
二代目中村錦之助襲名披露歌舞伎の昼の部も豪華で、私にとっては、真山青果の「頼朝の死」が一番面白かったが、「京鹿子娘道成寺」の書き替え版「男女道成寺」の舞台も、仁左衛門の白拍子桜子実は狂言師左近と勘三郎の白拍子花子で結構楽しませて貰った。
仁左衛門の白拍子の踊りを見られるなど予想もしなかったが、そこはそこ、色気も華もある優雅な勘三郎の白拍子花子とは格段の差だが、良いものを見せて貰ったというインパクトは強烈であったし、所化達に見破られて、ちょん髷姿で白拍子桜子の衣装のまま小走りで退場する仁左衛門の姿が印象的でもあった。
最後の演目の「菊畑」は、富十郎の説明によると、初代錦之助が、映画に去る最後の歌舞伎の舞台・こども歌舞伎で初代吉右衛門の肝いりで演じた縁の舞台のようであるが、二代目錦之助も、同じ奴虎蔵実は源牛若丸を演じて、中々、凛々しい素晴らしい舞台となった。
吉岡鬼一法眼を師匠の富十郎、奴智恵内実は鬼三太を縁の吉右衛門、皆鶴姫を兄の時蔵、笠原湛海を従兄弟の歌昇、腰元白菊を息子の隼人など身内で固めていて、劇中で襲名口上が行われた。
富十郎は、足を痛めたとかで正座が出来ずイスに座っての口上であった。
「頼朝の死」の舞台だが、昭和7年に青果が発表し、歌舞伎座の舞台にかけられた新作なので、古典歌舞伎のようにオーバーの上から背中を掻いているような比現実性や違和感がなくて非常に分かりやすくてすっきりしていて面白い。
ところで主題の頼朝の死だが、天下の大将軍の53歳と言う働き盛りの急死であるから色々な憶測を呼んでいて定かではない。
御家人稲毛重成が亡妻(政子の妹)の供養のために橋を架け、その橋供養の帰りに頼朝が稲村ガ崎付近で落馬してそれがもとで亡くなったと言う説が一般的だが、脳溢血だと言う説もあるが大将軍が、そんなに簡単に落馬で死ぬのか疑問なしとしない。
北条氏の陰謀説に結構信憑性がありそうだが、ほかに糖尿病説、義経や安徳天皇の怨霊説、頼朝が館の侍女のところへ忍び込もうとして家来に斬られてそれがもとで亡くなったと言う夜這い説まで色々あるが、真山青果は、この最後の夜這い説を採って舞台を展開している。
頼朝が、尼御台所政子(芝翫)の侍女小周防(福助)の元に通おうとして築地塀を乗り越えようとしたのを畠山六郎重保(歌昇)が三度誰何するも答えがないので切り捨て、それがもとで死ぬ。
これを知るのは尼御台所と重臣大江広元(歌六)だけだが、頼朝の名誉のために秘す事にし、重保は許される。
しかし、重保は主殺しの大罪を犯した呵責に苦しめられ苦悶するが、相思相愛の相手が小周防。
頼朝の死に疑問を抱き、自分には秘されて明かされないその秘密を知りたい一心で、将軍源頼家(梅玉)が、重保、広元、尼御台所の心の丈を訴えて攻め付けるが誰も口を割らない。
打ち明ければ総てを許すと言われて小周防が語ろうとした時、重保が自分の愛を告げて切り捨てる。
頼家が激怒するが天下政道のためと言い、尚も勇む頼家の前に尼御台所が、総ては源氏の為「家は末代、人は一世」と言って抜き身の槍を構えて立ちふさがる。
棒立ちになって号泣する頼家を残して幕が下りる。
頼朝の死をテーマにした面白い舞台だが、案外、歴史の偶然で他愛もない原因で頼朝が死んだのかもしれないと思わせて興味が尽きない。
あまりにも強烈な独裁者頼朝の陰に隠れて印象の薄い、そして、将軍でありながら殆ど意のままに世の中を動かせない苦悶と葛藤を、品格と威厳をしっかり保って、父頼朝に対する限りなき憧れと憧憬を切々と吐露しながら二代目将軍を通して、梅玉は実に感動的に演じていて上手いと思った。
人間国宝の芝翫の尼御台所は、苦悶しながらも微動だにしない威厳と格調、そして、他を圧倒するような迫力は流石で、北条天下の鎌倉幕府を軌道に乗せた政子の面目躍如であった。
福助の小周防も上手いと思った。一途に思い詰めて必死に打ち込もうとする女の健気さをあれだけ情熱を込めて身体全体で演じられる役者は稀有に近いと思って見ていた。
そして、この頼朝の死の舞台を支えたのは、何と言っても歌六と歌昇の萬屋兄弟であろう。
重臣広元を演じた歌六の冷静沈着で格調の高さが、凛とした素晴らしい美声に増幅されて惚れ惚れとするような鎌倉武士の理想像を示しているような気がして、このような重臣が支えているから頼家でも源氏が三代持ったのだと思わせてくれた。
主殺しへの罪悪感を意識し過ぎてか多少ナイーブになっているかなあと思う節もあったが、歌昇は、謹厳実直、武士としての節度と分を守ろうとする姿を非常に難しい立場ながら、小周防へは勿論、頼家、尼御台所、広元、夫々に表情を変えながら真摯に表現していて清々しかった。
