採集生活

お菓子作り、ジャム作り、料理などについての記録

中国、モンゴル砂漠関係動画

2022-05-27 | ■本・動画

いろいろな作業をしながらYoutubeの動画を見ています。
自動的に再生されたり、関連動画から選んだりして、思わぬいい動画に出会うことができます。
忘れてしまうのは勿体ないので、時々記録しておこうかと思います。

■中国の砂漠と遊牧民について
もとはといえば、黄砂をばんばか吹き飛ばしている黄土高原(砂漠)が、大昔は象が生きていたような森だった(象の化石が発掘された)、そして文明が栄えて、都市生活があって、青銅器もつくられていた、と聞きかじったのが興味のはじめでした。
中国の青銅器がなんだかとってもカッコよくて興味があって、青銅1キロを作るのに採掘やら燃料等々木材がどっさり必要なのだそうです。(何トンだったかメモし忘れました)
青銅器をいっぱい作っちゃったから砂漠化したのかな~、森があった頃のイメージとかないかな、と動画を探していました。
見つかったのは、現代の砂漠化の問題が多く、そちらに逸れていろいろ見まくりました。

●砂漠化の問題概説
TV局作成の番組です。

「迫る危機!?中国砂漠化の実態 内モンゴル10年記~」




「タクラマカン砂漠大紀行 ~消えゆく大河を追う~」



●砂漠緑化の活動について
中国政府やJICA、大学、いろいろなNPO法人が緑化活動・研究をしていると思いますが、
たまたま知ったのが、
認定特定非営利活動法人緑の地球ネットワーク(GEN)」(団体ホームページ)
30年ほども継続して、見事な成果をあげてこられました。

まずは、ながら見でいいのでこちらの動画を。
主催者の前中久行氏が、過去約30年の活動を振り返って、写真をとともにざっくばらんに解説して下さいます。

「黄土高原緑化協力もうちょっとで30年」


これを見てから、22年目時点の活動報告書を読むと分かりやすいです。
中国黄土高原における草の根環境協力 22 年の歩み」(PDF)

黄土高原地域は、もともとは、貧困→過耕作・過放牧→環境悪化→貧困、という悪循環がある地域でした。
人々の生活をなんとかしたい、という志のもとに素人集団で緑化プロジェクトをスタートさせたものの、最初は失敗続き。
何とか解決しようと、学閥にかかわらず広く植物の学者・研究者にも助けを求めました。
中国側の関係機関のお役人の異動やら気まぐれやらに翻弄されつつ、実験農場・苗畑も作って、苗木の植え方に関する現地の人の先入観を少しずつ変えていきます。
(もとは、水分の蒸発を防ぐため苗を植えたらしっかり踏み固める方針だったのを、根への酸素供給が重要ということを実証して植え方を変えたり)

2000年前後から中国全体が経済発展していくと同時に環境破壊への問題意識も高まって、政治的には緑化事業は段々と協力・理解を得やすくなっていきました。
ウサギの食害による苗の全滅や病虫害、気象条件などに悩まされつつ、毎年ボランティアグループと訪中して作業もして、成長する木々が増え、緑化事業の成功例に挙げられることになっていきました。

いくつかの地域では、杏仁用のアンズを植えたことで(最初の数年は維持管理の手間がかかるだけですが)、
剪定枝の薪炭利用→野生の木や灌木伐採の軽減→(前は燃料にしていた)農業残渣の堆肥化→水土流出防止・土壌の栄養化→果樹生育促進→収穫(現金収入)→経済的余裕→放牧の減少→植物の生育
という好循環が得られるようになっていきました。

緑化プロジェクトの成功にあたっては、
・自然条件
・社会的な関係(政府の方針、道路事情、市場への近さなど)
・人(地域のリーダー格の人々)の熱意
の3つが重要なのだそうです。
この3つともがない場合はほぼ不可能だけれど、1つか2つがない場合は協力によって改善されていくことがあるとか。
一番必要なのは、人。地域のリーダーの熱意だそうです。

これを見分けるには、その村の小学校を見るとよいのだとか。
村の経済力に比べて、小学校がきちんとしていて、教員が真摯なところでは、ものごとがうまく行きやすいそうです。
逆に学校がボロボロで教員にやる気がないような土地では、成功しにくいとか。
(考えさせられますよね)

父が中国に単身赴任していたことがありますが、「いや中国人ってのは・・」と何やらぼやいていたのを薄っすら覚えています。
行動原理が日本とはまた違う外国で、長年、あきらめずに続けてきたのは本当にすごいと思います。
今では現地の人でいろいろな活動が回るようになって、一区切りがついた状態のようです。


●遊牧
砂漠での遊牧生活って、寂しいし退屈?と勝手に思っていましたが、実はその土地に最適化された生活形態で、大変なノウハウが詰まっているのだな、と認識できたのがこちら。

「四季・遊牧 -ツェルゲルの人々- ダイジェスト版(前編)」


「四季・遊牧 -ツェルゲルの人々- ダイジェスト版(後編)」


大学の研究者が遊牧民のテントのそばに小屋を建て、一年間密着取材(研究)をした映像です。
本来8時間もの映像を、前後編各1時間半に短縮しています。
ゆったりしていい動画です。


●動物との暮らし、染織
中国の砂漠とは違う場所ですが、ネパールでヤクを飼って、その毛を織物にしている人々の話。
動物とともに生きるというのはこういうことか、と思いました。


「アジア染織紀行③ヤクと共に生きる(ネパール)」




ジャンルは問わず、おすすめ動画がありましたら教えて下さい。
あと、上記動画をもし見てくださったら、感想などコメント頂けると嬉しいです。
(動画サイトへのコメント、いいねボタンも、投稿者さんへの応援になるかと・・)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アゼルバイジャン・イランの保存食・料理動画

