熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

映画「スターリンの葬送狂騒曲」

2021年09月22日 | 映画
   WOWOW で録画していた2017年の映画「スターリンの葬送狂騒曲 The Death of Stalin」を観た。
   ヒトラーと共に、20世紀最も残虐な暴君で、歴史の歯車を大逆転させた許しがいた人物だが、この作品は、コメディタッチの映画で、そんなスターリン(エイドリアン・マクラフリン)像は微塵も見せず、心なしか、好好爺然としか思えないような描写に終止しているところが、この映画の皮肉というかアイロニーの表出であろうか。興味深い。
   尤も、この映画は、スターリン死後の権力闘争が主体であるから、スターリンの登場は、前半少しだけではある。
   幹部達の権力闘争は、ラヴレンチー・ベリヤ (サイモン・ラッセル・ビール)とニキータ・フルシチョフ ( スティーヴ・ブシェミ)とを軸として、周知の歴史上の挿話を適度に描きこんでおり面白い。
   

   冒頭、コンサートが催されていて、モーツアルトのピアノ協奏曲第23番が演奏されているのをラジオで聴いたスターリンが、録音が欲しいと電話してきたのだが、生放送なので録音をしておらず、採録のために再演奏のドタバタが始まる。家族を粛正されて恨み骨髄のピアニストのマリヤ・ユーディナ(オルガ・キュリレンコ )は再演を断固として拒否するのを拝み倒して録音に成功するが、彼女は、無理に、スターリンに届ける録音盤にメモを忍び込ませる。届いた録音盤を執務室で聞いていたスターリンは、床に落ちたメモを拾って内容を目にする、「ヨシフ・スターリン 国を裏切り 民を破滅させた その死を祈り 神の許しを願う 暴君よ」、笑い飛ばしたが、その直後に意識を失い、昏倒する。
   面白いのは、医者を呼ぶにも掟に従って議論紛々、そして、スターリンが暗殺を心配して粛清したので有能な医師が一人もいなくなっており、3流の医者や経験不足の若手や引退したヘボ医者までかき集めて編成した医師団が、スターリンを診察して、「脳出血により右半身麻痺の状態で、回復の見込みはない」と診断する。
   幹部たちは、表向きは悲嘆にくれるが内心は驚喜して、好機到来とばかり、スターリンの娘スヴェトラーナを味方に付けようと奔走し、無能だが権勢を笠に着る道楽息子のワシーリーの介入を阻止しながら、次の権力を手にしようと、お互いに虚々実々の権謀術数を駆使して暗躍を始める。この闘争も、ソ連のことであるから、もっと、陰に籠もった陰湿で熾烈なものかと思ったら、人間くさいありきたりの策謀なので少しイメージ違い。
   やはり、NKVDを手足としてスターリンの情け容赦のない大粛正を実行し続けてきた今や権力第2位のベリヤが、ピアニストが姪の先生だと云うことで失脚の恐怖を感じているフルシチョフを中心とした者達に権力闘争で追い落とされるのは、必然であったかも知れない。失脚と処刑シーンが凄まじい。

   私の記憶にあるのは、このベリヤを演じているサイモン・ラッセル・ビールで、たしか、リア王であったと思うが、ロンドンのRSCの舞台で、ずんぐりむっくりの精悍な出で立ちの骨太の演技で、圧倒的な迫力であった。この映画でも、悪辣な性格俳優ぶりは異彩を放っていて、穏やかな策士然としたフルシチョフのスティーヴ・ブシェミと好対照で面白い。
   イギリス映画なので、ロシア人が、この映画をどう見るのか、興味のあるところではある。
   どうしても、スターリン死後の権力闘争と云うことになると、暗い殺戮紛いの暗闘のイメージで感じてしまうのだが、考えてみれば、
   ソ連崩壊前後以降のロシアのトップも
   ミハイル・ゴルバチョフから、ボリス・エリツィン、ウラジーミル・プーチンへと、良く分からない間に、変っていたような気がしている。
コメント
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