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お盆特別興行と銘打った「なんばグランド花月」の公演だが、タイトルもなければ、何をやるのか演目の中身さえ分からないし、ただ、「漫才・落語」「新喜劇」と書いて大写しにした出演者の顔写真を並べただけのビラがあっちこっちで踊っている不思議さ。
それでも、花月劇場前には、原宿にいるような流行のヤングファッションに身を包んだ沢山の若者たちが集まっており、劇場は大入りなのである。
久しぶりに来た大阪であるから、本当は、文楽を観たかったのだが休演で、もう、何十年ぶりになるであろうか、代わりに、上方漫才と吉本新喜劇を見ようと思って、なんばグランド花月に行ったのである。
私が吉本を楽しんでいたのは、関西の住人であったずっと前の若い頃のことで、その頃の花月劇場は梅田にあって、みやこ蝶々・南都雄二、ミスワカサ・島ひろし、夢路いとし・喜味こいし、中田ダイマル・ラケットと言った漫才師が活躍し、森光子も若くて色香匂う花形のお笑い系で「漫才学校」でどたばたを演じていた、そんな昔のことである。
みやこ蝶々や森光子の至芸は、腹の底から笑い転げ、ところ構わず号泣する開けっぴろげの大阪人の観衆あって生まれ出でたのだと思っている。
「今日はテレビもラジオも入ってへんからええやないか」と言って際どいエロネタも平気で飛び出していたし、「アホとちゃうか」と言った毒にも薬にもならない馬鹿話のオンパレードであったが、文部省から離れている分、とにかく、面白かった。
吉本新喜劇も、エンタツの息子・花紀京や西川きよしや岡八郎が、辻本茂雄たちに代わっただけで、思想性芸術性全くゼロで、馬鹿丸出し。
世相をうまく取り入れて、普通の世間話をテーマにしながらも、飛んだり蹴ったり芸などはそっちのけ、可愛い女優が、急に変身して、河内の男でも気が引けるようなエゲツナイ柄の悪い言葉を連発して観客を唖然とさせて煙に巻いたり、あるいは、どついたりはたいたり、ゴム製だがハンマーで頭を叩きまくるのは序の口で、腹が立つと勢い良く跳び蹴りして相方を吹っ飛ばしたり、しかし、最後には、庶民の心の琴線を震わせてほろりとさせる、そんな泣き笑いの人情劇のスタイルは全く昔と変わっていない。
西川きよしが、後に妻にしたヘレンと演じていたどたばたが、辻本茂雄と若井みどりのどたばたに代わったくらいであろうか。
しかし、この上方芸人のギャグや即興の妙技などの機転の利き方、タイミング・反応の速さは抜群で、観客の爆笑が絶えないところが凄いのである。
私は、その後、東京に移り住み、長い間海外に出てしまったので、渋谷天外・藤山寛美などの松竹新喜劇の方は観る機会が少なかったが、この両方が、文楽や上方歌舞伎など上方芸能の系譜を、少し変えた形で継承して生き続けているのだろうと思う。
万博が終わって、すぐ、東京に転勤になったのだが、日曜日の昼番組で楽しみにしていた「吉本新喜劇」の放映が、東京ではなかったので、寂しかったのを覚えている。
あの頃は、まだ、土曜日も出勤していたので、日曜日のほっとするリラックスタイムは貴重だったのである。
尤も、当時、吉本ばかり見ていたのではなく、同時に、初任給よりも高いチケットを買って、大阪フェスティバルのバイロイト祝祭劇場のワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を観ていたのだから、ちぐはぐも甚だしかった。
この私が、その後、芸術行脚に入れ込んで、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのシェイクスピア劇や、コベントガーデンのロイヤル・オペラに通いつめるようになったのだから、人生も不思議なものである。
さて、このなんばグランド花月と言う劇場だが、道頓堀に近い南の中心なんばの歓楽街のど真ん中にあるのだが、向かいに、騒がしいゲームセンターとかなり充実した書店ジュンク堂が並んでいて、一寸ちぐはぐだが、何時行っても、前の広場には若者で溢れている元気な街角である。
劇場は、私見だが、どちらかと言えば、映画館に毛の生えたような貧弱な佇まいで、舞台も、歌舞伎や文楽と比べれば、非常に簡素と言うか質素で、漫才などは、幹部クラスのバックは多少飾ってはいるものの、舞台の中央に、1本のマイクがあるだけ。新喜劇の方も、そんなに金を掛けて作った舞台とは思えない。
開演前に、正面の寸詰まりのスクリーンに、間寛平の世界一周のルポ映像などを流していたが、このハイビジョン時代に、荒い画像で見辛いこと限りなし。
顧客サービスなどは、殆ど眼中にあるとは思えない。
以前に、林せいとその弟林正之助の伝記まがいの本を読んだが、苦労に苦労を重ねて紆余曲折を経ながら、吉本王国を築き上げた泣き笑いの人生が、今の隆盛を支えているのであろう。