2022-02-01 | ■本・動画

最近気に入っている動画をご紹介します。

この頃は、ケーブルテレビも見なくなり、もっぱら、アマゾンプライムビデオとYoutubeばかり。
海外旅行にも行けないので、Youtube の外国の動画には、つい見入ってしまいます。
観光地とかではなく、ふつうの生活や、料理、保存食作りを見ているのが面白いです。

最近気に入っているのは、アゼルバイジャンの村の生活を描いたこれらのチャンネル。

(1)Kənd Həyatı (読めません。誰か読み方ご存じならば教えて下さいませ)

アゼルバイジャンの村で、壮年夫妻、おばあちゃん、牛・アヒル・鶏・犬などの動物たち、たまに孫などが登場します。
ほとんど会話はなく、もくもくと、干し柿(!)、干しあんず初めて見るベリー(Zoğal)のジュース大量のトマトペーストりんごなどの保存食加工をし、同時にお料理もつくったり、見ごたえがあります。
(干し柿は、後の動画で、自家製ナッツパウダーと混ぜてお団子状のお菓子にしていました)

自分の農園に、りんご、あんず、梨、モモ、いちご、ヘーゼルナッツ、ベリーなどいろいろな果樹が植えてあって、エデンの園のようです・・・。
(お世話も大変なはずですが)

(2)村の生活  (Youtubeによる翻訳のチャンネル名 検索する場合は KendIşleri VillageAffairs がいいかも) 

イラン・アゼルバイジャン国境の、イラン側、Astara 地方 Giladeh 村。(グーグルマップだと、Galleh Dehと表記されている村ではないかと)
女性3人が(もくもくと)屋外でお料理する動画が多いです。


みなさん、おすすめ動画がありましたら教えて下さいませ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供の頃読んだのは

2006-09-17 | ■本・動画
本というのは面白いもので、どんな本を読んでいるかで大体その人のことが分かる気がするのだけれど、かといって、仲良しの友人と本の趣味が同じとも限らないし、本の趣味が同じひとと親友になれる訳でもない。

音楽も同じかな。
バッハが音楽の中で一番好き、というひとにもきっといろいろいる。

読んだ本の記録をつけていこうかと思う。大体図書館で借りているので、あの作家の別の作品を読みたいと思っても作品名も作家名も思い出せないことがあるので、まあ自分のための記録だ。
しかし浅薄な人格をさらけだすようでいささか気後れがする。
ま、隠したって深遠な人物になれる訳もないのだが。


私の読書の趣味は子供の頃に読んだ児童文学によって形成されてしまったといえる。ヒュー・ロフティング『ドリトル先生シリーズ』、アーサー・ランサム『ツバメ号とアマゾン号シリーズ』、エリナー・ファージョン『マーティン・ピピンもの』その他、マージェリー・シャープ『ミス・ビアンカシリーズ』、R.I.ワイルダー『大きな森の小さな家シリーズ』、C.S.ルイス『ナルニア国物語シリーズ』、メアリー・ノートン『床下の小人たちシリーズ』(いま驚いたのだがATOKは「こびと」変換キーを押しても「小人」は出てこない)、アストリッド・リンドグレーンの諸作品・・・。

どれもこれも、
・外国が舞台
・挿絵がきれい(ガース・ウィリアムズとかエドワード・アーティゾーニとか)
・食べものが出てくる
・思春期前の子供とおとなが登場する
・冒険ファンタジー

思春期の青少年が登場して、現実の学校や家庭を主な舞台にしたいわゆるヤングアダルト小説というものは全く読まなかったし今でも嫌い。
「青春映画」も好きではない(うっかり連れられて見に行ってしまった日本映画『櫻の園』はかなり苦痛だった)。


こういう読書傾向の子供が大人になって読む本は・・・・。

 ・英米の小説
 ・フランスの小説
 ・日本の小説
 ・その他の国の小説
 ・ノンフィクション・伝記その他
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

+英米文学(ミステリ以外)

2006-08-30 | ■本・動画
(■読んだもの、□読みたいもの)
(順不同)
(概要説明にはアマゾンから写したものもあります)

■■英米文学-ミステリ意外

■P.G.ウッドハウス『よしきた、ジーヴス』
ダリア叔母夫妻、その娘と婚約者、バーティの学生時代の友人とその思いびと(今で言う「天然」)3組のややこじれたカップルをバーティがさらにめちゃくちゃに(長編なので、そりゃもうこじれっぱなし)。ジーヴスの解決法はいかに。
短編と違ってジーヴスがさくさく解決してくれないので、事態は混迷の度合いを深めていく。その混乱ぶりが面白い。でも、短編の方が好きかなあ。


■P.G.ウッドハウス『エムズワース卿の受難録―P.G.ウッドハウス選集〈2〉』
綿菓子のようなほんわかした頭脳の持ち主、第九代エムズワース伯爵。美しい庭と平穏な暮らしを何より愛する老伯爵に、今日もトラブルが容赦なく襲いかかる。不肖の次男(実はエムズワース卿によく似てるのだ)に鉄血の妹。腕はいいが頑固な庭師。騒動に揺れる伯爵の領地に平和は戻るのか?
いや、ウッドハウスははじめて読みましたが面白い。坂田康子のイギリスものみたい(本当は逆なんだろうけれど)。
日本で言うと池波正太郎や佐伯康英(こちらは読んだことないのだが)の時代小説のような位置づけだろうか。主人公がのーんびりしていて、多少浮世離れしている。そしてある程度様式化された(マンネリといってもいいかも)物語展開。一方で随所にちりばめられたペダンティズム(詩の一節などが引用されたりして)。
読んでいて飽きない。
長生きした作家で作品も沢山あるのだそうだ。しばらくはまりそう。


