばくかのリアリティがあったけど、宇宙編はもう、惑星や太陽の擬人化とか、訳わからなかったしな。
そういう意味では、やっぱり、これは失敗作なんだろうな。
突き詰めると、『悲鳴伝』で終わりにしておけばよかった感じかなぁ。
四国編ですら、発刊された当時は、なんだこれ、って思ってたしね。
悲恋や火星、あるいは魔人の話が出てきて、それもまたもっともらしい決着を着けていたけどね。
いや、個人的には、四国編の最後で、悲恋が自爆するのを、天才ズがカバーして、悲恋もそらからくんも生き残った場面は、実は結構、じんわり来たんだけどね。
あー、この世界、結局、利害関係の対立から互いに衝突することはあっても、悪人はいない世界なのね、と思ったものね。
まぁ、西尾維新の世界は、基本的にそういう世界だけど。
常に「偶然に」大惨事が生じる。
でも、それは悪意の発露ではない。
で、そういう「じんわり感」が、『悲終伝』のラストではなかったかなぁ。
なんとなく「地球」がいい人(いい星?)っぽい感じにされていたけど、それも、そらからくんの解釈や誘導あってのものだしなぁ。
・・・ということで、やっぱり、宇宙編は蛇足だったかな。
うん、思っていたほど、面白くはなかった。
とりあえずは、そうまとめておこう。
やっぱり、最後の鋼矢や花屋と会話するところは、対面してやらないとダメなんだよ。
そのビジュアルが絶対、必要で、
その意味では、例の用意していた宇宙船で鋼矢と花屋は、そらからくんの前に物理的に駆けつけるのだと思っていたけどね。
そうしたカタルシスの場面がないから、100年後の後日談で、そらからくんが氷上wと結局連れ添った、といわれても、あー、そうなの?ぐらいにしか思わないよね。
それで、最後に、取ってつけたように、剣藤犬个の声を出されてもなぁ、とは思う。
まぁ、終わってみれば、そらからくんの最大の理解者は、あろうことか、地濃鑿だった、ってことになりそうな締めだもんね。
要するに、鋼矢は、戯言シリーズにおける「人類最強の請負人」のポジションだったってことなんだろうけど。
あー、そういう意味では、このそらからくんの英雄譚は、戯言シリーズのリライトみたいなものなんだろうな。
ラスボス(の地球)を最初から登場させた戯言シリーズ。
もっとも、だからといって、もう一度、『悲鳴伝』から読み直そうという気にさぜないのが、西尾維新の欠点なんだろうな。
これが森博嗣なら一定の緊張感の下で再読が可能だけど。
西尾維新の場合は、文字通り「戯言」ばかりで、しかもその「戯言」に伏線や真実が密かに滑り込まされているから、改めて読む気にさせない。
その最たるものが『悲終伝』における、四国ゲームの「チーム・ウィンター」の真実であり、トゥーシューズ・ミュールの真相ってことになるわけだけど。
いやー、そんな展開、想像できるはずがないよね、さすがに。
だから、結局、驚いただけで終わりなんだよね。
そして、それが、西尾維新、さすがにもういいかな、と実感してしまうところで。
良くも悪くも変わらない、成長しない作風。
それはそれで、スタイルとして確立されているということだから、すごいことなのだけど。
あまりにも、他愛なさ・・・すぎるかな、もはや。
そういう意味では、こういう結末だったのは、残念だったかなぁ。
とりわけ、最後に爺さんになったそらからくんとかは、わざわざ見せなくても良かったかな、とは思う。
そこが西尾維新の弱点だよね。
結局、青年や大人がまともに描けない。
だから、いきなり爺さんに飛ぶ。
頭が盲聾しているという点では、実は老人は子どもと変わらないからね。
結局、子どもしか描けない。
そして、そんな子どもが成長する話として、このそらからくんシリーズを書いたような気もするけど、そして、それは戯言シリーズでできなかったことのいわばリベンジなわけだけど、では、それが首尾よくいったかといえば、そんなことはなかったかなぁ。
裏返すと、老人になった姿を描かないまま、終わりにしておけば良かったのに、と思う。
最後は、やっぱりカーテンコールで、皆が代わる代わるに登場する、というクサイシーンで良かったのにね。
ともあれ、6年間かぁ。
長かったなぁ。
そして、世の中も変わっちゃったなぁ。
それが最大の誤算といえば誤算だったんだろうな。
一体ぜんたい、どんな結末を、そらからくんは、空挺部隊は、そして、人類は迎えるのか?