とにかく、今や日本のお笑いの世界を席巻する勢いであるが、芸が面白ければそれで良い、と言う徹底したエンターテインメント哲学は見上げたものである。
それでも、花月劇場前には、原宿にいるような流行のヤングファッションに身を包んだ沢山の若者たちが集まっており、劇場は大入りなのである。
久しぶりに来た大阪であるから、本当は、文楽を観たかったのだが休演で、もう、何十年ぶりになるであろうか、代わりに、上方漫才と吉本新喜劇を見ようと思って、なんばグランド花月に行ったのである。
私が吉本を楽しんでいたのは、関西の住人であったずっと前の若い頃のことで、その頃の花月劇場は梅田にあって、みやこ蝶々・南都雄二、ミスワカサ・島ひろし、夢路いとし・喜味こいし、中田ダイマル・ラケットと言った漫才師が活躍し、森光子も若くて色香匂う花形のお笑い系で「漫才学校」でどたばたを演じていた、そんな昔のことである。
みやこ蝶々や森光子の至芸は、腹の底から笑い転げ、ところ構わず号泣する開けっぴろげの大阪人の観衆あって生まれ出でたのだと思っている。
「今日はテレビもラジオも入ってへんからええやないか」と言って際どいエロネタも平気で飛び出していたし、「アホとちゃうか」と言った毒にも薬にもならない馬鹿話のオンパレードであったが、文部省から離れている分、とにかく、面白かった。
吉本新喜劇も、エンタツの息子・花紀京や西川きよしや岡八郎が、辻本茂雄たちに代わっただけで、思想性芸術性全くゼロで、馬鹿丸出し。
世相をうまく取り入れて、普通の世間話をテーマにしながらも、飛んだり蹴ったり芸などはそっちのけ、可愛い女優が、急に変身して、河内の男でも気が引けるようなエゲツナイ柄の悪い言葉を連発して観客を唖然とさせて煙に巻いたり、あるいは、どついたりはたいたり、ゴム製だがハンマーで頭を叩きまくるのは序の口で、腹が立つと勢い良く跳び蹴りして相方を吹っ飛ばしたり、しかし、最後には、庶民の心の琴線を震わせてほろりとさせる、そんな泣き笑いの人情劇のスタイルは全く昔と変わっていない。
西川きよしが、後に妻にしたヘレンと演じていたどたばたが、辻本茂雄と若井みどりのどたばたに代わったくらいであろうか。
しかし、この上方芸人のギャグや即興の妙技などの機転の利き方、タイミング・反応の速さは抜群で、観客の爆笑が絶えないところが凄いのである。
私は、その後、東京に移り住み、長い間海外に出てしまったので、渋谷天外・藤山寛美などの松竹新喜劇の方は観る機会が少なかったが、この両方が、文楽や上方歌舞伎など上方芸能の系譜を、少し変えた形で継承して生き続けているのだろうと思う。
万博が終わって、すぐ、東京に転勤になったのだが、日曜日の昼番組で楽しみにしていた「吉本新喜劇」の放映が、東京ではなかったので、寂しかったのを覚えている。
あの頃は、まだ、土曜日も出勤していたので、日曜日のほっとするリラックスタイムは貴重だったのである。
尤も、当時、吉本ばかり見ていたのではなく、同時に、初任給よりも高いチケットを買って、大阪フェスティバルのバイロイト祝祭劇場のワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を観ていたのだから、ちぐはぐも甚だしかった。
この私が、その後、芸術行脚に入れ込んで、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのシェイクスピア劇や、コベントガーデンのロイヤル・オペラに通いつめるようになったのだから、人生も不思議なものである。
さて、このなんばグランド花月と言う劇場だが、道頓堀に近い南の中心なんばの歓楽街のど真ん中にあるのだが、向かいに、騒がしいゲームセンターとかなり充実した書店ジュンク堂が並んでいて、一寸ちぐはぐだが、何時行っても、前の広場には若者で溢れている元気な街角である。
劇場は、私見だが、どちらかと言えば、映画館に毛の生えたような貧弱な佇まいで、舞台も、歌舞伎や文楽と比べれば、非常に簡素と言うか質素で、漫才などは、幹部クラスのバックは多少飾ってはいるものの、舞台の中央に、1本のマイクがあるだけ。新喜劇の方も、そんなに金を掛けて作った舞台とは思えない。
開演前に、正面の寸詰まりのスクリーンに、間寛平の世界一周のルポ映像などを流していたが、このハイビジョン時代に、荒い画像で見辛いこと限りなし。
顧客サービスなどは、殆ど眼中にあるとは思えない。
以前に、林せいとその弟林正之助の伝記まがいの本を読んだが、苦労に苦労を重ねて紆余曲折を経ながら、吉本王国を築き上げた泣き笑いの人生が、今の隆盛を支えているのであろう。
とにかく、今や日本のお笑いの世界を席巻する勢いであるが、芸が面白ければそれで良い、と言う徹底したエンターテインメント哲学は見上げたものである。