先日、神保町の三省堂を訪れたら、3階の経済・経営・法律関係のフロアーの一角に、面白い経営学書コーナーが設置されていた。
壁面いっぱいに、東洋経済新報社115周年記念企画と銘打ってディスプレイされた経済や経営学書をバックに、三省堂と英治出版との共催で、「ドラッカーだけではない。世界のトップマネジメントシンカーたち。」と言うコーナーが設けられていて、一種の独善と偏見で選ばれた本が並べられていて、それが、結構、興味深いのである。
「マネジメント・ブームを、ブームだけに終わらせないためにドラッカー以外のマネジメントシンカーを紹介したい。」と言うことだが、私にとって、まず、非常に面白かったのは、私が、もう、何十年も以上も前に勉強した、骨董品とも思うべき経営学書の、新刊翻訳本が沢山出ていると言うこと。言い換えれば、誰が読むのかと言うことでもある。
古いところでは、F.D.テイラー著「科学的管理法」、ドラッカーと同時代と言うことでは、A.マズロー著「完全なる経営」、アルフレッド・スローン Jr著「GMとともに」、D.マクレガー著「企業の人間的側面」、それに、ワトソン、アンゾフ、サイモン、パーキンソン等々、一々手にとって見なかったけれど、このあたりの本である。
もう、何十年も前に、大学やアメリカのビジネス・スクール時代に私自身が手に取った本で、今の時代に、このようなかなり大部の原典を読むことに、どれほど価値があるのかと言う素朴な疑問を感じたのである。
私自身は、経営学書は、それを取り巻く経済社会政治環境のみならず、経営主体が時代とともに大きく変化するので、哲学・宗教・文学・芸術のように普遍性の強い分野と違って、非常に賞味期限の短い学問であり、ドラッカーは別格としても、時代に耐えて行ける作品は、非常に少なく、時には害になることもあるような気がしているので、経営学の古典には、限定的な価値しか認められないと思っている。
特に、ここで集められている「ドラッカー以前、伝説のマネジメントシンカー」や、「ドラッカーと同じ時代を生きたマネジメントシンカー」についての骨董書で、経営学や近代経営の発展に貢献した一里塚としての価値は認めるが、今現在、拝み読むべき本かどうかは別問題である。
ところで、この経営学書フェアを企画したのは、英治出版の岩田大志さんと言う営業の方と三省堂のようだが、その他の経営学書の選択ジャンルは、「経営論、戦略論の大家たち」「組織と行動、リーダー論を紐解くマネジメントシンカー」「マーケティング思考するリーダー」「世界に誇る日本人メネジメントシンカー」などだが、あくまで営業政策上の企画だと言うことならそれでも良かろう。
しかし、今回の経営学書を先のキーワードで選択したと言うのだが、何の脈絡もなければ、統一性もないし、各ジャンルで、何らかの形で話題になったり知られている本を列挙しているに過ぎないとしか思えないのだが、「ここに並んだ本たちは、すべて時代を超えて読み次がれる名著たちです。」とまで言っている。
その前に、もっと奇怪なのは、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』ブームでドラッカーが広く知れ渡ったが、世界のマネジメントシンカーはドラッカーだけではないと言うことを、このブームが去り読者が離れる前に、ドラッカー以外のマネジメントシンカー&その著作を紹介したいと思って、このフェアを企画したと言うのだから恐れ入る。
こんな場合、書店や出版社(自社出版物でない場合)の人が本を紹介なり推薦する場合には、まともに読み終えていると言う前提があってのことなのであろうが、今回紹介図書は、ビジネス・スクールの教授でも、とてもとてものボリュームで、理解咀嚼となると気が遠くなるほどである筈である。
(余談だが、唐突に選ばれた、2009年・世界で最も影響のある思想家(タイム誌)と言うジャンルで、急逝したC.K.プラハラードの3書籍が紹介されているのだが、これについては、私自身は、文句なく素晴らしい本だと思っている。)
色々な人の推薦を得た企画で著名な経営学書を集めたまでで、気に入った書物があれば読んで貰えれば良いと言う程度のことなら無難なのだが、時代を超えた名著だとか、読むべきだと言うのなら、僭越ではないかと思っている。
少し前に、経済書の何かのブームで、店頭に、ケインズの「一般理論」やマルクスの「資本論」やスミスの「国富論」と言った原典が、さも、ベストセラーであるかのようにディスプレイされて売られていたが、経済学を一寸勉強した人なら、如何に難解な骨のある古典であるかが分かっている筈で、一般読者が手にとって簡単に御せる書物ではない。
先の経営学書の中にも、ビジネススクールで、まともに勉強しないと分からないような難解な、または、内容の深い本があり、一般書店で一般読者に推薦するような本ではないものがかなりあるのである。
また、経営学関連の推薦本について、東京駅近くの丸善の「読み継がれるビジネス名著」と言うコーナーを見て、同じようなことを感じた。
ここには、スキルアップ、サービスアップ、自己啓発、組織を動かす、リーダーシップ、経営者、等々と言った銘を打って本が並べられているのだが、本当に読み継がれる名著に値するのか疑問に思えるような本(と言うと語弊があるので、もっと適切な素晴らしい本があるのにそれを無視して選んだ本)が並んでいるのである。
結論としてのわたしの感想だが、書店に、まともに読んで理解もせずに、無責任ないい加減な専門書の推薦書コーナーを設けて読まねばならない名著だとのたまうなと言いたいと言うことである。