ということで、スペース、空けときます。
『悲球伝』との2ヶ月連続の発刊で大団円、・・・
なのだけど、『悲終伝』を読んでから振り返ると、両方まとめて1冊くらいでちょうど良かったかなぁ、というのが正直なところ。
それくらい『悲球伝』は冗長、・・・、というか、とりとめがなかったかな。
正直、話がどこに向かうか、見えないまま、3分の1が過ぎ、3分の2が過ぎ、気がつけば、え?、火星なの?、ってところで終わっていたわけだから。
まぁ、西尾維新らしい、といえば、らしい、のだけど。。。
しかし、終始、この最終巻では、「ジャイアント・インパクト」が活躍してたw
月を地球に落として、もう一つの地球を創る、という「ジャイアント・インパクト」と、
言動においても行動においても重要局面に常に登場していた魔法少女ジャイアント・インパクトこと地濃鑿w
てか、正直なところ、地濃、便利に使いすぎじゃない?
ワイルドカードすぎでしょ?
だから、終わってみれば、このシリーズは、結局、地濃鑿の物語だった、ってことだよなー。
そらからくんが活躍したのは、あくまでも第1巻の『悲鳴伝』だけで。
あとは、基本的に、そらからくんは狂言回しにすぎなかった。
まさに語り部。
なので、『悲球伝』のように彼が登場しないと、そもそも話がどこに向かうのか、見当がつかない。
あ、そうか、あれも、一冊、地濃鑿が登場し得ないから、ノリとツッコミがなくて、いまいちだった、ってことになるのかな。。。
うーん。
あとは、やっぱり、杵槻鋼矢。
彼女の存在が、ここ一番では、圧倒的だった。
そういう意味では、最後に、むりやり「悲恋」を事実上、花屋瀟にしてしまったのも、もうそれだけで、フィナーレが始まっている感じだったかなぁ。。。
正直、まだ、ちょっとシリーズを消化しきれてないので、また書くかもしれないけれど。
難しいなぁ。
そらからくん自体は嫌いではなく、彼の戯言ではない行動力、というか、死神ぶりが魅力的だっただけに、最後の方は、ちょっと丸くなりすぎたかなぁ、とは思うよね。
まぁ、過去の西尾維新のシリーズを考えれば、本編終了後は、定期的にスピンオフをだらだらと書き続けていくのが常道なので、多分、地濃鑿のスピンオフは遠からず始まるよね。
てか、最終巻の最後でいきなり飛んだ100年間の間のエピソードをいくらでも書けるだろうから、その意味でも賢明な終わり方だよね、今回の幕引きは。
もともと、地球と一介の少年が対峙する、というスケールが全く合いようがない設定だったから仕方ないと言えば仕方ないけど、それにしても荒唐無稽だったなぁ。
カッコよくいえば、最後は、今どきのAIやらシンギュラリティを含めて「生命とはなにか」という話に突き進んでいたからね。
もっとも、第1巻が出たタイミングが、311の一年後だから、地球をヒール役にするのも、ある意味で時宜にかなっていた。あの頃、地球が天罰を下した、なんてしたり顔でいうひとたちもいたのに対して、西尾維新は、だったら地球を敵認定して、地球に優しい云々なんてバカなことをいうのはやめようぜ、という感じの、彼らしい皮肉たっぷりの逆バリの展開だったわけで。
その逆バリぶりでいけば、今回も、いやー、世間ではAIとかバイオとかを危険視する話が多いけど、それで延命できたり、生き返ったりできるんなら、万々歳じゃないか!、そもそも今ある問題の多くが無効になるよね、・・・、という感じの終わり方だったなぁ、と思う。
西尾維新らしい、超サーカスティックな落とし所w
もっとも、その結末に至るまでがとにかく無駄に長いから、普通の人は追えないよね。
正直なところ、このそらからくんのシリーズで、西尾維新は最後かなぁ、という気がしている。
あ、いや、過去のシリーズのスピンオフは、多分、なんだかんだいって読んじゃう気がするけど、今後新たに始まるシリーズについては、もうちょっとついていけないかな。
その意味では、いつまでも成長せずに西尾維新のまま、というのある意味ですごいとは思うけど。
舞城とか冲方とか辻村とか、同じ時期にデビューしてた作家が、みな直木賞や芥川賞の候補者とか受賞者になっているのに、西尾維新は相変わらず、戯言一本だもんね。
特に『悲球伝』とか、ホントに「謎のシチュエーション」を無理矢理つくって、その状況の解釈の仕方について延々と自問自答を繰り返していく・・・ようなところばかりで、それを、なんだかんだ言って真面目なキャラである鋼矢と花屋が語ると、どうしようもなく正論すぎて息を抜くところがなかったのがきつかった。
そらからくんの場合は、地濃や氷上さん、あるいは左右左危博士がいて、突っ込んでくれるからなんとかなってるだけで。
てか、『悲衛伝』以後の宇宙編では、そこが人工衛星「悲衛」の内部とわかっているからなおさらだけど、ひたすら閉鎖空間の中で、相手を変えては、あれこれ話すだけだもんね。
