熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

木版画:喜多川歌麿 風流七小町 花のいろは

2021年09月28日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
    手摺浮世絵木版画の「喜多川歌麿 風流七小町 花のいろは」を手にした

    花の色は うつりにけりな いたづらに わが身 世にふる ながめせしまに  
                              小野小町
       「古今和歌集」(巻二)春下・113、(百人一首・9番)

    醍醐寺のすぐ近く、京都市山科区小野にある随心院が、小野小町ゆかりの寺として知られていて、随分以前に訪れたことがある。
    小野小町と百夜通いの深草少将の恋物語を思うのに格好の位置関係で興味深かったし、小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像や小野小町がこの井戸の水を使い化粧をしていたと云う化粧井戸などは微かに覚えている。

   大学1回生の時に、宇治に下宿をしていて、東一条の本校から自転車で帰る途中、中書島あたりで道を間違えて、綺麗な五重塔を眼前にしたのが醍醐寺への出逢いで、その後、何度も訪れていて、山科から、この随心院や醍醐寺、日野の法界寺の阿弥陀仏などを鑑賞しながら、宇治に向かって、鄙びた田舎道を歩くのが好きであった。もう、半世紀以上も前の話であるから、京都や奈良のイナカには、日本の懐かしいフルサトの風景が残っていた。
   歌には興味がそれ程なかったし、能に通い始めたのはずっと後のことだし、絶世の美女というほかは小町のことをよく知らなかったので、あまり、小町についての感慨はないのだが、今となっては、一寸、残念な気がしている。
   能でも、「七小町」のうち、片山幽雪の『関寺小町』、梅若実の『卒都婆小町』、『草紙洗小町』『通小町』なども鑑賞しており、遅ればせながら、小野小町にアプローチしている。

    さて、この版画だが、歌麿の美人画を検索していて、何の気なしに、細面の雰囲気のある意味深な美人が気に入って叩き出したら、私でも知っている「花のいろは」という歌が読めたので、歌麿が小町の歌をどう感じたのか、歌の世界の雰囲気を知りたくて買ったのである。
    金沢文庫の岩崎書店の説明では、
    これは心の中は春のような美しさを保ちながら、外見は少しずつ老いて秋色が濃くなってきているのを暗示しているようです。たばこをふかしながら書物を読む気怠い日々の中、美人にも一日一日と容姿が衰えて行く様子がうかがえます。顔が少し痩せ気味で情感が希薄になったとされる歌麿の最晩年の美人画で、文永2年頃の作品です。着物の柄で女性の心理を表しています。と言う。

   私の版画と金沢文庫の版画とは、美人の髪の筋の現れかたや着物の色など多少違いはあるのだが、どうせ、両方とも19世紀初頭のオリジナルではなく、現在の復刻版であるので、版によって差が出るのであろう、退色や経年劣化などのない分、ベターなのかも知れないと思っている。

   今、東山魁夷の作品をもとにした偽物の版画を制作したとして大阪の元画商と奈良の版画工房の経営者が逮捕された事件で、関係先から押収された版画のうち、平山郁夫や片岡球子など別の2人の画家の作品も、警視庁による鑑定の結果、偽物とみられることが分かったとして、「著名版画の複製にかかる著作権法違反事件」として世を騒がせている。逮捕容疑は、共謀して遺族の許諾なく、有名画家の版画作品を複製したとしている。と言うことで、無許可での複製が問題であって、オーソライズされて居れば、問題ないと言うことであろうか。
   ダ・ヴィンチの「モナリザ」でさえ無数に存在すると言われているほど、世の中には、模写、贋作などコピー作品が無数にあり、オリジナルであっても真作かどうかさえ鑑定が困難を極めると云うから、この事件でも、素人目には、偽物の見分けなど不可能であったはずである。

   もう一つ、私が素晴しいと思うのは、徳島県鳴門市にある陶板名画美術館である「大塚国際美術館」で、世界中の名画という名画は殆ど収容されていて、バチカンのシスティーナ礼拝堂天井画と正面壁画の完全再現を筆頭にして、とにかく、目を見張るような名画のオンパレードで、最高の美術空間を再現している。
   こうなれば、もう、本物ではないコピーの名画の世界が、如何に素晴しいか、感嘆する以外にはない。
   私は、システィナ礼拝堂にも何度か行ったし、ロンドンのナショナルギャラリーやパリのルーブル美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館など世界の美術館、博物館に随分足を運んで名画を鑑賞し続けてきた。観ているその瞬間においては感動し感激しても、離れると瞬時に記憶の世界に後退してしまう。大塚国際美術館に行けば行ったで、本物でなくても、本物を観た時の感慨が蘇ってきて感激する。これを、紛いの代替鑑賞だとは思えないのである。
    
   絵画の世界も、虚実皮膜だと思っている。
コメント
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