この程度の書店経営では、e-bookに駆逐されて、消えてゆかざるを得ないのは当然だと言えないであろうか。
壁面いっぱいに、東洋経済新報社115周年記念企画と銘打ってディスプレイされた経済や経営学書をバックに、三省堂と英治出版との共催で、「ドラッカーだけではない。世界のトップマネジメントシンカーたち。」と言うコーナーが設けられていて、一種の独善と偏見で選ばれた本が並べられていて、それが、結構、興味深いのである。
「マネジメント・ブームを、ブームだけに終わらせないためにドラッカー以外のマネジメントシンカーを紹介したい。」と言うことだが、私にとって、まず、非常に面白かったのは、私が、もう、何十年も以上も前に勉強した、骨董品とも思うべき経営学書の、新刊翻訳本が沢山出ていると言うこと。言い換えれば、誰が読むのかと言うことでもある。
古いところでは、F.D.テイラー著「科学的管理法」、ドラッカーと同時代と言うことでは、A.マズロー著「完全なる経営」、アルフレッド・スローン Jr著「GMとともに」、D.マクレガー著「企業の人間的側面」、それに、ワトソン、アンゾフ、サイモン、パーキンソン等々、一々手にとって見なかったけれど、このあたりの本である。
もう、何十年も前に、大学やアメリカのビジネス・スクール時代に私自身が手に取った本で、今の時代に、このようなかなり大部の原典を読むことに、どれほど価値があるのかと言う素朴な疑問を感じたのである。
私自身は、経営学書は、それを取り巻く経済社会政治環境のみならず、経営主体が時代とともに大きく変化するので、哲学・宗教・文学・芸術のように普遍性の強い分野と違って、非常に賞味期限の短い学問であり、ドラッカーは別格としても、時代に耐えて行ける作品は、非常に少なく、時には害になることもあるような気がしているので、経営学の古典には、限定的な価値しか認められないと思っている。
特に、ここで集められている「ドラッカー以前、伝説のマネジメントシンカー」や、「ドラッカーと同じ時代を生きたマネジメントシンカー」についての骨董書で、経営学や近代経営の発展に貢献した一里塚としての価値は認めるが、今現在、拝み読むべき本かどうかは別問題である。
ところで、この経営学書フェアを企画したのは、英治出版の岩田大志さんと言う営業の方と三省堂のようだが、その他の経営学書の選択ジャンルは、「経営論、戦略論の大家たち」「組織と行動、リーダー論を紐解くマネジメントシンカー」「マーケティング思考するリーダー」「世界に誇る日本人メネジメントシンカー」などだが、あくまで営業政策上の企画だと言うことならそれでも良かろう。
しかし、今回の経営学書を先のキーワードで選択したと言うのだが、何の脈絡もなければ、統一性もないし、各ジャンルで、何らかの形で話題になったり知られている本を列挙しているに過ぎないとしか思えないのだが、「ここに並んだ本たちは、すべて時代を超えて読み次がれる名著たちです。」とまで言っている。
その前に、もっと奇怪なのは、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』ブームでドラッカーが広く知れ渡ったが、世界のマネジメントシンカーはドラッカーだけではないと言うことを、このブームが去り読者が離れる前に、ドラッカー以外のマネジメントシンカー&その著作を紹介したいと思って、このフェアを企画したと言うのだから恐れ入る。
こんな場合、書店や出版社(自社出版物でない場合)の人が本を紹介なり推薦する場合には、まともに読み終えていると言う前提があってのことなのであろうが、今回紹介図書は、ビジネス・スクールの教授でも、とてもとてものボリュームで、理解咀嚼となると気が遠くなるほどである筈である。
(余談だが、唐突に選ばれた、2009年・世界で最も影響のある思想家(タイム誌)と言うジャンルで、急逝したC.K.プラハラードの3書籍が紹介されているのだが、これについては、私自身は、文句なく素晴らしい本だと思っている。)
色々な人の推薦を得た企画で著名な経営学書を集めたまでで、気に入った書物があれば読んで貰えれば良いと言う程度のことなら無難なのだが、時代を超えた名著だとか、読むべきだと言うのなら、僭越ではないかと思っている。
少し前に、経済書の何かのブームで、店頭に、ケインズの「一般理論」やマルクスの「資本論」やスミスの「国富論」と言った原典が、さも、ベストセラーであるかのようにディスプレイされて売られていたが、経済学を一寸勉強した人なら、如何に難解な骨のある古典であるかが分かっている筈で、一般読者が手にとって簡単に御せる書物ではない。
先の経営学書の中にも、ビジネススクールで、まともに勉強しないと分からないような難解な、または、内容の深い本があり、一般書店で一般読者に推薦するような本ではないものがかなりあるのである。
また、経営学関連の推薦本について、東京駅近くの丸善の「読み継がれるビジネス名著」と言うコーナーを見て、同じようなことを感じた。
ここには、スキルアップ、サービスアップ、自己啓発、組織を動かす、リーダーシップ、経営者、等々と言った銘を打って本が並べられているのだが、本当に読み継がれる名著に値するのか疑問に思えるような本(と言うと語弊があるので、もっと適切な素晴らしい本があるのにそれを無視して選んだ本)が並んでいるのである。
結論としてのわたしの感想だが、書店に、まともに読んで理解もせずに、無責任ないい加減な専門書の推薦書コーナーを設けて読まねばならない名著だとのたまうなと言いたいと言うことである。
この程度の書店経営では、e-bookに駆逐されて、消えてゆかざるを得ないのは当然だと言えないであろうか。