
最近は、インターネットのお陰で、世界の情報に自由にアクセス出来る。
以前から、インターネットで、英米の新聞やTV系メディア、経済雑誌のホームページから、世界のホットニュースやカレント・トピックスを読んでいるが、これが、実に重宝で、資料収集などに関しては、図書館や書店を回った昔と今昔の感である。
ファイナンシャル・タイムズは、購読者専用記事が多くてブロックがかかっており、ニューヨークタイムズも過去の記事はダメだが、大概のメディアは、殆ど開放していて、貴重な情報に関しては無限にアクセス可能である。
あのブリタニカさえ、IT革命の波に流されて、インターネット版に変わってしまったし、兎に角、世の中の動きが激しくなると、たとえ事典でも情報がアップ・ツー・デイトでなければならず、紙の媒体は、淘汰されて来る。
新聞でも、いまでも、号外版が出て楽しませてくれるが、新聞の電子版の方が早くて、欧米の様にダイジェスト版ではなくマトモナな記事が電子版に掲載される様になると、紙の新聞はやって行けなくなるであろう。
ところで、本の電子ブック版が始まっているが、あまり普及しない。本には、別な思い入れと拘りがあって、中々その気にはなれない。
早い話が、パソコンで、小説や経営学書を読む気にはなれないし、データ・ベースとして残す気にもなれない。
これが本と、鮮度と検索性を旨とする電子版メディアとの違いであろうか。
ところで、数年前から、アマゾンのブック・レビューへの投稿を始めている。もう、140篇ほどになっており、アマゾンのページに収容されているので、結構、貴重な私の歴史遍歴記録になっている。
毎年可なりの本を読むが、どちらかと言えば濫読傾向で、後を振り返らないので、すぐ忘れてしまって記憶から消えてしまう。
経済や経営学の原書を買う時に、アマゾンのアメリカ版にアクセスして資料を得ていたのだが、専門家や読者のレビューが結構役に立った。
日本のアマゾンでも同じシステムなので、自分にも出来ると思って、書き出し投稿を始めたのがブックレビューの切っ掛けである。
その後は、役に立ったり印象に残る本についてレビューを書くことにしたので、経済や経営書、政治関連本など多少込み入った本については、意識的に丁寧に読むようになり、重要なところなどポストイットでマークしたりし始めた。
学生時代の様に黄色のマーカーで本を塗りつぶすほどではないが、その後、そのポストイットの付箋が、検索の役に立っている。
ブックレビューで、守っていることがある。それは、兎に角本をジックリ読んで著者の意図や思いを充分に理解してから、主として良いと思った本だけにレビューを書くこと、そして、著者に敬意を表して実名でレビューを書くこと、この2点である。
制限字数が800字なので、可なりのことが書けるが、私の場合は、書くことが多くて、後で短くするので、漢字が増えて文章が硬くなってしまう。
ところで、書いて投稿すれば掲載されるかと言うと、必ずしもそうとは限らない。
最近では、私も意識して書いているので、比較的スムーズに掲載される様になったが、検閲紛いのチェックがあるのか、文章を訂正されたこともあった。
実際には当たり障りのないガイドラインがあって、これ以外制限事項はないのであるが、記事によっては、中々載せてもらえずに、長い間ペンディングになった事も可なりあった。
照会すると、アリキタリの回答が返って来るだけで、ある有名弁護士の法化社会についての本をレビューした時には、送信した記事が届いていないとの指示なので再提出しても、また、ペンディング。
何回か照会の後、掲載されるには掲載されたが、いつの間にか、そのレビューを含めたその前後のドラッカーや高杉良の本等のレビュー10篇ほどが、記録から消されてしまっている。
もう一つ面白いのは、不良債権処理に強烈なアドバイスを政府にしていた敏腕コンサルタントの経営学書にレビューした時、長い間、私の記事も含めて可なりのレビューがブロックされていて読めなかったことがあった。
これと呼応して面白いのは読者の反応で、レビューが参考になったかどうか、YESとNOで投票できるのだが、例えば、竹中大臣の本を多少でも評価しようものなら徹底的に叩かれる等、本の著者の反対者や逆にシンパの対応が実に興味深い。
大前研一氏が、自分の本のアマゾンでのレビューでその人気度を多としていたが、実際にそうであろうか。
私の場合は、比較的地味な本のレビューが多いのだが、賛成して頂ける読者の反応が実に有難く嬉しい。
私は、アマゾンの記事に対するチェック体制は、それほど気にはしていないが、レビューの中身、その質について、アマゾンはどう考えているのかと言うことである。
明らかに本の中身さえ理解していない読者が書いたほんの1~2行のレビュー等も含めて、無害であれば、箸にも棒にもかからないレビューでも公表している。
レビュアーを評価してランク付けしており、「ベスト500レビュアー」とかのタイトルを付している。
レビューランクは読者が決めるのだとしているが、上位ランク者には、例えば、教え子や同僚等関係者を糾合して「役に立ったと思う読者」を増やしたり、粗製濫造型でレビューを沢山量産しているとしか思えない人も結構多い。
ベストなのかどうか、ベスト100レビュアー以上の上位ランク者のレビューをチェック頂ければ、そのレビューの質が如何なるものか分かる筈であるが、如何であろうか。
その点、アメリカの場合は、丁々発止で、質はかなり高く、専門家もレビューに参加していて実に面白い。
私としては、アマゾンに対してブックレビューの機会を与えて頂いているのを感謝している。