■P.G.ウッドハウス『比類なきジーヴス』
20世紀初頭の大英帝国。ロンドンのフラットに住む遊び人で頼りない若旦那バーティやその友人が巻き起こすトラブルと召使いジーヴスの冴え渡る解決法。
この連作短編は恋多き友人ビンゴのウエィトレスとの恋に始まり(別の)ウエイトレスとの結婚に終わる。それぞれの短編が独立しているようで緊密に関係し合っている。


■ドナ.W.クロス『女教皇ヨハンナ』(上・下)
9世紀、知識欲あふれた女性がやむなく男装し、男社会である教会の地位を上り詰め、教皇にまでなる、という物語。
装丁が好みで手に取った。
最後、教皇行列の際、道で死産の赤子と産み落として女であることがばれ、しかも自分も命を落とす(?)ことになる。この伝説は昔からあったものらしい。字で書かれた記録が少ない時代ゆえ実証も反証も困難だそうだ。(私はやはり伝説の一種だと思う)
当時は女は劣っておりかつ汚れた、堕落のもとになる存在だったから、聖職者が出産を目撃したらそりゃあショックだっただろうなあ。
修道女の「純潔の誓」というのは、出産を自分でコントロールするという意味で実質的に必要なことだったのだ、という女子修道院長の台詞を『フィレンツェ幻書行』で読んだけれど、確かにそのとおりだ。
この作品ではヨハンナはすごく聡明で教皇となってからは改革を推進するリベラルな存在に描かれているけれど、自分のミスでうっかり妊娠してしまって(まあ愛する人がいて仕方なかったのだけれど)、勿体ないなあ、と思う。


■C.S.ルイス『顔を持つまで 王女プシケーと姉オリュアルの愛の神話』
プシケーの神話を題材にし、姉オリュアルの手記という形をとった妬みと愛についての物語。
これは大変に面白い。説教臭さがなく、「宗教著作」とほとんど考えなくてもよいと思う。
愛と執着はほとんど区別不能であり、それゆえに苦しむオリュアルの心情がとてもとてもリアルである。
原始女神の隠喩の部分は難しいところもあった。


□C.S.ルイス『悪魔の手紙』

■チャールズ・パリサー『五輪の薔薇』(上・下)
ヴィクトリア朝ロンドンを主な舞台に、少年ジョンがたどる数奇な運命・・・。
ディケンズを思わせる(『荒涼館』しか読んだことがないけれど)、時代ローラーコースター小説。不幸な出来事がたたみかけるように主人公を襲う。当時の時代風俗も丁寧に描かれている。著者はきっとメイヒューの著作を参考にしているはず。私も読んでおいてよかったと思った。
謎があちこちに仕掛けられていて、長くて複雑にもかかわらず熱中させられた。
ところでバブル崩壊って、このころにもあったのですよ。日のもとに新しきことなし。


■チャールズ・パリサー『大聖堂の悪霊』
19世紀後半のイングランド。歴史学者コーティンは古文書を調べるため、大聖堂のある町を訪れた。だが彼は、やがて起きる殺人事件と、250年前の殺人事件が交錯する複雑な謎の中に巻き込まれていく。
『五輪の薔薇』を読んであまりの大作だったのでまたどんなに複雑なプロットを追おわされるかとびくびくしてこれを手に取ったが、みかけどおり(薄い)、比較的普通の小説で、苦しまず楽しめた。


■エドワード・ラザフォード『ロンドン』(上・下)
ローマ時代から現代まで、いくつかの一族を軸に描いた一大叙事詩。
何しろ長くて、読み通したことに自分をほめてあげよう。
歴史好きにはたまらないだろうが、私はもうちょっと各時代のディテイル(服とか食べものとか)が沢山描いてあるとうれしかった。


■ロバート・ヘレンガ『フィレンツェ幻書行』
芸術の都に展開する謎と官能の物語。
1966年に大洪水がフィレンツェを襲った。29歳アメリカ人マーゴット・ハリントンは古書修復のヴォランティアとして現地に。そこで不思議な遍歴の末にルネッサンス期に禁書とされて失われたはずの、幻の書物とめぐりあう……。
うまいけど、ハーレクイン・ロマンスみたい。


■ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』
1967年生まれ。インドベンガル人を両親に持つアメリカの女性作家のデビュー短編集。PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞、ピュリツァー賞などを受賞。
インド、またはアメリカのインド系の人々が登場する。民族性は特に感じず、むしろ普遍的な孤独と哀しみを共感させる。
このなかでは、少年のベビーシッターをする、お魚好きの、インド婦人の話がとても印象に残っている。
夫について見知らぬ土地(アメリカ)に来て、夫は忙しくてほとんど家にいず、少年のお母さんと交流を図ろうとするけれど相手にされなくて、車の運転が出来ないため欲しいものを自分で買いに行くこともできない・・・という孤独感に共感した。引越した当初の自分の境遇と多少重なるからかな。しみじみ哀しくなってしまった。
それにしても、見返しの小さな写真を見るに、このような美人がこの若さでこんな見事な作品を書くなんて。「よきもの」は偏在するのね。


□ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』



■アーシュラ・K・ル=グィン『ゲド戦記 1 影との戦い』
『ゲド戦記 2 こわれた腕環』『ゲド戦記 3 さいはての島へ』
『ゲド戦記 4 帰還』『ゲド戦記 5 アースーシーの風』
残念ながら子供のときは手にとらず、数年前はじめて読んだ。ふんわかしたファンタジーではないので子供の頃の私は好きになったかどうか不明だが、大人になったいま、面白く読むことができた。
『帰還』で、年取ったテナーが、「私が長年磨いてきたこのテーブルをあの(どうにも愛せない)息子の、ぐうたらな嫁が使うかと思うとやりきれない」というようなくだりが何故か印象に残った(子供にはわからないよね。こんな台詞)。
テナーとゲドが魔法をかけられて犬のような姿勢をいつのまにかとらされていく部分、自分も魔法をかけられたようだった。
死後の世界は、誰かが築いた石垣のせいで風がとおらない、乾いた世界になりはててしまった・・・・、というのは、フィリップ・プルマンの『琥珀の望遠鏡』(もしくはジョン・レノン「イマジン」)に通じるものがある気がするが、記憶違いだろうか。
この本にある非キリスト教的死後世界観というのはもしかしたら西欧では衝撃的にうけとめられたのかもしれない。日本人は、どうかな。作者と同様に考えている人は少なくないのではなかろうか。色のない世界とうつろな亡霊達の絵画的情景が印象深い。


■フィリップ・プルマン『黄金の羅針盤』『神秘の短剣―ライラの冒険シリーズ〈2〉』『琥珀の望遠鏡―ライラの冒険シリーズ〈3〉』
物理学者がファンタジーを書いたような、ものすごい中身の濃い(プロットがいっぱい詰まった)作品。ダイモン、ダストなど独自の用語が沢山出てきて、あたまの柔らかい子供の頃に読みたかったかも(でも挫折したかも)。挿絵がないから私の定義では児童文学ではないけど。
3巻に納めるのは勿体なくて、7巻くらいに伸ばしたい気がするほど(もう一度ゆっくり読んでみるべきか)。
ディテイルを足して水増ししまってはこの緊張感は生まれないのかな。

非キリスト教的、かつ反キリスト教的世界観(たとえば死後の世界など)を強く感じさせる。実際カトリック教会(の誰か)から強く批判された書物らしい。
日本人にとってはどこをとってもタブーではないけれど。



■ジェラルド・カーシュ『瓶の中の手記』『廃墟の歌声』
「奇妙な味わい」の短編集。シリアスなものあり、ユーモア短編あり。
営業時間日没後夜明迄限定の探偵カームジンシリーズが楽しい。
ロアルド・ダールが好きな人はこれも好きでは?


■デイヴィッド・イーリイ『大尉のいのしし狩り』『ヨットクラブ』
アメリカの作家。ブラックな笑いで描く異色短篇集。
カーシュとごっちゃになるのだが、イーリイの方がブラック。


■ジャック・リッチー『クライム・マシン』
アメリカの短編ミステリのスペシャリストの作品集。
見事。星新一を思い出させる鮮やかさ。



■ジェフリー・フォード『白い果実』
世界幻想文学大賞受賞の話題作だそうだ。装丁が美しい。
この作家、もう1作読んで好きかどうか考えてみよう。


■パトリック・マグラア『グロテスク』『閉鎖病棟』
『グロテスク』は扉をちらと読んで、殺人(未遂)がおこるみたいだからミステリーだ、と思い込んで読み進んで、結局最後まで謎解きはなくて愕然とした。自分の不注意だけど。そうと知っていたら鑑賞の方法もまたべつにあっただろうに!
で、ミステリーではないとちゃんと分かって『閉鎖病棟』に取り組んだ。
うーむ。この作家はあまり好きでないかも。文章に反復が多く、それがねらいなのだろうけれど、飽きる。「それさっきも聞いた。で?」と言いたくなる。本の厚さの割にストーリーは展開しない。設定は私好みなんだけどなあ。


■J.M.クッツェー『恥辱』
ブッカー賞受賞作だそうだ。
登場人物の行動を批判するのは受賞文学に対してすることじゃないかもしれないけど。
自分の外見と立場に応じた女を落とすべきでしたね。向かうところ敵なしという昔日の栄光をひきずっていてはだめでしょう。「52歳」でも「性欲過多」でも何の問題もないと思うよ、相手さえ間違わなければ。
「ダメンズ・ウォーカー」に出てきそうなキャラクター。ダメンズの方が今カノがいる分上か。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

+その他の国のもの

2006-07-17 | ■本・動画
海外旅行をするときは、ガイドブックに加えその国作家による本を読んでおくことが多いです。帰ってからも。

(■読んだもの、□読みたいもの)
(順不同)
(概要説明にはアマゾンから写したものもあります)

■■フィンランド
■トーベ・ヤンソン『誠実な詐欺師』
トーベ・ヤンソンはヘルシンキ生まれのスウェーデン語系フィンランド人。ムーミンシリーズの作者。


■■チェコ

■オタ・パヴェル『美しい鹿の死』
破天荒だが憎めない父親(ユダヤ人)と、暖かな家族の絆を描いた、戦後チェコ文学のベストセラー。
なんとエネルギッシュなお父さん!家族中が翻弄されつつも頼りにできる存在。
永遠にかえらない子供時代を可笑しく美しく描いた珠玉の佳品だと思う。


■イヴァン・クリーマ『僕の陽気な朝』
著者の自伝的要素を含む、滑稽で破廉恥、少し奇妙で不条理な7つの短篇集。
ソ連に占領されてすべてが変わった。大学で教えていた人は明日の雇用も知れぬ窓ふきに・・・。学会誌の投稿メンバーは一新。しかしそれは表向きで、新たな学会メンバーにろくな論文が書ける訳もなく、実の執筆者は前と同じなのだ。世の中の全ての雑誌や書物に思想的スローガンが氾濫。うんざりして「愛犬の友」を買ってみればそこにも「同士共産主義が南米の××でも勝利をおさめ」・・・。というような信じられないエピソードがあちこちにちりばめられていて、実際本当にそこで生きていた人々には冗談ではないのだが、なんだか笑うしかないような・・・。
タイトルは逆説的。


