熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・椿王昭君咲く

2024年01月04日 | わが庭の歳時記
   新春に、やっと、椿が咲いた。
   何時もなら、わが庭では、晩秋から椿が咲き始めて楽しませてくれるのだが、この冬は、何故か、椿の開花が遅い。

   咲き出したのは、王昭君。
   昨冬、庭うえしたので、成長優先のために、花付きが悪くて、咲いたのは、たった2輪。
   まだ、咲ききってはいないが、寒さにやられて、か弱い花弁が痛み始めている。

   某育種店によると、
   淡桃色に花弁の先が白覆輪となる千重咲き中輪
   花弁先はやや白く、時々濃桃の縦絞が入る希少な淡桃色の花底に行くにつれて桃色が濃くなり、花全体でのグラデーションが魅力となっていて、母樹は「酒中花」と言われている と言う。
   
   
   
    

   王昭君とは、前漢の元帝の時代、匈奴の呼韓邪単于に乞われて、宮女の中から選ばれて嫁した絶世の美女。
   面白いのは、似顔絵師への賄賂の逸話で、Wikipediaを引用させて貰うと、
   宮女たちはそれぞれ自分の似顔絵を美しく描いてもらうため、似顔絵師に賄賂を贈っていたが、王昭君はただ一人賄賂を贈らなかったため、似顔絵師は王昭君の似顔絵をわざと醜く描き、それゆえ王昭君は絶世の美女でありながら元帝の目に留まることがなかった。折しも匈奴の王が元帝の宮殿を訪れ、元帝の所有する宮女の一人を嫁に所望した際、元帝は宮女たちの似顔絵を見て、最も醜い女を匈奴へ送ることにした。その結果、王昭君が匈奴への嫁として選ばれたが、皇帝に別れを告げるための式で王昭君を初めて見た元帝は、王昭君の美しさに仰天した。しかし、この段階になって王昭君を匈奴へ贈る約束を撤回すれば匈奴との関係が悪化することは明らかだったため撤回はできず、元帝は悔しがりながらもしぶしぶ王昭君を匈奴へ送り出した。と言う。

   王昭君を植えた切っ掛けは、始めて、大船フラワーセンターで、匂うように美しいピンクの桜王昭君を見て気に入ったことで、個人宅の庭植えには桜は無理なので、椿に切り替えて、育て始めたのである。   







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