
神保町を歩いていて、小宮山書店で、瀬戸内寂聴と鶴見俊輔との対談「千年の京から「憲法9条」私たちの生きてきた時代」、を見つけて、三省堂の別館の文房具売場の片隅にある上島珈琲店で読んだ。
かもがわ出版の本なのだが、偶々古本屋で見つけたが、あまり聞かない出版社の本なので見過ごす所であった。
ともに83歳だが、至って元気で、「いまが一番悪い時代」「地獄とはどんなところかと聞かれるが、今のこの世が地獄、これが地獄ですよ」と、兎に角イキケンコウで、激しい言葉が飛び交うが、実に、含蓄のある現在文明論が展開されていて面白い。
鶴見俊輔は、
アメリカの最近の政治の全体主義化に対して、プラトンの「デモクラシーの価値は低い」と言ったのを引用して、demos(民衆)だから、mobocracy,mob(群集)のcracy(支配)なんだから悪いのは当たり前。ファシズムもモボクラシー(群衆政治)だが、デモクラシーを通らないとファシズムは起こらない。
デモクラシーがあって、国家の宣伝を真に受ける国民ができた時にファシズムがおこる、と言って、その危険性を批判する。
因みに、イエス、イエスと言ってイラクに自衛隊まで送って着いて行くポチ内閣のアメリカ追随振りはひどい、と二人は慨嘆している。
憲法については、
日本語は英語やフランス語より古い。日本語というものは偉大なものであって、「憲法9条」も、「万葉集」の中にある、防人がふるさとや家族を想う感情まで遡ってとらえなければいけない、と日本の千年の伝統そのものから考える、民衆のつくった伝統から考えなければまずい、と言う。
瀬戸内寂聴は、
「憲法9条」はもらったものかもしれないけれど、都合がいいんだからわざわざほかすことはない。
敗戦の時にアメリカが押し付けた憲法だから変えるべきだなんて言い方をする。
だけど武器をもたない、戦争をしないと言うのは国民にとって丁度好都合だったんです。
それを守っていけばそれでいいのに、どうして変えるなんて言うのでしょう。
女は夫や恋人、子どもを戦争にやりたくないですよ、と言う。
お釈迦さんの教えと言うのは「殺すなかれ、殺させることなかれ」で、戦争に絶対反対です。
戦いは嫌いなんです。そのお釈迦様の教えに従っている仏教徒ならば、みんな立ち上がって「戦争反対」って発言すべきですよ。
昔の宗祖はすべて革命家でした。情熱のある・・・
牢獄に入れられても、殺させても、それは言うべきだと思う、とも言う。
それを受けて鶴見俊輔は、
べ平連の吉川事務局長から連絡があれば、それを最後の仕事として待っている。
電話一本してくれたら座り込んで牢獄に入るからと言ってあるから・・・
私も行きますよ。
そのときは二人で・・・
いつ死んでもいいんだもの。
そう。
瀬戸内さん、決定的なときに生きていたら、座り込みや投獄に応じますか。
滅びる場所はそこにしましょう。
いいね。
一種の心中になりますよ、「平成座り込み心中」・・・
瀬戸内寂聴は、あとがきで、
現憲法は、国民が主権である。
そして、何より輝かしいのは、九条の戦争放棄の宣言こそ、あの戦争で犠牲になって命を落とした敵味方なく、すべての戦死者たちの魂への懺悔と誓いであった。
そこには深い祈りがこめられている。
と書いている。
中国で地獄を見て終戦を迎えた瀬戸内寂聴は語る。
「生きているはずじゃない人間が生きているんですから、あのとき死んだ人たちに申し訳ないという感情がずっとあるんです。
私たち戦中派の老人は、愚直に一途に戦争反対を書き、話す義務がある。
「戦争反対」という発言は、一般の著述家のままで出家していなかったらしませんよ。
世の中はどんどん変わってゆく。だけど変わらないのが宗教です。永遠のものなんて何もない。だから変わらないものがほしくて宗教を求めるわけです。」
十字架のように背負い続けてきた悔恨が寂聴を、宗教者として平和へ突き進ませている。