■ヤロスラフ・ハシェク『不埓な人たち―ハシェク風刺短編集』
カフカ、チャペックと並ぶチェコの代表的人気作家の実体験に基づく(?)面白すぎる短編25編。
本国では大変に有名な作家だそうだ。1883年、チェコのプラハに生まれ、100を超えるペンネームを用い、注文されれば何でも、注文されなくても何でも、という調子で作品を書きまくり、1923年に39歳で亡くなるまでに、確認されただけで千数百の短編を残した。
もっと沢山読んでみたいものだ。


□ヴァーツラフ・ハヴェル『プラハ獄中記―妻オルガへの手紙』

■パヴェル・コホウト『プラハの深い夜』
第二次世界大戦末期、ナチス・ドイツ軍占領下のプラハを揺るがす未亡人連続殺人事件。殺人者の病める魂、捜査にあたるプラハ警察の若き刑事とドイツ人検事の対立と友情を描くミステリー。
読んだはずなんだけど・・・。


■カレル・チャペック『ポケットから出てきたミステリー』
ショート・ミステリーの名品24篇。
赤ん坊誘拐事件のとき警部がとった作戦。・・・「おお、なんとかわいいあかちゃんでしょう」プラハじゅうのおかあさんたちは誇らしく思ったのでした。・・・このあたりのくだりがなんともやさしくて好き。
サボテン盗難事件では、植物マニアである著者の性癖もだいぶ織り込んであると思われる。


■カレル・チャペック『スペイン旅行記』
チャペックらしい知性と観察力、視線のやさしさを感じる。作者自身による挿画がすばらしい。

■カレル・チャペック『園芸家12ヶ月』
こよなく園芸を愛する作者による四季折々の園芸エッセイ。
私は園芸の実践にはあまり興味はないが楽しく読めた。
園芸家は植えたり掘ったりむしったりに忙しくって、咲いた花を観賞する時間はない、とか。


■カレル・チャペック『子犬の生活ダーシェニカ』
チャペック家に生まれた子犬ダーシャちゃんのやんちゃぶりを書いたイラストつきエッセイ。
名文。そしてイラストもかわいい。


■アヴィグドル・ダガン『宮廷の道化師たち』
ナチの司令官の道化師として、20世紀の悪の極限を生きのびた4人の男たちの運命と復讐のドラマ。
作者は1912年、チェコ生まれ。大学在学中から詩人として活動。ヒットラーの台頭により39年出国、ロンドンの外務省に勤務。戦後もプラハの外交官として勤務するが、48年、左翼クーデターが興るとイスラエルへ出国。以後チェコでは発禁。が、ビロード革命後、本国で最も読まれる。イスラエル国籍チェコ系ユダヤ人。
作者の経歴も複雑だし、登場人物の体験も、重い。「共感」とかそういう言葉を安易に使ってはいけない気がする。
安穏と平和に生きている人間には理解できない世界がある。それで仕方がないのではないか。繰り返さない限り。


■■ロシア
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

+ノンフィクション・伝記

2006-06-17 | ■本・動画
■■ノンフィクション・伝記

■ヘンリー・メイヒュー『ロンドン路地裏の生活誌―ヴィクトリア時代』(上・下)
当時の社会派ジャーナリストの雄ヘンリー・メイヒューが取材した職業別風俗誌。
これはたいへんに面白い。もう一度読みたくなってきた。
ヴィクトリア朝の小説をよむときは、いつもこれを読んでおいて本当によかったと思っている。一日中河に腰までつかって底をさらう仕事(河ひばり)とか、下水管の中をあるきまわってめぼしいものを探す仕事とか、『五輪の薔薇』を読んだとき参考になった。
当時、なんと犬のフンを拾って売る仕事があったんですよ!皮なめし屋が買い取るんだって。お金持ちの家の犬の糞のほうが品質が高いとか。なんと土やワラなどでニセのふんをつくる人もいたそうな。
資源のリサイクルについてもいろいろ考えさせられます。
翻訳では上下二巻組だが、原作は7巻(17巻?)にもなる大著だそうだ。
そのうち全訳がでないかなあ。
ところで、18,9世紀ロンドンに関する本は結構読んだけれど、数年前実際に訪れてみると、なんだか暑くて東京みたいに混雑していて、食べものはおいしくないのに物価はものすごく高くて、いい印象は持てませんでした。建物などは残されているのだから、注意深さが足りなかったのかな。江戸ファンは現代東京にもっと幻滅するでしょうね。

□クリスティン・ヒューズ『十九世紀イギリスの日常生活』(読んだかも)
□アネット・ホープ『ロンドン 食の歴史物語―中世から現代までの英国料理』
□新田潤美『階級にとりつかれた人びと―英国ミドル・クラスの生活と意見』
□新田潤美『不機嫌なメアリー・ポピンズ―イギリス小説と映画から読む「階級」』
□安達まみ『“食”で読むイギリス小説―欲望の変容』
□久守和子『“衣裳”で読むイギリス小説―装いの変容』
□益子政史『ロンドン悪の系譜―スコットランド・ヤード 』

■アナベル・ファージョン『エリナー・ファージョン伝―夜は明けそめた』

■エリナー・ファージョン『ファージョン自伝―わたしの子供時代』
両方の伝記を読んで、昔から愛読していた作者のことをはじめて知った。
ヴィクトリア朝の中・上流家庭では子供を学校に入れず、家庭教師に勉強をみさせた。そのせいか兄弟の絆が非常に強かった。
ファージョン自身は随分おくてで、どうやって子供をつくるのか30代にさしかかる頃まで知らなかった。
生涯自分の子供を持たなかった。
父、母、弟(戦死)、兄、夫を看取っている。
晩年(夫が健在のころから)ある若い作家を(自分の子供のように?)愛し励まして、一時期同居していた。(それとも恋人だったのかな?)


