熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

二月大歌舞伎:仮名手本忠臣蔵・・・七段目の仁左衛門と玉三郎

2007年02月02日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   本来、ニ八で地味な季節なのだが、今月の歌舞伎座は熱い。仮名手本忠臣蔵の熱気でむんむんしていて、初日の夜の部を観たのだが、ロビーには歌舞伎役者のご夫人方が正装して勢ぞろいしていたので流石に華やかであった。

   仮名手本忠臣蔵の舞台を通し狂言で観たのは、文楽で一回だけだが、歌舞伎では、平成10年の歌舞伎座百周年興行の時から4回目であり、個々の舞台では何度か観ているから可なり余裕を持って観られるようになっている。
   新橋演舞場での公演は、團菊グループのものであったので一寸雰囲気が違うのだが、他の歌舞伎座での3回は、役者がダブっていたり、全く代わっていたりしていて、その対比を興味深く楽しむことが出来た。
   大星由良之助は、幸四郎と吉右衛門だが、今回は吉右衛門、早野勘平は、勘三郎が一回あるが今回を含めて後は菊五郎、お軽は総て玉三郎である。
   ところが面白いのは、足軽の寺岡平右衛門で、勘三郎、團十郎、仁左衛門と代わっていて、それぞれの違った持ち味や個性が芸に滲み出ていて非常に興味深く楽しませてもらった。
   
   この7段目では、大星についで重要な準主役の平右衛門だが、四十七士の唯一の生き残りで、83歳の天寿を全うした寺坂吉右衛門がモデルになっている。
   真山青果の元禄忠臣蔵では、討入りの後、大石の密命によって浅野家に報告の為に、吉良邸門前にて吉田忠左衛門の命令で追い立てられて逐電することになっており、四十七士にも名を連ねていて名誉ある扱いを受けているが、討入り前に逃亡したとか、密命説、逃亡説等諸説が入り混じって真偽の程は定かではない。
   この仮名手本忠臣蔵の丸本では、最後の泉岳寺での焼香の場で、一番槍の矢間重太郎の次に、大石が、勘平の身替りとして義弟平右衛門に二番焼香を命じているようである。
   赤穂市では市史で、逃亡説に従って寺坂を外して四十六士としたらしいが、悶着を起こしたので市会で四十七士と決議したとか。
   問題は、身分制度が極めて厳しい時代で、寺坂が足軽であり、かつ、吉田の家来であることから、他の四十六士と違って浅野家の直参の武士ではなかったことで、やや差別的な扱いを受けるなどこれらの背景にはある様でもある。
   
   ところが、庶民の大衆芸術である歌舞伎の世界であるから、当然、庶民代表の寺岡平右衛門は、庶民のヒーローである。
   まして、百姓の娘お軽が御殿奉公に上がって、架空の武士とは言っても勘平を夫に持つ身となり、その実兄との設定であるから人気が出ないはずがない。
   この忠臣蔵は、正に武士の武士たる由縁の物語であるが、この仮名手本忠臣蔵では、平右衛門やお軽等の庶民が重要な役割を演じているのも中々味があって面白い。

   ところで、討入りに加わりたい一心で、平右衛門は、顔世御前の密書を読んでしまったお軽を大石が殺害すると知って、代わりに自分で実妹お軽を殺して、それを手柄にしようとする。
   一力茶屋で、二人が偶然再会して、親元の話や、お軽殺害で争う様子や、お軽が死を覚悟するくだりまで、兄妹の人間模様が良く描かれていて、これだけでも十分一つの話になる舞台で、二人のやり取りが劇的で面白い。

   前述のような背景を持った平右衛門なので、考え方によっては、非常に演じ方の難しい役かも知れない。
   勘三郎と玉三郎の阿吽の呼吸と言うかしっくりと調和した舞台を最初に観ているので、定番としての平右衛門の印象がこれで引っ張られて居る。
   團十郎の舞台は、もう少し豪快な骨太の平右衛門で、下級武士としての泥臭さと庶民臭のむんむんするような人間臭さを感じて、一番足軽と言うイメージに近い感じがした。
   ところが、仁左衛門の場合には、それらを超えて物語として舞台を観ていて、それにのめり込んでしまった。足軽だとか、遊女であるとかと言った役どころを忘れてしまう程で、物語が前面に押し出されて迫ってきたという感じである。
   孝夫時代から観ている玉三郎との素晴らしい舞台の強烈な印象も影響していると思うが、仁左衛門の演技には、無理や無駄が全くなく、推敲に推敲を重ねた結果ではあろうが、思ったままをストレートに表現している、その芸が観客を魅了する。
   しかし、その分、下級武士としての足軽の印象は弱くなってしまっている。

   ところで、玉三郎のお軽だが、実に美しくて初々しい、観ていて惚れ惚れするような舞台で、そんないじらしい天性の女らしさを秘めながら、夫を思い親を思い、そして、忠義一途の兄を思う兄弟愛を体全身で表現している。
   大星に促されてはしごを下りるくだり、兄に立ち姿をみせるくだり、兄に夫勘平の消息を聞きだそうとする時の恥じらい、兄に訴える表情 ect. 観ていて、その素晴らしさに、雀右衛門が、歌舞伎の女形は、この世にない女を演じるから美しいのだと言っていたのを思い出した。
   勿論、6段目の女房お軽の舞台の素晴らしさはこれまた格別で、売られて一文字屋に向かう直前の勘平との別れのシーンは、正に感動的であった。
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