![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/6a/932a2004e7c841220cb93260d07922a6.jpg)
久しぶりの大阪である。
来月、錣太夫襲披露名 は、東京の2月公演でも、行われるのだが、大阪の雰囲気を味わいたくて、やってきた。
国立文楽劇場開場三十五周年記念 初春文楽公演 第1部は、
七福神宝の入舩(しちふくじんたからのいりふね)
竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫襲披露名狂言
傾城反魂香(けいせいはんごんこう)土佐将監閑居の段
曲輪ぶんしょう(くるわぶんしょう)吉田屋の段
六代目竹本錣太夫襲名披露狂言は、傾城反魂香の土佐将監閑居の段で、錣太夫は、奥を、三味線 宗助、ツレ貫太郎で語る。
口上は、呂太夫が、威儀を正して丁寧に行い、
エピソードとして、稽古中に、師匠に、「おいど(お尻)をめくれ」と言われたのを、床本の末尾と言うのを何を勘違いしたのか、立って自分の着物のうしろを捲って、カンパチに、「あんたのおいどとちゃう、床本のおいどや」と言われたと言う話をして笑わせていた。
土佐将監閑居の段、ポピュラーな舞台だが、次のような話、
主君筋の勘当を受けて山科の国に蟄居している絵師・土佐将監T(玉也)が奥方(文昇)と住む屋敷の裏の藪に巨大な虎が出現して、この虎は狩野四郎次郎元信筆の虎に魂が入ったものだと喝破し、弟子の修理之助(玉勢)が、自分の筆力でかき消したので、その実力を認めた将監は、修理之助に土佐光澄の名と免許皆伝の書を与える。
一方、絵の腕は抜群ながら吃音の障害を持つ兄弟子の浮世又平(勘十郎)は、大津絵を描いて生計を立てているシガナイ貧乏絵師で、妻のおとく(清十郎)を伴って見舞いに訪れて、弟弟子が土佐の名を許されたと知って、師に必死になって免許皆伝を頼み込むが、絵で功績をあげよと拒絶される。妻のおとくが口の不自由な夫に代わって縷々申し立てても駄目であった。
そこへ、元信の弟子の雅楽之助(一輔)がやってきて、元信が襲われて姫を奪われた一大事を告げたので、将監は姫を助けるために、弁舌の立つ者を使者と偽って送り込もうとしたので、又平は、功をあげるべき絶好の機会と助太刀を願うが、断られ、修理之助が向かう。
悉く拒絶されて絶望した又平夫婦は、涙にくれ自害を決心して、この世の名残に絵姿を描き残そうと決死の覚悟で、手水鉢を墓碑になぞらえ自画像を描く。ところが、その一念が通じたのか、描いた絵が手水鉢を通して反対側に浮き上がる。将監は驚嘆して、又平に土佐光起の名を与え、使者となることを命じる。
将監は、仏像を真っ二つに切って病を治したと言う故事に倣って、手水鉢を二つに割ると、又平の口から、師への感謝の言葉が滑らかに流れて吃音が治り、喜んだ又平は、将監の前で舞い、謡い、おとくを供にして姫を救い出しに出立する。
この最後の部分だが、この舞台は改作とかで、近松門左衛門の歌舞伎などの本作では、又平の吃音を将監は案じるのだが、又平は、将監の前で舞い、謡いだすと、節が付けば言葉が滑らかに出ることを見せて奇跡をしめしている。
手水鉢を刀で真っ二つにするなど、「梶原平三誉石切」の舞台でもお馴染みだが、この芝居自身、元信が描いた虎がやぶの中に逃げ込み、修理之助の筆でかき消されるとか、手水鉢の石を通して絵が反対側に透視するなどと言った、奇想天外もいいところだが、いわば、夫婦愛を観る芝居だと見れば、それなりに納得する。
大分、シチュエーションは違うが、この舞台を見ていて、いつも、幸田露伴の「五重塔」ののっそり十兵衛のことを思い出す。
力があっても、世渡りが下手なために埋もれていく人は多く、艱難辛苦に辛苦を重ね、苦渋を嘗め尽くしながらでも、芽が出た人は幸せであり、芝居になるのであろう。
日頃とは、一寸違った緊張した面持ちの錣太夫、この舞台では、吃音で表現の難しい又平のセリフや、立て板に水の、出しゃばりおとくの長セリフと言ったバリエーションの棲み分けが巧みで、流石に、緩急自在で上手い、
それに、淡白ながら、肺腑をえぐるような無念さ悲しさを随所に滲ませる語り口も秀逸で、私など、歌舞伎の「土佐将監閑居の場」を見慣れているので、人形の感情移入の素晴らしさを味わって新鮮な驚きを感じた。
人形は、又平の勘十郎、おとくの清十郎が双璧、とにかく、泣かせて笑わせ、感情表現が豊かであり、又平の喜びの舞など、人形だから出来る芸当であろう。
愛嬌のある惚けた調子の又平の首が、土佐光起に出世した絵師には似つかわしくなくなったが、悲しみも喜びもない交ぜ、中々面白く、勘十郎が、縦横無尽に躍らせていた。
