熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ブレジンスキーの「孤独な帝国アメリカ」(その1)・・・世界の終わりのシナリオ

2005年10月25日 | 政治・経済・社会
   アメリカ屈指の戦略思想家であるズビグニュー・ブレジンスキーが、もう80歳に近いと思うが健筆を振るって素晴しい本を書いた。
   昔、著者の「ひよわな花・日本――日本大国論批判」を読んだとき、日本をアメリカの属国だ書いていたので、腹がたった記憶がある。実質的には、そうだったかも知れないが、正面切って言われると愛国心がある以上腹が立つのは当たり前である。

   ところで、今回の「The Choice Global Domination or Grobal Leadership 孤独な帝国 アメリカ」は、アメリカの選択を論じながら、今日世界が立っている現実がいかに脆く危険なものであるのかを克明に描きながら、人類の文化文明の危機、岐路を論じている。

   アメリカが直面する課題は、「何のための覇権か」と言うこと。即ち、アメリカは共通利益に基づく新しい世界の仕組みを作り上げようと努力するのか、或いは、その卓越した力を自国の安全を守る為だけに使うのかを問われていると言う。
   言い換えれば、米国の長期戦略の選択肢は、自国の覇権を、自律した国際システムに徐々に注意深く移譲するか、覇権を手放した後に生じるだろう世界的な無政府状態には関わらないようにするかの二者択一になる、と言うのである。

   今や並ぶべきものなき超大国になったアメリカ、世界の安全保障に対するアメリカの主導権とその力の果たす役割は必須不可欠で、それに変わる選択肢はない。

   建前上は国民国家が依然として主役を演じているが、「国際政治」は、益々、境界がなくなり、雑然とした、時には暴力的に広がってゆくグローバリゼーションの流れで、米国社会と他の世界が混ざり合うことによって、アメリカの安全保障は世界の繁栄と益々密接に関わって来ている。
   政治指導者の役割は、安全保障に関するアメリカの国民の基本的な総意を、世界から支持される形で長期的に取り組むことである。
勇ましい主戦論やパニックを煽ることではなく、伝統的な理想主義と現実についての冷徹な実用主義とを融合させて、世界の平和を図り、国内の安全を追求することだと言う。

   さて、この覇権超大国のアメリカが、その力とグローバリゼーションの組み合わせが世界の憎悪を招き寄せて敵意を集中させて、僅かな貧しい狂信的なテロリストによる9.11事件で、その帝国の屋台骨をへし折られた。

   グローバリゼーションとテクノロジーの発展は、平等に社会の脆弱性をもたらす。
IT革命によって、驚異的に距離が短縮されて、国家主権の保護の傘に風穴をあけ、致命的な破壊力を持つ近代兵器を拡散させてしまった。
テクノロジーの平等化の進展が、地下のテロ組織や貧しい国家でも、かっては先進国のみが保有可能であった、破壊的な超近代兵器などの戦争手段を保持できるようになった。

   核兵器、化学兵器、細菌兵器などの複雑な兵器システムを使おうとする国が貧しければ貧しいほど、また、テロ・グループが孤立しておれば孤立しているほど、大量破壊手段の抑制や識別は困難になり、危険が増大する。
   
   最先端の破壊的な武器を使ったテロが、破壊的な行動に出るのは時間の問題で避け得ない現実、聖書とは別の「この世の終わり」が現実味を帯びてきた。
   神の審判ではなく、人為的な地球規模での大変動の連鎖反応によって、地球が滅んで行く。そうでなくても、人類は、科学によって、今後も益々、自己破壊能力を高め続けて行くであろう、と言うのである。

   イラク戦争で驚異的な破壊力と戦果を世界に示したアメリカのミサイル防衛システムは、確かに仮想敵国に対して威力を発揮し、アメリカの産群複合体には好都合な国家戦略であろう。
   しかし、住民が密集する都市へのテロや細菌テロ、或いは、電力ネットワークや情報通信システムや航空機関係などへのサイバー攻撃にはどう対処するのか、
アメリカの安全防衛体制のジレンマについてブレジンスキーの筆は益々冴えてくる。   
   
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