
今回の衆議院選挙は、小泉自民党の地滑り的大勝で終わった。
私は、何となく、日本の大きな社会的変動を感じながら、サッチャー時代のイギリスを思い出した。
私がイギリスでのビジネスに関わり始めたのは1980年代の初めからで、その後、オランダを経てイギリスに移り住んで8年間をヨーロッパで過ごし、メイジャー首相の頃に日本に帰ったので、サッチャー時代のイギリスには、可なりの思い入れがある。
サッチャーが首相に就任したのは1979年で、英国病で疲弊していたイギリスに活を入れる為に、国民に自助努力を訴えて、経済社会政策の主眼を福祉国家から自由主義市場経済に切り替えた。
1982年に、フォークランド戦争で、たった30数家族のイギリス漁民が住む南極洋の諸島を奪還する為に、アルゼンチンに宣戦布告して大艦隊を送り、国威を発揚した。
1983年の総選挙で大勝した時には、第二次組閣後は、今度は、英国病の元凶として労働組合に攻撃を向けて、小さな政府を目指して積極的に国有企業の民営化をはかった。
私が、イギリスに行って最初に目にしたのは、街路にゴミの山が積まれたて放置されたままの英国病に疲弊するロンドンであった。
知人が、「家の一寸した補修を頼んでも、毎日、職人が煉瓦を少しづつ積むだけで帰るので、何ヶ月もかかるのだ。」と言っていたが、正に、労働組合のしたい放題の時代で、英国社会が殆ど麻痺状態であった。
組合員が、自分達の仕事を出来るだけ長く公平に分け合う為の知恵だったのであろうか。
サッチャーが憤然と労働組合と対決。
私が見たのは、タイムズの印刷工との熾烈な戦いで、時代錯誤も極まれりの旧態依然たる植字工が自分達の職を守る為に長期戦でストを打ったがサッチャーは怯まなかった。徹底的に戦って叩き潰した。
その後、英国の新聞社は、近代化した印刷工場をドックランド等に建設してフリート街から去って行った。
立て続けの国有企業の民営化と労働組合の退潮によって、眠っていたイギリス経済は動き始めた。
サッチャーが熱心にニッサンを口説いて、ワシントン大統領の故郷サンダーランドに、大工場を建設させたのもこの頃である。
英国企業が潰れようと外資に乗っ取られようと意に介せず、英国経済の活性化のためには、積極的に外資を勧誘・導入した。
ビッグバンで、ロンドンのシティを再び世界一の金融センターに復活させ、完全に英国病を払拭してしまったのである。
小さな政府を目指して、官僚組織の改革に大鉈を振るい、あの東京都に相当するグレイター・ロンドンを潰して、区だけのロンドンにしてしまって、庁舎(都庁に相当)を売ッパラってしまった。
これを日本流の行革に言いなおせば、東京都を潰すような大掛かりな道州制の導入と言うことであろうか。
「揺り籠から墓場まで」と言われて世界から賛美された体制が、英国病を生み、これを、サッチャーは叩き潰して、英国社会を再興した。
もっとも、サッチャーが行ったことが総て良かったわけではない。摩擦や軋轢、色々な問題を惹起したが、巨船英国の舵取りを大きく変えれば、当然、忍ばねばならない経済社会の変化であった。
その後、国家主権を主張して大陸ヨーロッパから距離を置き始めてから少しおかしくなったが、何れにしろ、大英帝国の威光を復活させたのはサッチャーであり、サッチャーが居なければ、間違いなしに二等国に成り下がっていたことも事実であろう。
さて、イギリスの大改革から見れば、小泉首相の郵政民営化など序の口で、やっと、小泉劇場の第一幕が終わって、今は幕間。二階への踊り場である。
国有企業の民営化等は、可なり上手くいっているが、特殊法人などを含めて自己増殖をし続けてきた官僚機構を、如何に小さな政府に向かって改組・近代化するかであろう。
元々、日本の官僚は極めて優秀、モラルと使命感の弛緩が問題だったのである。
先の話だが、民営化を促進し自由市場資本主義を進めれば、総てが良くなる訳ではない、それは、アメリカを見れば分かる。
軍産複合体、大企業と政府との癒着、貧富の格差の拡大、福利厚生等民富の軽視、等々、逆に国民の生活が圧迫される危険もある。
プライベートとパブリックとの適切なソーシャル・バランスの維持は、永遠のテーマでもある。