■エリナー・ファージョン『想い出のエドワード・トマス―最後の4年間』
彼女が20代の頃、心から愛した詩人が戦死するまでの4年間の想い出。

□アイリーン・コルウェル『エリナー・ファージョン―その人と作品』


■アン・クラーク・アモール『オスカー・ワイルドの妻―コンスタンス・メアリー・ワイルドの生涯』
ワイルドとアルフレッド・ダグラス卿に隠れてあまり日の当たらない存在だったワイルド夫人。しかし彼女は晩年の精神的、肉体的苦痛(ヘルニアでほとんど車椅子生活だったとか)によく耐えて子供たちを守ったのだ。常人には出来ない。
それにしてもワイルドは、「王女と侏儒」という童話で残酷な愛を見事に描いているにもかかわらず、自分はアルフレッド・ダグラス卿にその侏儒のように酷い扱いをうけている。何故。


■マイク・ダッシュ『難破船バタヴィア号の惨劇』
オランダ東インド会社の商船バタヴィア号がオーストラリア沖で難破した。生き残り340名のリーダーになった人物が今で言うサイコパスで、自分では手を下さないものの暴力的な人物を操って、150名になるまでに次々に殺し続ける、という信じられない実話を出来る限り淡々と、資料をもとに書きつづっている。
アマゾンのブックレビューではこの客観性がつまらない、という評もあったが、私は事実の羅列だけでも十分驚いた。本当に起こったこととは信じられない。心理描写などないから何度も数ページ遡って、行動原理・因果関係を読み取ろうと努力してみた(でも理解不能)。
そんじょそこらのサイコ・ホラーよりも怖い。おすすめ。


■村上春樹『シドニー!』
村上春樹のシドニーオリンピック報告。
村上春樹氏が走る人だとは知っていたがオリンピックと関連づけて考えたことはなかった。案の定、こんな機会(雑誌Numberの依頼)でもなければオリンピックなんていう壮大な無駄と退屈の現場に足を運ぶことはない、と言い切っている。
しかし、この本が退屈かと言われると、なんだかオリンピックの熱気をはらんで、つい一気に読ませる(夜更かししてしまいましたよ)。
この作家の旅行記・エッセイは個人主義的なところが好きだ。
オリンピックみたいな社会的事件だと、○○はこうすべきだ、こうあるべきではなかった、なんて熱く語る人間が増えてくるけれど、そういう人たちのことを、「××という社会状況に対して自分自身が深く傷つけられたと感じてしまう人々」と呼ぶ。
「義憤」という感情に敏感な個人主義者。

この作者の『遠い太鼓』は何度も読み返してきたし今後も読むだろうが、これはおそらく読み直さないだろう。けれど読んでよかった作品でもある。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

+英米文学(ミステリ)

2006-06-16 | ■本・動画
(■読んだもの、□読みたいもの)
(順不同)
(概要説明にはアマゾンから写したものもあります)

■■英米文学-ミステリ
■ジョン・ディクスン・カー『ヴードゥーの悪魔』
19世紀半ばのニューオーリンズを舞台にした歴史ロマン溢れる長編ミステリ。
奴隷がいて、女性がフープスカートをはいていたころのニューオリンズはのどかで優雅な雰囲気。アメリカ南部にはちょっと興味がある(イメージはまだあまり沸かないのだけれど)。


■ジョン・ディクスン・カー『グラン・ギニョール』
短篇全3篇にはさほど心ひかれなかったが、エッセイ「地上最高のゲーム」はミステリ好きには必読ではなかろうか。知らずに読んで大変得をした気分になった。

■ジョン・ディクスン・カー『月明かりの闇―フェル博士最後の事件』
ネタバレなのだが、登場する若い女性の恋人は一人目も二人目もかなり年上、という設定は、個人的には共感するのだが、小説の描写では説得力がない。あんまり描き込むと推理小説だからよくないのかな。殺人のトリックはなんだか無理がある気がする。

■ジョン・ディクスン・カー『仮面劇場の殺人』
最後のぎりぎりまで犯人があがくところが最近のハリウッド映画のよう。

■R.L.スタイン『迷信』
不思議な迷信や民話の数々を口にする、知的で魅力的な雰囲気を漂わせた、大学教授リアム。平和なはずの町「フリーウッド」で繰り広げられる、残虐な殺人事件の数々。最後に生き残るのは…。
という扉の説明を読んで読み始めたら、随分経ってから、モンスターの出てくるホラー小説だということが分かった。ずっと普通のサスペンスだと思ってて、どうオチがつくのかと期待してたのに。怪物が出てくるんだったら読み方も違ったのに。地道に「7並べ」してたら相手の持ち札が全部ジョーカーだったとわかったような気分。


■レックス・スタウト『手袋の中の手』
若き女性探偵ドル・ボナーに舞い込んだ依頼は富豪夫人をたぶらかす怪しげな宗教家の調査だったが…。名探偵ネロ・ウルフでお馴染みの巨匠が生んだミステリ史上初の自立した女性探偵、待望の本邦登場。
これはどうもシリーズ化しようとしてそうならなかったものらしい。自立した女性探偵というところが受けなかったのだろうか。


