うーん、まためんどくさいルートに入ったなぁ。
中身は「さりな」の感性のままのルビーが、実の母で、永遠の憧憬対象だったアイの「本質」にどうやって迫るか、そのための地獄の蓋が開けられてしまった。
これは、結局のところ、ルビーがアイが感じた孤独や失望をマジで追体験させられるような話が続くのだろうなぁ。
元が「いい子」なだけに、マジで闇落ちしそうで怖いけど。
ただそこまでも惨事の到来も含めて、アクアの中身が吾郎だったことも明かしたんだろうな。
で、そのアクアの方は、アイの足跡を追ううちに、アイがいかなる人間であったか、そのイメージはだいぶ修正されていったのだろうな。
まぁ、傍らにどうやらあかねもついてきたようだから、あかねの洞察力も含めて、具体的なイメージが作られていった。
そのあたりは、吾郎が生前、大人の医者で、それなりの知力と経験をもっていたからこそ可能だったのだろうけど。
ただ、同じことは、10代半ばに病死した可哀想な子でしかなったさりな=ルビーにはきついし、実際、それに気づいたら自分自身では制御できなくなるのだろうね。
でも、女優を演るかぎりは、そこは妥協できない。
その意を汲んで、あえて、かなが憎まれ役を演じることになってしまう。
といっても、ルビーに対する嫉妬は本物だったから、ややこしいのだけど。
しかし、この先、どう考えたって、アクアとあかねも、このかなが落とした爆弾につきあうことになるのだろうし。
そうなると、ここでは、フリルがアイを導く役になるのかな?
だって他の人たちは、すでにルビーとの関係が濃すぎるから。
「演じる」ことを完全にわりきってやっているフリルくらいしか、この「演じる」ことが「公然と嘘をつく」ことで、トップアイドルとは、ずっと嘘を付き続けることのできる人、ということを伝えられない気がする。
ただなぁ、ルビーみたいなマジメでいい子に対する、精神崩壊から再生の過程って、結構重たいからなぁ。
曇らせるだけでないなにかいい話題が並行して振り込まれることに期待したいところ。
にしても、かな、いい子だよな、ホントに。
中身は「さりな」の感性のままのルビーが、実の母で、永遠の憧憬対象だったアイの「本質」にどうやって迫るか、そのための地獄の蓋が開けられてしまった。
これは、結局のところ、ルビーがアイが感じた孤独や失望をマジで追体験させられるような話が続くのだろうなぁ。
元が「いい子」なだけに、マジで闇落ちしそうで怖いけど。
ただそこまでも惨事の到来も含めて、アクアの中身が吾郎だったことも明かしたんだろうな。
で、そのアクアの方は、アイの足跡を追ううちに、アイがいかなる人間であったか、そのイメージはだいぶ修正されていったのだろうな。
まぁ、傍らにどうやらあかねもついてきたようだから、あかねの洞察力も含めて、具体的なイメージが作られていった。
そのあたりは、吾郎が生前、大人の医者で、それなりの知力と経験をもっていたからこそ可能だったのだろうけど。
ただ、同じことは、10代半ばに病死した可哀想な子でしかなったさりな=ルビーにはきついし、実際、それに気づいたら自分自身では制御できなくなるのだろうね。
でも、女優を演るかぎりは、そこは妥協できない。
その意を汲んで、あえて、かなが憎まれ役を演じることになってしまう。
といっても、ルビーに対する嫉妬は本物だったから、ややこしいのだけど。
しかし、この先、どう考えたって、アクアとあかねも、このかなが落とした爆弾につきあうことになるのだろうし。
そうなると、ここでは、フリルがアイを導く役になるのかな?
だって他の人たちは、すでにルビーとの関係が濃すぎるから。
「演じる」ことを完全にわりきってやっているフリルくらいしか、この「演じる」ことが「公然と嘘をつく」ことで、トップアイドルとは、ずっと嘘を付き続けることのできる人、ということを伝えられない気がする。
ただなぁ、ルビーみたいなマジメでいい子に対する、精神崩壊から再生の過程って、結構重たいからなぁ。
曇らせるだけでないなにかいい話題が並行して振り込まれることに期待したいところ。
にしても、かな、いい子だよな、ホントに。