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簡易版ショーケースの8月公演、2日目を鑑賞した。
私が、最初に観た「安達原」の舞台は、7年前の猿之助襲名披露の歌舞伎の舞台である。
非常に感動して、このブログでも、”七月大歌舞伎・・・猿之助の「黒塚」”で書いており、その後、能では、宝生流の金井雄資の「黒塚」、観世清河寿の「安達原」、金春流の金春安明、そして、高橋忍の「黒塚」など、結構観ているので、かなり、楽しめるようになってきている。
この能は、平安時代の「拾遺和歌集」の、陸奥の安達が原の黒塚に 鬼こもれりと言ふはまことか
と言う平兼盛の歌に着想を得たもので、
陸奥にいた女性に詠んだ歌で、田舎の陸奥をからかったものだったのだが、後に、安達原には鬼が棲んでいるという伝説が広まり、その鬼を主人公にしてこの興味深い能「安達原」が作曲され、別名「黒塚」とも言う。
諸国行脚の山伏一行(ワキ/則久英志・ワキツレ/舘田善博)が奥州安達原に至り、日が暮れたので、近くの老女(シテ/藤波重彦)の住む庵に宿を借りるが、賤女の営みである糸車を見せつつ、仏道を願いもせず心の迷いのままに生きてきた過去の自分を悔やみ、空しい人生を嘆く。女は寒いので、暖を取るために薪を取りに出るのだが、留守中に寝室を覗かないよう念を押す。一行は暫く休むが、従者(アイ/野村又三郎)が隙をみて寝室の内を覗くと、人間の屍骸が山積みになっていて恐怖に慄く。女が安達原に棲む鬼であることを知って、逃げ出すが、裏切られたと知った鬼(後シテ)が凄い形相で追ってくるが、山伏の験力によって鬼は調伏され、夜嵐の中に消えてゆく。
これまでに、観劇記を書いているので、蛇足は避けるが、私が関心があるのは、この老女が、本当に、鬼かどうかと言うことで、その老女の素性をどう考えるかと言うことである。
私は、どうしても、最初に観た歌舞伎の「黒塚」の印象が強く残っていて、能には全く現れない、安達ヶ原に薪取りに出た老女が、阿闍梨から仏の道を説かれ心の曇りが晴れて嬉しくなって、童女の頃を忍んで無心に踊る場面が挿入されていて、
この第二景の、舞台背景一面に階段状に植え込まれた薄と中空に輝く三日月をバックにして、舞台上手には長唄、三味線、琴、尺八、舞台下手には小鼓、大鼓、笛のお囃子連中が陣取り、四世杵屋佐吉作曲による素晴らしい音曲に合わせて、美しい舞台で踊る猿之助の老女の踊りの素晴らしさは格別で、これこそが舞踊劇の舞踊劇たる所以であって、能舞台との大きな違いと言うか、能の名曲に想を得た歌舞伎化によるアウフへ―ベンと言うべきケースであろう。と書いた。
それに、初代猿翁が、ロシアン・バレーから想を得たと言う東西の美的要素を名曲に凝縮した実に素晴らしい舞踊劇を、緩急自在にメリハリを付けながら滔々と流れるように踊り続ける猿之助の至芸に感動したのも、安達野の鬼ではなく、ぎりぎりの人生を生き抜いた老女の悲しい魂の叫びを表現しようと思った芸であったと思っている。
この舞台で素晴らしかったのは、市川家宗家として、團十郎が、祐慶として最晩年の至芸を披露してくれていたことである。
ただ、一寸異質感を感じたのは、確か、ラストシーンの隈取をして錫杖持って、山伏祐慶に対峙する大仰な鬼女の井手達で、能の舞台のように、般若の面だが、シンプルな姿で、弱さを表現した女としての儚さ悲しさを色濃く滲ませた舞台の方が、似つかわしいと思っている。
今回の舞台は、アイも優しい女性だと言っているように、前場は、老女は鄙びた田舎に隠棲する普通の女性として描かれているが、後場では、裏切られて本性を見透かされたとして、一気に鬼女に変身する。
歌舞伎のように、鬼女が真人間に返って成仏すると本心から信じて喜んでいたとするなら、成仏の可能性もあったであろうが、能の場合には、これまでの状況証拠から、祐慶たちが食い殺されてしまうことは必定で、何の救いもなければ、鬼女の成仏もないし、悲しい能に終わってしまうのだが、調伏されて退散すると言う結末が、更に悲しさを増す。
数珠で打ち伏せられて、足元はよろよろ、舞台を回って、「夜嵐の音に失せにけり」、常座で、跳び返って膝をつき、立って留める。
シテ/藤波重彦の端正な舞に、何故か、可哀そうで哀れな余韻が残る切ない幕切れを感じて印象深かった。
それに、この能の面白いところは、深刻な曲でありながら、見てはならないと言われれば見たくて仕方なくなる凡人の悲しさ、アイ能力の野村又三郎が上手い。
この舞台には、前半、狂言「柿山伏」が、上演されていて、名古屋の野村又三郎家の山伏/野口隆行と畑主/松田高義が、面白い芸を披露しており、3人で、3回の上演を代わり持ちしている。