何となく批判めいたことを書いてしまったが、一つの感想である。
以前から、インターネットで、英米の新聞やTV系メディア、経済雑誌のホームページから、世界のホットニュースやカレント・トピックスを読んでいるが、これが、実に重宝で、資料収集などに関しては、図書館や書店を回った昔と今昔の感である。
ファイナンシャル・タイムズは、購読者専用記事が多くてブロックがかかっており、ニューヨークタイムズも過去の記事はダメだが、大概のメディアは、殆ど開放していて、貴重な情報に関しては無限にアクセス可能である。
あのブリタニカさえ、IT革命の波に流されて、インターネット版に変わってしまったし、兎に角、世の中の動きが激しくなると、たとえ事典でも情報がアップ・ツー・デイトでなければならず、紙の媒体は、淘汰されて来る。
新聞でも、いまでも、号外版が出て楽しませてくれるが、新聞の電子版の方が早くて、欧米の様にダイジェスト版ではなくマトモナな記事が電子版に掲載される様になると、紙の新聞はやって行けなくなるであろう。
ところで、本の電子ブック版が始まっているが、あまり普及しない。本には、別な思い入れと拘りがあって、中々その気にはなれない。
早い話が、パソコンで、小説や経営学書を読む気にはなれないし、データ・ベースとして残す気にもなれない。
これが本と、鮮度と検索性を旨とする電子版メディアとの違いであろうか。
ところで、数年前から、アマゾンのブック・レビューへの投稿を始めている。もう、140篇ほどになっており、アマゾンのページに収容されているので、結構、貴重な私の歴史遍歴記録になっている。
毎年可なりの本を読むが、どちらかと言えば濫読傾向で、後を振り返らないので、すぐ忘れてしまって記憶から消えてしまう。
経済や経営学の原書を買う時に、アマゾンのアメリカ版にアクセスして資料を得ていたのだが、専門家や読者のレビューが結構役に立った。
日本のアマゾンでも同じシステムなので、自分にも出来ると思って、書き出し投稿を始めたのがブックレビューの切っ掛けである。
その後は、役に立ったり印象に残る本についてレビューを書くことにしたので、経済や経営書、政治関連本など多少込み入った本については、意識的に丁寧に読むようになり、重要なところなどポストイットでマークしたりし始めた。
学生時代の様に黄色のマーカーで本を塗りつぶすほどではないが、その後、そのポストイットの付箋が、検索の役に立っている。
ブックレビューで、守っていることがある。それは、兎に角本をジックリ読んで著者の意図や思いを充分に理解してから、主として良いと思った本だけにレビューを書くこと、そして、著者に敬意を表して実名でレビューを書くこと、この2点である。
制限字数が800字なので、可なりのことが書けるが、私の場合は、書くことが多くて、後で短くするので、漢字が増えて文章が硬くなってしまう。
ところで、書いて投稿すれば掲載されるかと言うと、必ずしもそうとは限らない。
最近では、私も意識して書いているので、比較的スムーズに掲載される様になったが、検閲紛いのチェックがあるのか、文章を訂正されたこともあった。
実際には当たり障りのないガイドラインがあって、これ以外制限事項はないのであるが、記事によっては、中々載せてもらえずに、長い間ペンディングになった事も可なりあった。
照会すると、アリキタリの回答が返って来るだけで、ある有名弁護士の法化社会についての本をレビューした時には、送信した記事が届いていないとの指示なので再提出しても、また、ペンディング。
何回か照会の後、掲載されるには掲載されたが、いつの間にか、そのレビューを含めたその前後のドラッカーや高杉良の本等のレビュー10篇ほどが、記録から消されてしまっている。
もう一つ面白いのは、不良債権処理に強烈なアドバイスを政府にしていた敏腕コンサルタントの経営学書にレビューした時、長い間、私の記事も含めて可なりのレビューがブロックされていて読めなかったことがあった。
これと呼応して面白いのは読者の反応で、レビューが参考になったかどうか、YESとNOで投票できるのだが、例えば、竹中大臣の本を多少でも評価しようものなら徹底的に叩かれる等、本の著者の反対者や逆にシンパの対応が実に興味深い。
大前研一氏が、自分の本のアマゾンでのレビューでその人気度を多としていたが、実際にそうであろうか。
私の場合は、比較的地味な本のレビューが多いのだが、賛成して頂ける読者の反応が実に有難く嬉しい。
私は、アマゾンの記事に対するチェック体制は、それほど気にはしていないが、レビューの中身、その質について、アマゾンはどう考えているのかと言うことである。
明らかに本の中身さえ理解していない読者が書いたほんの1~2行のレビュー等も含めて、無害であれば、箸にも棒にもかからないレビューでも公表している。
レビュアーを評価してランク付けしており、「ベスト500レビュアー」とかのタイトルを付している。
レビューランクは読者が決めるのだとしているが、上位ランク者には、例えば、教え子や同僚等関係者を糾合して「役に立ったと思う読者」を増やしたり、粗製濫造型でレビューを沢山量産しているとしか思えない人も結構多い。
ベストなのかどうか、ベスト100レビュアー以上の上位ランク者のレビューをチェック頂ければ、そのレビューの質が如何なるものか分かる筈であるが、如何であろうか。
その点、アメリカの場合は、丁々発止で、質はかなり高く、専門家もレビューに参加していて実に面白い。
私としては、アマゾンに対してブックレビューの機会を与えて頂いているのを感謝している。
何となく批判めいたことを書いてしまったが、一つの感想である。