熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ダ・ヴィンチ・コードを見た

2006年06月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりに面白い映画を見た。ダ・ヴィンチ・コードである。
   本が出版された時に、真っ先に買ったのだが、積読で読んでいないので、映画がぶっつけ本番である。
   封切上映当時は大変な人気であったようだが、今では、劇場ががらがらで閑古鳥が鳴いていた。
   推理小説絡みで見てもそれなりに面白いが、本当に楽しむためには、キリスト教やヨーロッパの歴史等の知識がかなり要求される映画で、相当程度が高い感じがして見ていた。(それに、レオナルド・ダ・ヴィンチを良く知っていると、もっと面白い。)
   その所為でもなかろうが、後ろに居た客は、10分ほど見ただけで音を立ててさっさと帰ってしまった。

   ミラノのサンタマリア・デッレ・グラーツィエ教会の食堂の壁画であるレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」で、真ん中に座っているキリストの左側の使徒ヨハネとされている女性的な人物が、実は、キリストの妻・マグダラのマリアだと言う設定である。
   キリストの処刑の時に、キリストの子を身ごもっており、人知れず隠れ住んで、その子孫が今も生き長らえていると言う設定で、それを利用しようとするシオン修道会などの宗派が暗躍するサスペンス・タッチの映画で、フランス警察を手玉に取るハーバード大教授のトム・ハンクスと、殺されるルーブル館長の孫娘(実は、キリストの末裔?)で暗号解読家のソフィーのオードリー・トトゥの活躍が面白い。

   あのダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、先年、修復なってパステルカラー調に素晴らしく美しく蘇った壁画を見たのだが、実はこの絵を、修復前の廃墟のような部屋の中にあった32年前と、15年程前の修復途中にも見ているのだが、構図・構成の素晴らしい劇的な絵である。
   レオナルド・ダ・ヴィンチが好きで、ニューヨーク、ワシントン、ロンドン、パリ、それに、イタリアやヨーロッパ各地の美術館を回ってその絵を追っかけているが、寡作のフェルメールよりも残っている油絵作品は少ない。
   フランソワ1世の招きでフランスに移住して、ロワールのアンボワーズ城の少し山手のクルーの館で生涯を終えたダ・ヴィンチが、最後まで持ち歩いていた「モナリザ」他2点がルーブルにあるが、ここでダ・ヴィンチが晩年を送ったのかと思うとクルーの館を立ち去り難く長い間佇んでいたのを思い出す。

   ところで、あの「最後の晩餐」の構図で、マグダラのマリアとキリストが反転・対称的に描かれていて、その間の空間がV字型になっていて聖杯を表していること、そして、マリアの絵を右へ少し平行移動するとマリアがキリストの肩に寄り添うように重なることなど、あの絵から、イメージを膨らませている作者の推理が面白かった。

   ところで、キリスト教関係で、最近もっと興味深いのは、ナショナル・ジオグラフィック誌が、5月号の「ユダの福音書を追う」と言う記事で暴露した「ユダは、裏切り者ではなく、キリストの唯一の理解者であり重要な使徒であった。」と言う話題である。
   「お前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」と言う「イスカリオテのユダとの対話でイエスが語った秘密の啓示」書である、コプト語の2000年前のユダの福音書が出て来たのである。
   ダ・ヴィンチ・コードでも、見方によれば、相当キリスト教に対する覚めた表現があった。
   しかし、このユダの福音書問題は、権威のあるナショナル・ジオグラフィックの特別スクープでもあり、その後、詳細な単行本や福音書翻訳等が出版されているので、他人事ながら、キリスト教徒の人々には、極めてシアリアスな問題提起ではなかったかと思っている。
   
   
   
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