■マシュー・パール『ダンテ・クラブ』
1865年、ボストンとケンブリッジで猟奇殺人が続発する。犯行の手口が表わす意味に気づいたのは「ダンテ・クラブ」-文壇の重鎮たちだけだった。彼らに挑むかのように、犯人は「地獄篇」に描かれた劫罰を模していたのだ…。
アメリカ文壇の実在人物が大勢登場するが、誰一人として知らない。これでは架空の登場人物と同じことではないか。
おそらくアメリカ人であれば、日本人が漱石や鴎外を知っているようにそれぞれのキャラクターについて予備知識があるのだろう。
ハーバード大学英米文学科を主席で卒業した著者のデビュー作。


■E.L.ドクトロウ『ニューヨーク市貯水場』
19世紀後半のニューヨークの活気と混乱をリアルに蘇らせた傑作歴史サスペンス。
死んだはずの父親を見かけ、真相を探っていた書評記者が忽然と姿を消した。父親が生きているとすれば埋葬されたのは誰か。やがて事件の背後に、汚職政治家と不老長寿の薬を研究する悪魔的天才医師の存在が浮かび上がる。


■レイ・ブラッドベリ『バビロン行きの夜行列車』
短編集。
どれも面白かったけど、詳しいことが思い出せない・・・。
タイトルが「中国行きのスロウ・ボート」みたいでは?関連はないと思うけど。


■レイ・ブラッドベリ『死ぬときはひとりぼっち』
ハードボイルド3部作その1。夜霧に沈む港町、廃業寸前のサーカスを舞台に、名匠の静かな叙情が冴え渡る幻想探偵小説。
『たんぽぽのお酒』というタイトルが気になってはいたがこの作家の作品は読んだことがなかった。SFはそれほど好きなジャンルではないせいもある(カート・ヴォネガットは例外)。
この本はSFでないようなので借りてみた。
ふうん。こういう作家だったのね。たいへんに叙情的。村上春樹を思い出させる。
好きな作家になるかも。


□レイ・ブラッドベリ『黄泉からの旅人』(その2)
□レイ・ブラッドベリ『さよなら、コンスタンス』(その3)
□レイ・ブラッドベリ『監視者』(中編集)
□レイ・ブラッドベリ『二人がここにいる不思議』(短編集)

■アントニイ・バークリー『最上階の殺人』
本作で助手して雇ったロジャー・シェリンガムには勿体ない女性の、コックニー訛での名演シーンが秀逸。

■アントニイ・バークリー『絹靴下殺人事件』
タイトル通りの事件がおこるんだけど、ストーリーの詳細は思い出せず。

■アントニイ・バークリー『レイトン・コートの謎』
ミステリ読みなら犯人は途中で目星がつくのでしょうが、私は最後までだまされました。最後までわくわくできて得したかも。

■アントニイ・バークリー「ロジャー・シェリンガムとヴェインの謎』
『・・・ヴェインの謎」というタイトルは語呂はいいけど落ち着かない。

□アントニイ・バークリー『第二の銃声』
□アントニイ・バークリー『地下室の殺人』
□アントニイ・バークリー『ウィッチフォード毒殺事件』
□アントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』
□アントニイ・バークリー『ジャンピング・ジェニイ』

■ジョン・フランクリン・バーディン『死を呼ぶペルシュロン』『殺意のシナリオ』『悪魔に食われろ青尾蠅』
精神の暗黒部を探究した心理ミステリの傑作。
バーディンはアメリカの作家。1940年代のこの3作は先鋭的すぎてほとんど評価されなかったとか。今読んでも大変に面白い。特に『死を呼ぶペルシュロン』。『悪魔に食われろ青尾蠅』は少々もたついた感じがする。


■ピーター・アクロイド『切り裂き魔ゴーレム』
ヴィクトリア朝ロンドンを舞台にした犯罪小説。実在する人物を織り込んでいる。ジョージ・ギッシングがこんな人物だったとは。
当時のロンドンの風俗も面白い。


■ピーター・アクロイド『オスカー・ワイルドの遺言』
オスカー・ワイルドの日記という形をとった小説。サマセット・モーム賞受賞作。
ワイルド夫人の伝記を読んでいたので分かりやすかった。
返却期限が来てしまって、最後まで読んでいない。もう一度かりようかな。

■ピーター・アクロイド『魔の聖堂』
18世紀と現在、神と悪魔が交錯する戦慄のゴシック・ホラー。
面白かったけど、ストーリーがよく思い出せない・・・・。 『大聖堂の悪霊』とごっちゃになっている・・・。


■ピーター・アクロイド『原初の光』
イングランド南部の村の古代遺跡。その発掘中に発生する不可解な出来事とは?天文学者が追求する宇宙の生成は?
この作家の作品の中では最も読み通すのが苦痛だった。最後まで読んで、がっかりした記憶がある。けどストーリーが思い出せない・・・。

□ピーター・アクロイド『チャタトン偽書』

■G.K.チェスタトン『四人の申し分なき重罪人』
罪なき罪人達「誤解された男のクラブ」会員の身の上話という形をとった中編集。
面白い。ブラウン神父シリーズより読み応えがある。


■パーシヴァル・ワイルド『悪党どものお楽しみ 』
元プロの賭博師ビル・パームリーが腕利きいかさま師たちと対決、巧妙なトリックを次々にあばいていく。エラリイ・クイーンも絶賛したユニークな連作短篇集。

■パーシヴァル・ワイルド『探偵術教えます 』
探偵術の通信教育講座を受講しているお屋敷付き運転手のP・モーラン。彼が(講師の許可なく)探偵法を実践してしまうたびにはちゃめちゃな事態が巻き起こる。爆笑ユーモア・ミステリ連作集。
大変おもしろい。主人公が無欲の勝利で事件を解決していくところがよい。『悪党ども・・・』よりこちらが好き。このひとの作品をもっと読みたいものだ。
(1887‐1953。アメリカの劇作家・小説家)



