
蜷川幸雄がにギリシャ悲劇「王女メディア」とシェイクスピア戯曲「マクベス」を、ロンドンのロイヤル・ナショナル・シアターで英国人の喝采を浴びたのは、もう15年以上前の話、この時は、男ばかりのメディアで、衣装も日本的で派手であった。
私は、仏壇を額縁状に使った舞台で、戦国時代の日本の小藩に置き換えた「マクベス」を見て感激し、蜷川劇のフアンとなり、その後、ロンドンでも東京でも結構蜷川作品を楽しんでいる。
今回のこのエウリピデスの悲劇「メディア」は、全くのギリシャを舞台にした新演出。
高い城壁風の壁に三面を囲まれた中庭にある睡蓮の咲き乱れる池が主舞台で、正面奥に部屋に通じる階段の踊り場と、舞台正面客席との境界だけで演じられる休憩なしの一舞台構成である。
畳み掛けるような演出のテンポが、大竹しのぶの小気味良い演技にマッチしていて、カラッとしたギリシャ悲劇となっていて面白い。巫女の神秘性、女の激情、決然とした女王の威厳、子供への細やかな愛情、兎に角、長台詞を淀みなく鉄砲玉のように連発しながら、瞬時に変わる豊かな表情を使い分ける大竹の天性の芸の素晴らしさは格別であろう。
最後の悲劇のクライマックス自分の子供を殺害する場面は、舞台の陰で声だけで演じられ、最後の父親イアソンとの対面には、中空に浮かぶドラゴンに二人の子供の亡骸を両手に抱えたメディアが現れる。
不思議なのは、メディアの乗ったドラゴンが消えてしまうと、最後の幕切れで、舞台のバックが開いたかと思うと駐車場が現れてコカコーラのマークを付けた白い貨物車が見える。
昔、ベニサンピット劇場で見た蜷川の「真夏の夜の夢」も、竜安寺の石庭風の舞台のバックが開くと、倉庫の向こう側の道路が見えて車が走っており、俳優達が道路に出て演じていたのを思い出した。(私見・現在との同時性を意図しているのなら、蛇足だと思う。ピカソとは違う。)
今回のこの舞台は、ギリシャ劇の特徴コロスの群集15人の子供を抱えた老婆を上手く使っていて演出を緩急自在に盛り上げていて面白かった。
兎に角、世界のニナガワ、何を見ても何時も新しい試みがあって実に興味深い。
余談ながら、私のメディアのイメージは、パゾリーニ監督の映画の「マリア・カラス」。
あの荒れ果てた月の世界の様な大地を舞台に、激しさと妖艶さとえも言えない気品を持って巫女の様な王女メディアを演じる20世紀最高のオペラ歌手「マリア・カラス」の凄さを忘れることが出来ない。
残念ながら、マリア・カラスの舞台は、ジュゼッペ・ステファノと最後のジョイント・リサイタルだけしか聞いていないが、オペラの舞台を見たかったと思っている。
私は、仏壇を額縁状に使った舞台で、戦国時代の日本の小藩に置き換えた「マクベス」を見て感激し、蜷川劇のフアンとなり、その後、ロンドンでも東京でも結構蜷川作品を楽しんでいる。
今回のこのエウリピデスの悲劇「メディア」は、全くのギリシャを舞台にした新演出。
高い城壁風の壁に三面を囲まれた中庭にある睡蓮の咲き乱れる池が主舞台で、正面奥に部屋に通じる階段の踊り場と、舞台正面客席との境界だけで演じられる休憩なしの一舞台構成である。
畳み掛けるような演出のテンポが、大竹しのぶの小気味良い演技にマッチしていて、カラッとしたギリシャ悲劇となっていて面白い。巫女の神秘性、女の激情、決然とした女王の威厳、子供への細やかな愛情、兎に角、長台詞を淀みなく鉄砲玉のように連発しながら、瞬時に変わる豊かな表情を使い分ける大竹の天性の芸の素晴らしさは格別であろう。
最後の悲劇のクライマックス自分の子供を殺害する場面は、舞台の陰で声だけで演じられ、最後の父親イアソンとの対面には、中空に浮かぶドラゴンに二人の子供の亡骸を両手に抱えたメディアが現れる。
不思議なのは、メディアの乗ったドラゴンが消えてしまうと、最後の幕切れで、舞台のバックが開いたかと思うと駐車場が現れてコカコーラのマークを付けた白い貨物車が見える。
昔、ベニサンピット劇場で見た蜷川の「真夏の夜の夢」も、竜安寺の石庭風の舞台のバックが開くと、倉庫の向こう側の道路が見えて車が走っており、俳優達が道路に出て演じていたのを思い出した。(私見・現在との同時性を意図しているのなら、蛇足だと思う。ピカソとは違う。)
今回のこの舞台は、ギリシャ劇の特徴コロスの群集15人の子供を抱えた老婆を上手く使っていて演出を緩急自在に盛り上げていて面白かった。
兎に角、世界のニナガワ、何を見ても何時も新しい試みがあって実に興味深い。
余談ながら、私のメディアのイメージは、パゾリーニ監督の映画の「マリア・カラス」。
あの荒れ果てた月の世界の様な大地を舞台に、激しさと妖艶さとえも言えない気品を持って巫女の様な王女メディアを演じる20世紀最高のオペラ歌手「マリア・カラス」の凄さを忘れることが出来ない。
残念ながら、マリア・カラスの舞台は、ジュゼッペ・ステファノと最後のジョイント・リサイタルだけしか聞いていないが、オペラの舞台を見たかったと思っている。
2階前列正面から、10倍の双眼鏡で大竹しのぶの表情を見続けていたので、ご指摘の表情と演技よく分かります。
メディアそのものの感情移入が完全なのですね。インタビューで、男の身勝手に腹が立って腹が立って、と言っていました。
蜷川の舞台は、何時もサプライズ、サプライズです。
いつもながら 意表をつかれる蜷川の舞台でしたが
まさか 舞台上に水を張っているとは 驚きました
物語の重さにも 水まみれになって演じる役者達のパワーにも圧倒されました
大竹しのぶの 目に涙をたたえた演技 よどみないセリフの言いよう
”彼女のメディア”を目撃することが出来ました