あー、わかった。だから、『悲衛伝』以降は退屈だったんだ。
仮にも四国編は、まだ、動きがあったからね。突如、場面が展開して、いきなりそらからくんがピンチに直面するとか、びっくりするような展開は、やはり多かったから。
当時は、アクションも一応、あったしなぁ。
宇宙編は、そういう意味では、全編、瞑想だけの世界のようなものだからね。
そういう意味では、やっぱり、『悲亡伝』以降が、大掛かりな蛇足だった、ってことだよね。
四国編はまだ、いくばくかのリアリティがあったけど、宇宙編はもう、惑星や太陽の擬人化とか、訳わからなかったしな。
そういう意味では、やっぱり、これは失敗作なんだろうな。
突き詰めると、『悲鳴伝』で終わりにしておけばよかった感じかなぁ。
四国編ですら、発刊された当時は、なんだこれ、って思ってたしね。
悲恋や火星、あるいは魔人の話が出てきて、それもまたもっともらしい決着を着けていたけどね。
いや、個人的には、四国編の最後で、悲恋が自爆するのを、天才ズがカバーして、悲恋もそらからくんも生き残った場面は、実は結構、じんわり来たんだけどね。
あー、この世界、結局、利害関係の対立から互いに衝突することはあっても、悪人はいない世界なのね、と思ったものね。
まぁ、西尾維新の世界は、基本的にそういう世界だけど。
常に「偶然に」大惨事が生じる。
でも、それは悪意の発露ではない。
で、そういう「じんわり感」が、『悲終伝』のラストではなかったかなぁ。
なんとなく「地球」がいい人(いい星?)っぽい感じにされていたけど、それも、そらからくんの解釈や誘導あってのものだしなぁ。
・・・ということで、やっぱり、宇宙編は蛇足だったかな。
うん、思っていたほど、面白くはなかった。
とりあえずは、そうまとめておこう。
やっぱり、最後の鋼矢や花屋と会話するところは、対面してやらないとダメなんだよ。
そのビジュアルが絶対、必要で、
その意味では、例の用意していた宇宙船で鋼矢と花屋は、そらからくんの前に物理的に駆けつけるのだと思っていたけどね。
そうしたカタルシスの場面がないから、100年後の後日談で、そらからくんが氷上wと結局連れ添った、といわれても、あー、そうなの?ぐらいにしか思わないよね。
それで、最後に、取ってつけたように、剣藤犬个の声を出されてもなぁ、とは思う。
まぁ、終わってみれば、そらからくんの最大の理解者は、あろうことか、地濃鑿だった、ってことになりそうな締めだもんね。
要するに、鋼矢は、戯言シリーズにおける「人類最強の請負人」のポジションだったってことなんだろうけど。
あー、そういう意味では、このそらからくんの英雄譚は、戯言シリーズのリライトみたいなものなんだろうな。
ラスボス(の地球)を最初から登場させた戯言シリーズ。
もっとも、だからといって、もう一度、『悲鳴伝』から読み直そうという気にさぜないのが、西尾維新の欠点なんだろうな。
これが森博嗣なら一定の緊張感の下で再読が可能だけど。
西尾維新の場合は、文字通り「戯言」ばかりで、しかもその「戯言」に伏線や真実が密かに滑り込まされているから、改めて読む気にさせない。
その最たるものが『悲終伝』における、四国ゲームの「チーム・ウィンター」の真実であり、トゥーシューズ・ミュールの真相ってことになるわけだけど。
いやー、そんな展開、想像できるはずがないよね、さすがに。
だから、結局、驚いただけで終わりなんだよね。
そして、それが、西尾維新、さすがにもういいかな、と実感してしまうところで。
良くも悪くも変わらない、成長しない作風。
それはそれで、スタイルとして確立されているということだから、すごいことなのだけど。
あまりにも、他愛なさ・・・すぎるかな、もはや。
そういう意味では、こういう結末だったのは、残念だったかなぁ。
とりわけ、最後に爺さんになったそらからくんとかは、わざわざ見せなくても良かったかな、とは思う。
そこが西尾維新の弱点だよね。
結局、青年や大人がまともに描けない。
だから、いきなり爺さんに飛ぶ。
頭が盲聾しているという点では、実は老人は子どもと変わらないからね。
結局、子どもしか描けない。
そして、そんな子どもが成長する話として、このそらからくんシリーズを書いたような気もするけど、そして、それは戯言シリーズでできなかったことのいわばリベンジなわけだけど、では、それが首尾よくいったかといえば、そんなことはなかったかなぁ。
裏返すと、老人になった姿を描かないまま、終わりにしておけば良かったのに、と思う。
最後は、やっぱりカーテンコールで、皆が代わる代わるに登場する、というクサイシーンで良かったのにね。
ともあれ、6年間かぁ。
長かったなぁ。
そして、世の中も変わっちゃったなぁ。
それが最大の誤算といえば誤算だったんだろうな。