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来月、錣太夫襲披露名 は、東京の2月公演でも、行われるのだが、大阪の雰囲気を味わいたくて、やってきた。
国立文楽劇場開場三十五周年記念 初春文楽公演 第1部は、
七福神宝の入舩(しちふくじんたからのいりふね)
竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫襲披露名狂言
傾城反魂香(けいせいはんごんこう)土佐将監閑居の段
曲輪ぶんしょう(くるわぶんしょう)吉田屋の段
六代目竹本錣太夫襲名披露狂言は、傾城反魂香の土佐将監閑居の段で、錣太夫は、奥を、三味線 宗助、ツレ貫太郎で語る。
口上は、呂太夫が、威儀を正して丁寧に行い、
エピソードとして、稽古中に、師匠に、「おいど(お尻)をめくれ」と言われたのを、床本の末尾と言うのを何を勘違いしたのか、立って自分の着物のうしろを捲って、カンパチに、「あんたのおいどとちゃう、床本のおいどや」と言われたと言う話をして笑わせていた。
土佐将監閑居の段、ポピュラーな舞台だが、次のような話、
主君筋の勘当を受けて山科の国に蟄居している絵師・土佐将監T(玉也)が奥方(文昇)と住む屋敷の裏の藪に巨大な虎が出現して、この虎は狩野四郎次郎元信筆の虎に魂が入ったものだと喝破し、弟子の修理之助(玉勢)が、自分の筆力でかき消したので、その実力を認めた将監は、修理之助に土佐光澄の名と免許皆伝の書を与える。
一方、絵の腕は抜群ながら吃音の障害を持つ兄弟子の浮世又平(勘十郎)は、大津絵を描いて生計を立てているシガナイ貧乏絵師で、妻のおとく(清十郎)を伴って見舞いに訪れて、弟弟子が土佐の名を許されたと知って、師に必死になって免許皆伝を頼み込むが、絵で功績をあげよと拒絶される。妻のおとくが口の不自由な夫に代わって縷々申し立てても駄目であった。
そこへ、元信の弟子の雅楽之助(一輔)がやってきて、元信が襲われて姫を奪われた一大事を告げたので、将監は姫を助けるために、弁舌の立つ者を使者と偽って送り込もうとしたので、又平は、功をあげるべき絶好の機会と助太刀を願うが、断られ、修理之助が向かう。
悉く拒絶されて絶望した又平夫婦は、涙にくれ自害を決心して、この世の名残に絵姿を描き残そうと決死の覚悟で、手水鉢を墓碑になぞらえ自画像を描く。ところが、その一念が通じたのか、描いた絵が手水鉢を通して反対側に浮き上がる。将監は驚嘆して、又平に土佐光起の名を与え、使者となることを命じる。
将監は、仏像を真っ二つに切って病を治したと言う故事に倣って、手水鉢を二つに割ると、又平の口から、師への感謝の言葉が滑らかに流れて吃音が治り、喜んだ又平は、将監の前で舞い、謡い、おとくを供にして姫を救い出しに出立する。
この最後の部分だが、この舞台は改作とかで、近松門左衛門の歌舞伎などの本作では、又平の吃音を将監は案じるのだが、又平は、将監の前で舞い、謡いだすと、節が付けば言葉が滑らかに出ることを見せて奇跡をしめしている。
手水鉢を刀で真っ二つにするなど、「梶原平三誉石切」の舞台でもお馴染みだが、この芝居自身、元信が描いた虎がやぶの中に逃げ込み、修理之助の筆でかき消されるとか、手水鉢の石を通して絵が反対側に透視するなどと言った、奇想天外もいいところだが、いわば、夫婦愛を観る芝居だと見れば、それなりに納得する。
大分、シチュエーションは違うが、この舞台を見ていて、いつも、幸田露伴の「五重塔」ののっそり十兵衛のことを思い出す。
力があっても、世渡りが下手なために埋もれていく人は多く、艱難辛苦に辛苦を重ね、苦渋を嘗め尽くしながらでも、芽が出た人は幸せであり、芝居になるのであろう。
日頃とは、一寸違った緊張した面持ちの錣太夫、この舞台では、吃音で表現の難しい又平のセリフや、立て板に水の、出しゃばりおとくの長セリフと言ったバリエーションの棲み分けが巧みで、流石に、緩急自在で上手い、
それに、淡白ながら、肺腑をえぐるような無念さ悲しさを随所に滲ませる語り口も秀逸で、私など、歌舞伎の「土佐将監閑居の場」を見慣れているので、人形の感情移入の素晴らしさを味わって新鮮な驚きを感じた。
人形は、又平の勘十郎、おとくの清十郎が双璧、とにかく、泣かせて笑わせ、感情表現が豊かであり、又平の喜びの舞など、人形だから出来る芸当であろう。
愛嬌のある惚けた調子の又平の首が、土佐光起に出世した絵師には似つかわしくなくなったが、悲しみも喜びもない交ぜ、中々面白く、勘十郎が、縦横無尽に躍らせていた。
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