□J.L.ボルヘス『架空の町』
□オスカー・ワイルド『植物』
□エリス・ピーターズ『修道士カドフェルシリーズ』




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

+フランス文学

2006-06-16 | ■本・動画
■■フランス文学

■ダニエル・ペナック『人喰い鬼のお愉しみ 』『カービン銃の妖精』『散文売りの少女』
フランスでベストセラーとなったユーモア・ミステリ。
主人公マロセーヌとその弟妹、母、恋人、同僚が非常に個性的。かつ可愛らしい。
映画も小説も、フランスの(悲劇でない)作品ってどれも「けたたましい」雰囲気を持っている。何故かな?
登場人物がよく動いて、よくしゃべる。伏線がたくさんあって、全部ちゃんとオチがつく、といったところだろうか。
ふむ。ということはシリアス・ミステリは個々人の心理描写、心象風景などに重きが置かれているということか。
それにしても、パリのアラブ人街(マロセーヌの地元)に行って、おいしいクスクスを食べたい。


■ジャン・フランソワ・ルメール『恐怖病棟』
精神病院を舞台にしたサイコ・スリラー+本格ミステリ。
本当のお医者さんが書いた作品。新作が読みたいものだ。



■ピエール・ヴェリー『サンタクロース殺人事件』
フランス的どたばたユーモア・ミステリ。「プロスペール・ルピック弁護士シリーズ」の珠玉の一編だそうだ。
ネタばれになるけれど、3組のすりかえが出てくるのだが、どれもいまひとつ納得いかないなあ。
家内制手工業でおもちゃを作っている町が雪に閉ざされて・・・、という風景はとても絵になる。警察が雪で延々とたどりつけない、という部分はよかった。


■ケニーゼ・ムラト『皇女セルマの遺言(上・下)』
オスマントルコ帝国の最後の皇女の波乱の一生をその遺児が描いた歴史小説。
身勝手なお姫様に共感出来る部分はほとんどないが、トルコ(生家)およびインド(お嫁入り先)の王侯の暮らしの描写が興味深い。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

+日本の小説・エッセイ

2006-05-30 | ■本・動画
(■読んだもの、□読みたいもの)
(順不同)
(概要説明にはアマゾンから写したものもあります)

■斎藤惇夫(藪内正幸画)『冒険者たち―ガンバと15ひきの仲間』
ガンバと15匹のねずみたちが八丈島をモデルにした南の島に、仲間を助けるためにイタチと闘いに出かける冒険物語。
アニメにもなった有名な作品だと思うが、読むのはこれがはじめて。アニメも実はちらりとしか見かけたことがない。
味方といってもいい人ばかりでないなどよく出来た冒険活劇だと思うが、どうしても、ドリトル先生のネズミの話や、ミス・ビアンカシリーズと比べてしまう。そして、これら2つの方が圧倒的に好きなのである。
日本人の書いた文学は当然作者の心の赴くままに口調(台詞)もくだけている。それに比べ翻訳児童文学の文体は、(現代のものはともかく)昔の作品は、格調高い、というか抑制が加えてあってそこが好きだ。
挿絵も、ガース・ウィリアムズに比べると・・・・。
大体縮尺が間違っている絵が多い。ねずみやイタチがリンゴ、バナナ、パイナップルを食べるのだが、その大きさが、人間:バナナの比と同じなのだ。がっかりする。
ミス・ビアンカの挿絵では実際のねずみ:もの比で描いてある。拡大鏡で覗いたような独特の挿絵世界はこういう正しい縮尺でものを描いているところからくるのでは。



■深田祐介『美食は人にあり』
文庫版タイトル『美味交友録』。
タイトルにひかれてつい借りてしまったが、大失敗。最低。著者が有名人との交友をひけらかす、というエッセイで、何の面白味もない。
台湾で××ホテル総支配人に招待されてどこのレストランに行ったとか、パリで辻調理師専門学校パリ校の校長の××氏に紹介されてどこのレストランに行ったとか(内容と違ってるかもしれないけど)それに近いことが延々と連ねてある。
全ての登場人物の出身校、職業、肩書き(総支配人とか支店長とか)がこんなに無意味に出てきてかつその人物像がまったく話にかかわらないエッセイというものもあるのだ。あきれる。
西原理恵子がマリ・クレールなどに登場するような女社長のことを「国際的な私。ゴージャスな私。セレブと知り合いの私。私を見なさい」と要約しているがまさにそんな感じのエッセイ。こういうのを「下品」というのではないか?
この作家、小説は面白いのかもしれないけれど、二度と手に取りたくない。忘れないために記録しておく。


■村上春樹『海辺のカフカ』(上・下) 2008.2
これまで読んだ村上春樹の小説のモチーフがあちこちにある。幼なじみで完璧な恋人である佐伯さんとその恋人は、『ノルウェイの森』。「僕」のお父さんはほとんど人物描写なしにまわりに悪をまき散らす人と描かれて言えるが、『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる女の人のお兄さんもこんな描かれ方ではなかったか。ナカタさんがひたすら眠るところは『レキシントンの幽霊』。
いつものとても読みやすい村上春樹の文体はなつかしかった。
暗示や比喩が多いよく分からないストーリー(ファンタジー?)にも思えたけれどちょっと取り憑かれてしまうような力があると思った。小説のせいか春のせいか、眠くて仕方がない。疲労感がどっと押し寄せる。読むべきではなかった?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする