新型コロナウィルス危機の勃発で、非常事態宣言が発令されて、外出できなくなったので、日常生活が大分変ってしまった。
私の場合は、もう、会社を離れて大分経つので、自宅に居て悠々自適というか暇人としての生活なので、それ程変ったとは言えないのだが、それでも、思うように出かけられないとなると、精神的に苦痛となる。
鎌倉は、トカイナカなので、住むのには、まずまずであるが、映画館もなければ大きな書店もないと言う文化都市としては考えられないような半端な都市で、何かというと、どうしても、東京か横浜に出ないと都会生活なり文化生活らしき雰囲気は味わえない。
それに、私自身、京都で学生生活をしていたので、京都や奈良など古社寺などを巡る歴史散策を趣味としていたが、鎌倉は、シックな歴史を感じさせてくれる素晴らしい古都だと思うが、あまりにも規模が小さくて、ほんの僅かな日数で歩けてしまい、京都や奈良のようにバリエーションに富んだ名所旧跡の雰囲気や四季折々の微妙な変化や情緒などを味わうことが出来ないのを残念に思っている。
さて、外出の方だが、自動車は、鎌倉に来てから運転免許証を返納してしまい、自転車は立派な電動自転車を買ったものの、危ないと言って家族に止められているので、バスやモノレール、電車など公共交通機関を使っての外出しか出来なくなった。
そのために、3密だと言うことで、バスにもモノレールにも乗らない方が良いと言われると、大船へさえ行けなくなり、東京などもってのほかである。
そんなわけで、まず、困るのは、書店に行けないことで、読者家としては、フラストレーションとなる。
何十冊も、読みたい読みたいと思って買いためた本が積読で、書斎に積み上がっているのだから、それを読めば良いではないかと言うことだが、読書家の悲しい性というか、いくらあっても、書店に出かけて、新しい本に接して手に取らないと満足できないのである。
結局、本の顔を見ずに、アマゾンや楽天ブックスで、本を買うことになっている。
もう一つは、観劇やコンサートに東京へ行けなくなったこと。
勿論、私が行く行かないということには関係なく、劇場の方で公演がキャンセルされて、行けないので仕方がない。
国立能楽堂など、2月下旬から6月末まで主催公演は総てキャンセルされて行けなくなっており、国立劇場の他の劇場の公演も同じキャンセルであるし、歌舞伎座など5月から3ヶ月続くはずだった團十郎襲名披露公演など何時から始まるかさえ分からない。
私は都響会員だが、3月から5月のコンサートはキャンセルされており、7月に2回予定があるが、是非聴きたいと思っているのだが、どうなるか。
それに、7月だと大丈夫だろうと思って、宝生能楽堂での納涼能のチケットも手配したのだが。
他には、カメラを持って、大船フラワーセンターなどを訪れて花の写真を撮ったり、鎌倉湘南巡りを出来なくなったこと。
最近は、出かけるのが少なくなったが、行けないとなると、無性に出かけたくなるものである。
孫娘が、幼稚園休園で家に居て、朝晩の送り迎えで、アップダウンの激しい通園路を往復2回歩く日課がなくなっているので、運動不足となっていて、余計に、外歩きが必要なのである。
そんなこともあって、最近は、面白くもない近所の住宅街を歩いたり、気が向いたら鎌倉山へ向かって歩いている。
外出が少なくなってくると、勢い庭に出てガーデニングに勤しむ時間が多くなってくる。
今年は、若葉で鬱蒼としてきた庭木に、思い切ってはさみを入れて整理し、バラや椿などの鉢花を、こまめに施肥や薬剤散布などにも気を配ってやってきたので、殆ど問題なく綺麗に咲いたし、まずまずのできであり、満足している。
さて、晴耕雨読の書斎生活の方だが、これは、何故か、これまでと同じペースで、それ程はかどってはいないのだが、個々の本をじっくりと読むと言うよりは、積読の本を一冊一冊整理しながら飛ばし読みして、知識を整理して、次に読むべき本を探し出している感じである。
倉庫の本には、手が届かないのだが、ほんの2~300冊の書斎の書棚や足下に積み上げた本でも、忘れてしまっていて、こんなに素晴らし本を読み過ごしていたのかと後悔するくらいであるから、いい加減なもので、恥ずかしいと思っている。
もう一つ、観劇やコンサートなど劇場に行けないので、録り溜めたオペラや映画などをじっくりと観ようと思ったのだが、悲しいかな、劇場と同じ時間を要するので、何時間も書斎に籠もって見続けるというのもままならず、飛び飛び千切れ千切れになって、缶詰になる劇場とは違って、思ったように楽しめない。
いずれにしろ、何やかんやと言いながら、Stay-at-homeの生活を、それ程、苦痛を感じずに、どうにか、我流ながら日々を送っているというのが正直なところである。
早く、新型コロナウイルス騒ぎが終わって欲しい。
私の場合は、もう、会社を離れて大分経つので、自宅に居て悠々自適というか暇人としての生活なので、それ程変ったとは言えないのだが、それでも、思うように出かけられないとなると、精神的に苦痛となる。
鎌倉は、トカイナカなので、住むのには、まずまずであるが、映画館もなければ大きな書店もないと言う文化都市としては考えられないような半端な都市で、何かというと、どうしても、東京か横浜に出ないと都会生活なり文化生活らしき雰囲気は味わえない。
それに、私自身、京都で学生生活をしていたので、京都や奈良など古社寺などを巡る歴史散策を趣味としていたが、鎌倉は、シックな歴史を感じさせてくれる素晴らしい古都だと思うが、あまりにも規模が小さくて、ほんの僅かな日数で歩けてしまい、京都や奈良のようにバリエーションに富んだ名所旧跡の雰囲気や四季折々の微妙な変化や情緒などを味わうことが出来ないのを残念に思っている。
さて、外出の方だが、自動車は、鎌倉に来てから運転免許証を返納してしまい、自転車は立派な電動自転車を買ったものの、危ないと言って家族に止められているので、バスやモノレール、電車など公共交通機関を使っての外出しか出来なくなった。
そのために、3密だと言うことで、バスにもモノレールにも乗らない方が良いと言われると、大船へさえ行けなくなり、東京などもってのほかである。
そんなわけで、まず、困るのは、書店に行けないことで、読者家としては、フラストレーションとなる。
何十冊も、読みたい読みたいと思って買いためた本が積読で、書斎に積み上がっているのだから、それを読めば良いではないかと言うことだが、読書家の悲しい性というか、いくらあっても、書店に出かけて、新しい本に接して手に取らないと満足できないのである。
結局、本の顔を見ずに、アマゾンや楽天ブックスで、本を買うことになっている。
もう一つは、観劇やコンサートに東京へ行けなくなったこと。
勿論、私が行く行かないということには関係なく、劇場の方で公演がキャンセルされて、行けないので仕方がない。
国立能楽堂など、2月下旬から6月末まで主催公演は総てキャンセルされて行けなくなっており、国立劇場の他の劇場の公演も同じキャンセルであるし、歌舞伎座など5月から3ヶ月続くはずだった團十郎襲名披露公演など何時から始まるかさえ分からない。
私は都響会員だが、3月から5月のコンサートはキャンセルされており、7月に2回予定があるが、是非聴きたいと思っているのだが、どうなるか。
それに、7月だと大丈夫だろうと思って、宝生能楽堂での納涼能のチケットも手配したのだが。
他には、カメラを持って、大船フラワーセンターなどを訪れて花の写真を撮ったり、鎌倉湘南巡りを出来なくなったこと。
最近は、出かけるのが少なくなったが、行けないとなると、無性に出かけたくなるものである。
孫娘が、幼稚園休園で家に居て、朝晩の送り迎えで、アップダウンの激しい通園路を往復2回歩く日課がなくなっているので、運動不足となっていて、余計に、外歩きが必要なのである。
そんなこともあって、最近は、面白くもない近所の住宅街を歩いたり、気が向いたら鎌倉山へ向かって歩いている。
外出が少なくなってくると、勢い庭に出てガーデニングに勤しむ時間が多くなってくる。
今年は、若葉で鬱蒼としてきた庭木に、思い切ってはさみを入れて整理し、バラや椿などの鉢花を、こまめに施肥や薬剤散布などにも気を配ってやってきたので、殆ど問題なく綺麗に咲いたし、まずまずのできであり、満足している。
さて、晴耕雨読の書斎生活の方だが、これは、何故か、これまでと同じペースで、それ程はかどってはいないのだが、個々の本をじっくりと読むと言うよりは、積読の本を一冊一冊整理しながら飛ばし読みして、知識を整理して、次に読むべき本を探し出している感じである。
倉庫の本には、手が届かないのだが、ほんの2~300冊の書斎の書棚や足下に積み上げた本でも、忘れてしまっていて、こんなに素晴らし本を読み過ごしていたのかと後悔するくらいであるから、いい加減なもので、恥ずかしいと思っている。
もう一つ、観劇やコンサートなど劇場に行けないので、録り溜めたオペラや映画などをじっくりと観ようと思ったのだが、悲しいかな、劇場と同じ時間を要するので、何時間も書斎に籠もって見続けるというのもままならず、飛び飛び千切れ千切れになって、缶詰になる劇場とは違って、思ったように楽しめない。
いずれにしろ、何やかんやと言いながら、Stay-at-homeの生活を、それ程、苦痛を感じずに、どうにか、我流ながら日々を送っているというのが正直なところである。
早く、新型コロナウイルス騒ぎが終わって欲しい。