日本国憲法第九条への鎮魂歌であろうか。
二人は、本当に憲法第九条の改変と運命を共にする覚悟である。
かもがわ出版の本なのだが、偶々古本屋で見つけたが、あまり聞かない出版社の本なので見過ごす所であった。
ともに83歳だが、至って元気で、「いまが一番悪い時代」「地獄とはどんなところかと聞かれるが、今のこの世が地獄、これが地獄ですよ」と、兎に角イキケンコウで、激しい言葉が飛び交うが、実に、含蓄のある現在文明論が展開されていて面白い。
鶴見俊輔は、
アメリカの最近の政治の全体主義化に対して、プラトンの「デモクラシーの価値は低い」と言ったのを引用して、demos(民衆)だから、mobocracy,mob(群集)のcracy(支配)なんだから悪いのは当たり前。ファシズムもモボクラシー(群衆政治)だが、デモクラシーを通らないとファシズムは起こらない。
デモクラシーがあって、国家の宣伝を真に受ける国民ができた時にファシズムがおこる、と言って、その危険性を批判する。
因みに、イエス、イエスと言ってイラクに自衛隊まで送って着いて行くポチ内閣のアメリカ追随振りはひどい、と二人は慨嘆している。
憲法については、
日本語は英語やフランス語より古い。日本語というものは偉大なものであって、「憲法9条」も、「万葉集」の中にある、防人がふるさとや家族を想う感情まで遡ってとらえなければいけない、と日本の千年の伝統そのものから考える、民衆のつくった伝統から考えなければまずい、と言う。
瀬戸内寂聴は、
「憲法9条」はもらったものかもしれないけれど、都合がいいんだからわざわざほかすことはない。
敗戦の時にアメリカが押し付けた憲法だから変えるべきだなんて言い方をする。
だけど武器をもたない、戦争をしないと言うのは国民にとって丁度好都合だったんです。
それを守っていけばそれでいいのに、どうして変えるなんて言うのでしょう。
女は夫や恋人、子どもを戦争にやりたくないですよ、と言う。
お釈迦さんの教えと言うのは「殺すなかれ、殺させることなかれ」で、戦争に絶対反対です。
戦いは嫌いなんです。そのお釈迦様の教えに従っている仏教徒ならば、みんな立ち上がって「戦争反対」って発言すべきですよ。
昔の宗祖はすべて革命家でした。情熱のある・・・
牢獄に入れられても、殺させても、それは言うべきだと思う、とも言う。
それを受けて鶴見俊輔は、
べ平連の吉川事務局長から連絡があれば、それを最後の仕事として待っている。
電話一本してくれたら座り込んで牢獄に入るからと言ってあるから・・・
私も行きますよ。
そのときは二人で・・・
いつ死んでもいいんだもの。
そう。
瀬戸内さん、決定的なときに生きていたら、座り込みや投獄に応じますか。
滅びる場所はそこにしましょう。
いいね。
一種の心中になりますよ、「平成座り込み心中」・・・
瀬戸内寂聴は、あとがきで、
現憲法は、国民が主権である。
そして、何より輝かしいのは、九条の戦争放棄の宣言こそ、あの戦争で犠牲になって命を落とした敵味方なく、すべての戦死者たちの魂への懺悔と誓いであった。
そこには深い祈りがこめられている。
と書いている。
中国で地獄を見て終戦を迎えた瀬戸内寂聴は語る。
「生きているはずじゃない人間が生きているんですから、あのとき死んだ人たちに申し訳ないという感情がずっとあるんです。
私たち戦中派の老人は、愚直に一途に戦争反対を書き、話す義務がある。
「戦争反対」という発言は、一般の著述家のままで出家していなかったらしませんよ。
世の中はどんどん変わってゆく。だけど変わらないのが宗教です。永遠のものなんて何もない。だから変わらないものがほしくて宗教を求めるわけです。」
十字架のように背負い続けてきた悔恨が寂聴を、宗教者として平和へ突き進ませている。
日本国憲法第九条への鎮魂歌であろうか。
二人は、本当に憲法第九条の改変と運命を共にする覚悟である。