この日は、普及バージョンなので、観世流シテ方武田宗典が、冒頭、丁寧な解説を行っていたが、それでも、2時間弱の舞台で、非常に簡便で良い。
私が、最初に観た「安達原」の舞台は、7年前の猿之助襲名披露の歌舞伎の舞台である。
非常に感動して、このブログでも、”七月大歌舞伎・・・猿之助の「黒塚」”で書いており、その後、能では、宝生流の金井雄資の「黒塚」、観世清河寿の「安達原」、金春流の金春安明、そして、高橋忍の「黒塚」など、結構観ているので、かなり、楽しめるようになってきている。
この能は、平安時代の「拾遺和歌集」の、陸奥の安達が原の黒塚に 鬼こもれりと言ふはまことか
と言う平兼盛の歌に着想を得たもので、
陸奥にいた女性に詠んだ歌で、田舎の陸奥をからかったものだったのだが、後に、安達原には鬼が棲んでいるという伝説が広まり、その鬼を主人公にしてこの興味深い能「安達原」が作曲され、別名「黒塚」とも言う。
諸国行脚の山伏一行(ワキ/則久英志・ワキツレ/舘田善博)が奥州安達原に至り、日が暮れたので、近くの老女(シテ/藤波重彦)の住む庵に宿を借りるが、賤女の営みである糸車を見せつつ、仏道を願いもせず心の迷いのままに生きてきた過去の自分を悔やみ、空しい人生を嘆く。女は寒いので、暖を取るために薪を取りに出るのだが、留守中に寝室を覗かないよう念を押す。一行は暫く休むが、従者(アイ/野村又三郎)が隙をみて寝室の内を覗くと、人間の屍骸が山積みになっていて恐怖に慄く。女が安達原に棲む鬼であることを知って、逃げ出すが、裏切られたと知った鬼(後シテ)が凄い形相で追ってくるが、山伏の験力によって鬼は調伏され、夜嵐の中に消えてゆく。
これまでに、観劇記を書いているので、蛇足は避けるが、私が関心があるのは、この老女が、本当に、鬼かどうかと言うことで、その老女の素性をどう考えるかと言うことである。
私は、どうしても、最初に観た歌舞伎の「黒塚」の印象が強く残っていて、能には全く現れない、安達ヶ原に薪取りに出た老女が、阿闍梨から仏の道を説かれ心の曇りが晴れて嬉しくなって、童女の頃を忍んで無心に踊る場面が挿入されていて、
この第二景の、舞台背景一面に階段状に植え込まれた薄と中空に輝く三日月をバックにして、舞台上手には長唄、三味線、琴、尺八、舞台下手には小鼓、大鼓、笛のお囃子連中が陣取り、四世杵屋佐吉作曲による素晴らしい音曲に合わせて、美しい舞台で踊る猿之助の老女の踊りの素晴らしさは格別で、これこそが舞踊劇の舞踊劇たる所以であって、能舞台との大きな違いと言うか、能の名曲に想を得た歌舞伎化によるアウフへ―ベンと言うべきケースであろう。と書いた。
それに、初代猿翁が、ロシアン・バレーから想を得たと言う東西の美的要素を名曲に凝縮した実に素晴らしい舞踊劇を、緩急自在にメリハリを付けながら滔々と流れるように踊り続ける猿之助の至芸に感動したのも、安達野の鬼ではなく、ぎりぎりの人生を生き抜いた老女の悲しい魂の叫びを表現しようと思った芸であったと思っている。
この舞台で素晴らしかったのは、市川家宗家として、團十郎が、祐慶として最晩年の至芸を披露してくれていたことである。
ただ、一寸異質感を感じたのは、確か、ラストシーンの隈取をして錫杖持って、山伏祐慶に対峙する大仰な鬼女の井手達で、能の舞台のように、般若の面だが、シンプルな姿で、弱さを表現した女としての儚さ悲しさを色濃く滲ませた舞台の方が、似つかわしいと思っている。
今回の舞台は、アイも優しい女性だと言っているように、前場は、老女は鄙びた田舎に隠棲する普通の女性として描かれているが、後場では、裏切られて本性を見透かされたとして、一気に鬼女に変身する。
歌舞伎のように、鬼女が真人間に返って成仏すると本心から信じて喜んでいたとするなら、成仏の可能性もあったであろうが、能の場合には、これまでの状況証拠から、祐慶たちが食い殺されてしまうことは必定で、何の救いもなければ、鬼女の成仏もないし、悲しい能に終わってしまうのだが、調伏されて退散すると言う結末が、更に悲しさを増す。
数珠で打ち伏せられて、足元はよろよろ、舞台を回って、「夜嵐の音に失せにけり」、常座で、跳び返って膝をつき、立って留める。
シテ/藤波重彦の端正な舞に、何故か、可哀そうで哀れな余韻が残る切ない幕切れを感じて印象深かった。
それに、この能の面白いところは、深刻な曲でありながら、見てはならないと言われれば見たくて仕方なくなる凡人の悲しさ、アイ能力の野村又三郎が上手い。
この舞台には、前半、狂言「柿山伏」が、上演されていて、名古屋の野村又三郎家の山伏/野口隆行と畑主/松田高義が、面白い芸を披露しており、3人で、3回の上演を代わり持ちしている。
この日は、普及バージョンなので、観世流シテ方武田宗典が、冒頭、丁寧な解説を行っていたが、それでも、2時間弱の舞台で、非常に簡便で良い。