熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

子供の日、ケーキ屋さんは3密

2020年05月07日 | 生活随想・趣味
   子供の日、近所のケーキ屋さんに、予約をしておいた孫息子の端午の節句のお祝いのケーキを受け取りに行ったら、バス道路にまではみ出す長い列が出来ていた。
   2メートルのソーシャル・ディスタンスを取るための空間のある所為もあったのだが、それにしても、いつもより混んでいたので、休校になって家に居る子供たちを慮っての親心の発露であろう。
   ただし、ショッピングには団体で出かけないでくださいとのお触れにも拘わらず、結構、小さな子供連れの客が多いのは、特に、3密の意識などなく、日頃と同じケーキ屋さんへ行くという感覚なのであろうと思う。

   我々子供の頃は、まだ、戦後のどさくさとその流れで、生活するのがやっとと言うことで、正月や誕生日くらいは、親に祝って貰ったことがあったとしても、成長の節々でお祝いなどのムードからほど遠い生活をしていたのだが、多少、生活にゆとりが出てきた所為もあって、娘たちや孫たちには、何かと理屈を付けてお祝いをすることが多くなってきた。
   幸い、ほんの徒歩の距離に良いケーキ屋さんがあるので、何かというとこの店に行って、ケーキを買って、孫たちを喜ばせている。

   さて、最近の傾向だが、日本人は、季節のケジメというか、記念日などと言った行事には、殆ど無関心になってきたと感じている。
   クリスマスやバレンタインなどとなると商業的プロパガンダに煽られて、結構、浮かれて派手に対応するのだが、日本の伝統行事については、無関心というか殆ど意識にないようになったと思う。

   これは、私自身もやったことがないので偉そうなことは言えないが、国民の祭日に国旗を掲揚しないことである。
   5月5日は祭日だが、私の町内を歩いてケーキ屋さんに行くまでに、門口に国旗が立っていたのは、一軒だけであった。
   ほかの旗日でも、国旗が掲揚される家など皆無に近い。
   余談だが、端午の節句は、男の子の祝日で、昔は、鯉のぼりが空に泳いでいたと思うのだが、これもこの頃殆どなく、近所では、我が家だけであった。

   もう一つ気になったのは、正月の松飾りである。
   これも、私の家は、最近は極めてシンプルになって、裸の松を二本、門扉の両側に括り付けるだけだけれど、これを松飾りとしている。
   しかし、今春、元旦に町内を歩いたときには、ほぼ、半分の家の門扉には、どんな形の正月飾りもなかった。
   これは、鎌倉山の西麓の典型的な都市型住宅街の話で、地方に行けばどうかは分からないが、一つの最近の世相の反映であると思う。

   正月は、鏡餅や雑煮は、準備するとしても、我が家など、最近では、本格的なお節料理には殆ど縁がなくなってしまって、すき焼きパーティや、ビーフステーキや寿司で宴会をしている。
   海外に長かった所為もあって、年末年始は、家族旅行に出かけていて、欧米では、正月を祝う習慣もないので、別に気にもならなかたので、その延長でもある。

   ガーデニングをしているので、庭の花木や草花が、季節の移ろいに微妙に変化する姿を見せてくれているので、季節感には敏感にならざるを得ないのだが、やはり、生活の場でも、ヨーロッパの祈祷書の歳時記ではないが、メリハリのきいたリズムは大切にすべきだという気がしている。
コメント
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