仁左衛門の白拍子の踊りを見られるなど予想もしなかったが、そこはそこ、色気も華もある優雅な勘三郎の白拍子花子とは格段の差だが、良いものを見せて貰ったというインパクトは強烈であったし、所化達に見破られて、ちょん髷姿で白拍子桜子の衣装のまま小走りで退場する仁左衛門の姿が印象的でもあった。
最後の演目の「菊畑」は、富十郎の説明によると、初代錦之助が、映画に去る最後の歌舞伎の舞台・こども歌舞伎で初代吉右衛門の肝いりで演じた縁の舞台のようであるが、二代目錦之助も、同じ奴虎蔵実は源牛若丸を演じて、中々、凛々しい素晴らしい舞台となった。
吉岡鬼一法眼を師匠の富十郎、奴智恵内実は鬼三太を縁の吉右衛門、皆鶴姫を兄の時蔵、笠原湛海を従兄弟の歌昇、腰元白菊を息子の隼人など身内で固めていて、劇中で襲名口上が行われた。
富十郎は、足を痛めたとかで正座が出来ずイスに座っての口上であった。
「頼朝の死」の舞台だが、昭和7年に青果が発表し、歌舞伎座の舞台にかけられた新作なので、古典歌舞伎のようにオーバーの上から背中を掻いているような比現実性や違和感がなくて非常に分かりやすくてすっきりしていて面白い。
ところで主題の頼朝の死だが、天下の大将軍の53歳と言う働き盛りの急死であるから色々な憶測を呼んでいて定かではない。
御家人稲毛重成が亡妻(政子の妹)の供養のために橋を架け、その橋供養の帰りに頼朝が稲村ガ崎付近で落馬してそれがもとで亡くなったと言う説が一般的だが、脳溢血だと言う説もあるが大将軍が、そんなに簡単に落馬で死ぬのか疑問なしとしない。
北条氏の陰謀説に結構信憑性がありそうだが、ほかに糖尿病説、義経や安徳天皇の怨霊説、頼朝が館の侍女のところへ忍び込もうとして家来に斬られてそれがもとで亡くなったと言う夜這い説まで色々あるが、真山青果は、この最後の夜這い説を採って舞台を展開している。
頼朝が、尼御台所政子(芝翫)の侍女小周防(福助)の元に通おうとして築地塀を乗り越えようとしたのを畠山六郎重保(歌昇)が三度誰何するも答えがないので切り捨て、それがもとで死ぬ。
これを知るのは尼御台所と重臣大江広元(歌六)だけだが、頼朝の名誉のために秘す事にし、重保は許される。
しかし、重保は主殺しの大罪を犯した呵責に苦しめられ苦悶するが、相思相愛の相手が小周防。
頼朝の死に疑問を抱き、自分には秘されて明かされないその秘密を知りたい一心で、将軍源頼家(梅玉)が、重保、広元、尼御台所の心の丈を訴えて攻め付けるが誰も口を割らない。
打ち明ければ総てを許すと言われて小周防が語ろうとした時、重保が自分の愛を告げて切り捨てる。
頼家が激怒するが天下政道のためと言い、尚も勇む頼家の前に尼御台所が、総ては源氏の為「家は末代、人は一世」と言って抜き身の槍を構えて立ちふさがる。
棒立ちになって号泣する頼家を残して幕が下りる。
頼朝の死をテーマにした面白い舞台だが、案外、歴史の偶然で他愛もない原因で頼朝が死んだのかもしれないと思わせて興味が尽きない。
あまりにも強烈な独裁者頼朝の陰に隠れて印象の薄い、そして、将軍でありながら殆ど意のままに世の中を動かせない苦悶と葛藤を、品格と威厳をしっかり保って、父頼朝に対する限りなき憧れと憧憬を切々と吐露しながら二代目将軍を通して、梅玉は実に感動的に演じていて上手いと思った。
人間国宝の芝翫の尼御台所は、苦悶しながらも微動だにしない威厳と格調、そして、他を圧倒するような迫力は流石で、北条天下の鎌倉幕府を軌道に乗せた政子の面目躍如であった。
福助の小周防も上手いと思った。一途に思い詰めて必死に打ち込もうとする女の健気さをあれだけ情熱を込めて身体全体で演じられる役者は稀有に近いと思って見ていた。
そして、この頼朝の死の舞台を支えたのは、何と言っても歌六と歌昇の萬屋兄弟であろう。
重臣広元を演じた歌六の冷静沈着で格調の高さが、凛とした素晴らしい美声に増幅されて惚れ惚れとするような鎌倉武士の理想像を示しているような気がして、このような重臣が支えているから頼家でも源氏が三代持ったのだと思わせてくれた。
主殺しへの罪悪感を意識し過ぎてか多少ナイーブになっているかなあと思う節もあったが、歌昇は、謹厳実直、武士としての節度と分を守ろうとする姿を非常に難しい立場ながら、小周防へは勿論、頼家、尼御台所、広元、夫々に表情を変えながら真摯に表現していて清々しかった。