私は、何となく、日本の大きな社会的変動を感じながら、サッチャー時代のイギリスを思い出した。
私がイギリスでのビジネスに関わり始めたのは1980年代の初めからで、その後、オランダを経てイギリスに移り住んで8年間をヨーロッパで過ごし、メイジャー首相の頃に日本に帰ったので、サッチャー時代のイギリスには、可なりの思い入れがある。
サッチャーが首相に就任したのは1979年で、英国病で疲弊していたイギリスに活を入れる為に、国民に自助努力を訴えて、経済社会政策の主眼を福祉国家から自由主義市場経済に切り替えた。
1982年に、フォークランド戦争で、たった30数家族のイギリス漁民が住む南極洋の諸島を奪還する為に、アルゼンチンに宣戦布告して大艦隊を送り、国威を発揚した。
1983年の総選挙で大勝した時には、第二次組閣後は、今度は、英国病の元凶として労働組合に攻撃を向けて、小さな政府を目指して積極的に国有企業の民営化をはかった。
私が、イギリスに行って最初に目にしたのは、街路にゴミの山が積まれたて放置されたままの英国病に疲弊するロンドンであった。
知人が、「家の一寸した補修を頼んでも、毎日、職人が煉瓦を少しづつ積むだけで帰るので、何ヶ月もかかるのだ。」と言っていたが、正に、労働組合のしたい放題の時代で、英国社会が殆ど麻痺状態であった。
組合員が、自分達の仕事を出来るだけ長く公平に分け合う為の知恵だったのであろうか。
サッチャーが憤然と労働組合と対決。
私が見たのは、タイムズの印刷工との熾烈な戦いで、時代錯誤も極まれりの旧態依然たる植字工が自分達の職を守る為に長期戦でストを打ったがサッチャーは怯まなかった。徹底的に戦って叩き潰した。
その後、英国の新聞社は、近代化した印刷工場をドックランド等に建設してフリート街から去って行った。
立て続けの国有企業の民営化と労働組合の退潮によって、眠っていたイギリス経済は動き始めた。
サッチャーが熱心にニッサンを口説いて、ワシントン大統領の故郷サンダーランドに、大工場を建設させたのもこの頃である。
英国企業が潰れようと外資に乗っ取られようと意に介せず、英国経済の活性化のためには、積極的に外資を勧誘・導入した。
ビッグバンで、ロンドンのシティを再び世界一の金融センターに復活させ、完全に英国病を払拭してしまったのである。
小さな政府を目指して、官僚組織の改革に大鉈を振るい、あの東京都に相当するグレイター・ロンドンを潰して、区だけのロンドンにしてしまって、庁舎(都庁に相当)を売ッパラってしまった。
これを日本流の行革に言いなおせば、東京都を潰すような大掛かりな道州制の導入と言うことであろうか。
「揺り籠から墓場まで」と言われて世界から賛美された体制が、英国病を生み、これを、サッチャーは叩き潰して、英国社会を再興した。
もっとも、サッチャーが行ったことが総て良かったわけではない。摩擦や軋轢、色々な問題を惹起したが、巨船英国の舵取りを大きく変えれば、当然、忍ばねばならない経済社会の変化であった。
その後、国家主権を主張して大陸ヨーロッパから距離を置き始めてから少しおかしくなったが、何れにしろ、大英帝国の威光を復活させたのはサッチャーであり、サッチャーが居なければ、間違いなしに二等国に成り下がっていたことも事実であろう。
さて、イギリスの大改革から見れば、小泉首相の郵政民営化など序の口で、やっと、小泉劇場の第一幕が終わって、今は幕間。二階への踊り場である。
国有企業の民営化等は、可なり上手くいっているが、特殊法人などを含めて自己増殖をし続けてきた官僚機構を、如何に小さな政府に向かって改組・近代化するかであろう。
元々、日本の官僚は極めて優秀、モラルと使命感の弛緩が問題だったのである。
先の話だが、民営化を促進し自由市場資本主義を進めれば、総てが良くなる訳ではない、それは、アメリカを見れば分かる。
軍産複合体、大企業と政府との癒着、貧富の格差の拡大、福利厚生等民富の軽視、等々、逆に国民の生活が圧迫される危険もある。
プライベートとパブリックとの適切なソーシャル・バランスの維持は、永遠のテーマでもある。