ユニクロに象徴される価格破壊とも言うべき物価値下がりは、所謂、喜ぶべきイノベーションではある反面、経済を蝕みつつある新型デフレの元凶で、これに呼応した賃金安との歯止めの掛からないスパイラル現象が、世界中に波及して、財政破綻国家の出現などグローバルベースで展開し危機的な様相を呈している。
何時もの浜流の語り口で、ユニクロ型デフレから説き起こして、現在のギリシャ問題やイギリスの政権交代に至るカレントトピックスまで交えて、国際経済とグローバル恐慌の歴史や問題点浮き彫りにしながら、日本のあるべき姿を、丁寧に説いていて面白い。
この本で、私が興味を持ったのは、日頃の経済論議ではなく、浜教授が、経済論を展開しながら、人生観を語っていることである。
「ユニクロ栄えて国滅ぶ」とまで言うのだが、何故、ユニクロ型デフレが問題かと言うことだが、歯止めなき安売り競争を激化させるだけで人々の生活を益々窮地に追い込み、「貧すれば鈍する」と同時に「鈍すれば貧する」で、デフレの齎す負のスパイラルが、日本人の感受性を鈍磨させ、日本人が伝統的に保持してきた「質へのこだわり」を失わせ、日本人の魂さえ破壊しつつあると言うのである。
更に、このようなデフレ社会において、生きる為に、むき出しの自己利益追求の果てに待つものは、共食い・共倒れの世界であり、「自分さえ良ければ」病の蔓延で、死に至るのだと言う。
デフレの元凶は、歯止めなき低価格競争だとすると、もうひとつの要因は、賃金の下落・失業の増加による購買力の低下で、何故、労働組合が、もっと経営者に強力に対峙して賃上げを要求しないのかと詰問する。
デフレだからこそ労働分配率を引き上げて、労働者であると同時に消費者でもある人間にモノを買わせるべきで、そうしなければ経済活動は行き詰る。
需要としての側面の賃金と言うだけではなく、浜教授は、decent wage すなわち、まともな、きちんとした賃金であるべきだと言う考え方をしている。
浜教授の頭には、深刻なデフレ下においては、企業がひたすら安いものを造り続けて、体力の弱い企業から倒産して失業者がふえ、従業員への分配率を下げ続けると言ったタコが自分の足を食うような「恐怖の自分食い」状態から脱却する為には、一人勝ちの思想から「みんながそこそこやって行ける」方向を目指すしかない、「あまねき富の均霑」以外にないと言う考え方がある。
従って、今日のような成熟経済下の日本には、経団連が唱えている「新産業の必要性」などいくら追求しても、激しい競争を惹起して新型デフレの種を蒔くだけだと言うのである。
世界の国は順繰りに豊かになって行くもので、中国やインド、ブラジルが急成長する番なのだから、今度はスネを齧る国になって「コバンザメ的」な生き方を目指すのも選択肢の一つだと言う。
尤も、浜教授も好き好んでこのような考え方に立っているのではなく、あまりにも、バブル崩壊後の国の舵取りの稚拙さ故に、今日の凋落があるのだと説く。もう、日本人は疲れてしまったのである。
まず、1980年代の『時点で、日本経済を外に向かって大きく開き、内においては多様性を追求すると言う方向へパラダイム・チェンジをすべきであったのに、輸出と言う一点のみに集中して世界と繋がり、後は全部閉じて、グローバル化の夜明けに向かう世界と完全に決別して、歴史を逆行してしまったこと。
そして、小泉・竹中時代に、不況下にあって、貧富の格差を拡大する傾向を持つ「新自由主義経済」を押し進めて、放置すれば弱者が淘汰される社会でありながら、社会のセイフティネットを十分に張らずに、弱者救済ではなく、グローバル・ジャングルになったのだから、もっと競争努力せよと、自分の身は自分で守れと追い込みをかけて、益々、経済格差を強化してしまったこと。
浜教授は、この本の最後の章「二十一世紀型への処方箋」で、中央集権的管理から競争的分権へ、そして、国民国家の解体への傾向を論じて、将来に日本像を、夫々の地域共同体が「開かれた小国」になって行くと考えている。
「三方一両損」に二十一世紀の共存共栄を見ると言った見解なども含めて、成長発展とは決別した、と言うよりも、諦めたと言うか、世の中が変わってしまったんだから、人間の幸せとは何なのか、原点に戻って考えてみるべきだと言う人生観のようなものが滲み出たような経済書になっているのが面白い。
