熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

山中伸弥・益川敏英著”「大発見」の思考法”

2011年08月04日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   言わずと知れた日本の偉大な科学者二人の対談集「大発見の思考法」だが、読んでいて非常に面白い。
   お互いに大科学者同士なので、インタビュー記事や異分野間の対談ではないので、語られている内容や筋の展開に全く無駄がなく、それに、二人の豊かでざっくばらんなパーソナリティの所為で、非常に分かり易くて楽しい読み物になっている。

   色々ユニークで教えられることが多いのだが、印象深いトピックス2~3について、私なりに感じたことを記してみたいと思う。

   まず、最初は、益川教授の「諦めるということが最も重要な作業だった」と言う述懐で、湯船の中で、「4元モデルではうまくいかない」と言う論文を書こうと決心して立ち上がった瞬間、こだわりがなくなり自由な発想へスイッチできたお蔭か、あっ!とノーベル賞の発想「6元モデル」が閃いたと語っている。
   それを受けて、山中教授も、留学中に、アパートでシャワーを浴びながら、マウスの研究で、ある遺伝子がなぜ癌を引き起こすのか考えていて、ふと素晴らしいアイデアが閃いて、「よし!」と叫んだものだから、奥様がビックリ仰天したと言う話を語って、お風呂場って何かあるんですかねえ、と言っている。
   アルキメデスが、入浴中に比重の原理を発見して、大声で叫びながら裸で飛び出したと言う話は有名だが、確か、湯川秀樹教授も、風呂場か、便所か、就寝中か忘れたが、あの素粒子論のアイデアに気付いたのは、書斎ではなかったことだけは事実の様である。
   
   お風呂やトイレなんかは、外から雑音が入ってこない状態の中に自分だけの世界があって、そこで自由に遊べるからインスピレーションがわきやすいんじゃないかなと益川先生は仰っているのだが、私は、新しい発想を妨げている元凶は既成観念と言うか思い込みで、その呪縛から解放されて全く頭や心がフリーになった時に、貴重な発想やアイデアが生まれて来るのだと思っている。
   風呂場でリラックスするなどと言うのは最高であろうし、特に、就寝中など頭が眠っている夢中状態の時などに、ふっと、何かを思いついたり良いアイデアが生まれたりすることがある。
   私の知り合いに、枕元に必ずノートと鉛筆を置いて寝ると言う御仁がいるが、起きている時にまともに考えて生きていないのかと冷やかしたことがあるが、私の場合には、朝になったら完全に忘れてしまって思い出せない。

   もう一つ面白いのは、「国語力はすべての基本」と語っていること。
   二人とも、子供の時には、数学や理科は良く出来たが、国語は全くダメだったと語っているので、問題ないのかと思っていたら、山中教授が、中高6年間の試験で唯一解けなかった問題が、「椅子の脚は、三本では安定するが、四本では安定しない。何故か」でトラウマになったと語ったところ、益川先生の説明に、それは、計算力よりも読解力、国語力が大事ということですよねと語っている。
   益川教授は、「科学の基本は国語ですよ。何にしてもすべて文章の言葉から入ってくる。読んでその世界を、頭に浮かべて理解すれば、吸収した知識を頭の中で思い描いて発展させて行ける。数学は計算するものと言うイメージがあるが、数式は基本的には言葉なんです。」と語っており、山中教授も、「国語力はすべての基本だと私も思います。」と応えている。
   しからば、益川先生は、「苦手なのは国語。小学校の時の国語なんて、実に素晴らしい成績でね。テストでちゃんと答えられたのは応用問題だけ。漢字の読み書きなんて、ものの見事に全滅でした。」と言い、山中先生は、「国語はずーっとダメだったんです。」と仰っているのだが、さて、その国語落ちこぼれ少年が、どうして、国語力をブラッシュアップして、大科学者になったのであろうか。

   この国語力で思い出すのは、外国駐在員の子供たちの国語力の問題である。
   私など、14年も欧米で生活したので、沢山の子供たちを見て来たが、例えば、「太陽がカンカン照る」のカンカンを、カンが転がることしか思い浮かばないので、カンカンと言う微妙な表現など、中々、帰国子女には分かり難いし、街を歩けば、漢字や日本語が氾濫している日本と違って、日本語と全く縁のない外国語に囲まれた生活をしていると、極端に日本語の語彙や理解力が低下して国語力が落ちてくる。
   国語力が落ちてくると、理解力が不足するので、理科や社会の理解も劣ってくるし、先の数学などの問題の意味の理解さえ怪しくなってくるので、トータルとして、日本語での教材の理解力が落ちて来て、成績も悪くなる。
   この傾向は、子供だけではなく大人の場合にも、大なり小なり影響があり、国語力の涵養は必須である。
   尤も、日本語だけの話ではなく、語学力が知識情報の根本であると言うことである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« WSJ:高失業率に悩む欧州の若者 | トップ | 山中伸弥・益川敏英著”「大発... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

書評(ブックレビュー)・読書」カテゴリの最新記事