経済成長に関する見解については、私自身、違った考え方をしていて、多少、言い分があるのだが、これまでに、何度も議論を展開しているので、今回は止めて置きたい。
何時もの浜流の語り口で、ユニクロ型デフレから説き起こして、現在のギリシャ問題やイギリスの政権交代に至るカレントトピックスまで交えて、国際経済とグローバル恐慌の歴史や問題点浮き彫りにしながら、日本のあるべき姿を、丁寧に説いていて面白い。
この本で、私が興味を持ったのは、日頃の経済論議ではなく、浜教授が、経済論を展開しながら、人生観を語っていることである。
「ユニクロ栄えて国滅ぶ」とまで言うのだが、何故、ユニクロ型デフレが問題かと言うことだが、歯止めなき安売り競争を激化させるだけで人々の生活を益々窮地に追い込み、「貧すれば鈍する」と同時に「鈍すれば貧する」で、デフレの齎す負のスパイラルが、日本人の感受性を鈍磨させ、日本人が伝統的に保持してきた「質へのこだわり」を失わせ、日本人の魂さえ破壊しつつあると言うのである。
更に、このようなデフレ社会において、生きる為に、むき出しの自己利益追求の果てに待つものは、共食い・共倒れの世界であり、「自分さえ良ければ」病の蔓延で、死に至るのだと言う。
デフレの元凶は、歯止めなき低価格競争だとすると、もうひとつの要因は、賃金の下落・失業の増加による購買力の低下で、何故、労働組合が、もっと経営者に強力に対峙して賃上げを要求しないのかと詰問する。
デフレだからこそ労働分配率を引き上げて、労働者であると同時に消費者でもある人間にモノを買わせるべきで、そうしなければ経済活動は行き詰る。
需要としての側面の賃金と言うだけではなく、浜教授は、decent wage すなわち、まともな、きちんとした賃金であるべきだと言う考え方をしている。
浜教授の頭には、深刻なデフレ下においては、企業がひたすら安いものを造り続けて、体力の弱い企業から倒産して失業者がふえ、従業員への分配率を下げ続けると言ったタコが自分の足を食うような「恐怖の自分食い」状態から脱却する為には、一人勝ちの思想から「みんながそこそこやって行ける」方向を目指すしかない、「あまねき富の均霑」以外にないと言う考え方がある。
従って、今日のような成熟経済下の日本には、経団連が唱えている「新産業の必要性」などいくら追求しても、激しい競争を惹起して新型デフレの種を蒔くだけだと言うのである。
世界の国は順繰りに豊かになって行くもので、中国やインド、ブラジルが急成長する番なのだから、今度はスネを齧る国になって「コバンザメ的」な生き方を目指すのも選択肢の一つだと言う。
尤も、浜教授も好き好んでこのような考え方に立っているのではなく、あまりにも、バブル崩壊後の国の舵取りの稚拙さ故に、今日の凋落があるのだと説く。もう、日本人は疲れてしまったのである。
まず、1980年代の『時点で、日本経済を外に向かって大きく開き、内においては多様性を追求すると言う方向へパラダイム・チェンジをすべきであったのに、輸出と言う一点のみに集中して世界と繋がり、後は全部閉じて、グローバル化の夜明けに向かう世界と完全に決別して、歴史を逆行してしまったこと。
そして、小泉・竹中時代に、不況下にあって、貧富の格差を拡大する傾向を持つ「新自由主義経済」を押し進めて、放置すれば弱者が淘汰される社会でありながら、社会のセイフティネットを十分に張らずに、弱者救済ではなく、グローバル・ジャングルになったのだから、もっと競争努力せよと、自分の身は自分で守れと追い込みをかけて、益々、経済格差を強化してしまったこと。
浜教授は、この本の最後の章「二十一世紀型への処方箋」で、中央集権的管理から競争的分権へ、そして、国民国家の解体への傾向を論じて、将来に日本像を、夫々の地域共同体が「開かれた小国」になって行くと考えている。
「三方一両損」に二十一世紀の共存共栄を見ると言った見解なども含めて、成長発展とは決別した、と言うよりも、諦めたと言うか、世の中が変わってしまったんだから、人間の幸せとは何なのか、原点に戻って考えてみるべきだと言う人生観のようなものが滲み出たような経済書になっているのが面白い。
経済成長に関する見解については、私自身、違った考え方をしていて、多少、言い分があるのだが、これまでに、何度も議論を展開しているので、今回は止めて置きたい。