熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場・九月文楽・・・仮名手本忠臣蔵・四段目

2006年09月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   仮名手本忠臣蔵の第一部は、大序の「鶴が岡兜改めの段」から四段目「城明渡しの段」までである、殿中での刃傷から塩谷判官の切腹を含む冒頭の劇的な部分である。

   この歌舞伎では、鎌倉の執権高師直が、塩谷判官の妻・顔世御前に懸想して口説きに口説くのだが靡かず、断りの返事の和歌を夫の塩谷判官から手渡されたのに業を煮やして、塩谷判官を世間を知らぬ鮒侍と罵倒して徹底的に苛め抜く。
   憤懣遣るかたのない塩谷判官が殿中で師直に切りつけて傷を負わせる。切腹を命じられて、城を明け渡す。

   権力者が部下の妻を召し上げようとするよくある話で、何とも締まらない話に摩り替えての忠臣蔵。これに、塩谷判官の随身勘平が殿のお供で登城しながら顔世の腰元のお軽と逢引していて、その最中に殿中刃傷事件が起こり、勘平は恥じて田舎・山崎に隠遁する。色に耽ったばっかりに大事な時に現場を離れた男の悲哀。
   第二部で、重要な役割を演じるこのお軽・勘平の物語も男女の恋が発端となるのだが、歴史的な重要事件もクレオパトラのように男女のラブアフェアが引き金を引くことがあると言うことであろうか。
   クレオパトラの場合も絶世の美女ゆえの歴史展開であるが、中村歌右衛門も、顔世が美しかったからこそ忠臣蔵が成ったのだと何処かで言っていた。
   しかし、いくら庶民の為の浄瑠璃や歌舞伎とはいえ、江戸中期の封建時代に、忠臣蔵でこれだけ生き生きと女の意地と生き様を描けた日本文化も捨てたものではない、と何時も感服している。

   簔助が、第一部と第二部で大星由良助を遣っている。
   元気なら玉男の役割だが、素晴らしい女形の至芸を演じ続ける簔助が、由良助を遣うなど正に期せずして貴重かつ幸せな機会を得たのであるから、目を凝らして観ていた。
   特に、四段目の「塩谷判官切腹の段」での判官切腹の場に遅れて駆け込んでくる登場からの緊迫した場面、その後の「城明渡しの段」でに決意を秘めた激しい激情を表す一人舞台など、日頃観られない簔助の魂の乗り移ったような入魂の人形遣いに圧倒された。
   
   塩谷判官の壮絶な最後。
   「定めて仔細聞いたであろう、聞いたかエ聞いたかエ、無念。口惜しいわやい」
   一歩距離を置いて畏まっていた由良助が、「ハハア、委細承知仕る。」と言って顔をぐっと判官の耳元に近づけて敵討ちの存念を判官最後の魂に叩き込むこの迫力。
   そして、「由良助。この九寸五分は汝への形見。わが鬱憤を晴らせよ」と言って、判官は切っ先にて吭はね切り、血刀投げ出しうつ伏せにどうど転び息絶える。
   和生の遣う判官は、最初から最後まで、実に優しく流れるように美しい。

   「城明渡しの段」、大手門を背にして由良助が、腕組みをして沈思黙考、静かに進み出てくる。
   映画では、城に最後の暇乞いをする重要なシーンであるが、簔助は、提灯の家紋をそぎ落として懐に入れ、下手に方向転換して大股でゆっくり歩く。
   急に立ち止まって憤怒の形相になってあらん限りの力を振り絞って仁王立ち、懐から形見の九寸五分を取り出してあだ討ちの決心に燃える。
   短い殆ど心理劇に近い舞台だが、簔助のハッと言う掛け声で人形が躍り上がる迫力は凄い。
   
   もう一つ興味深かったのは、吉田文吾の休演で、吉田玉也が、高師直を変わりに演じ、本来の斧九太夫と共に二役演じて、灰汁の強い嫌味な悪人を好演した事である。
   日頃、米搗きバッタの様に身体を上下に揺すりながら個性的な人形遣いをしていて印象に残っているが、兎に角、この歌舞伎の発端の種を蒔いた師直の憎憎しさは抜群である。何故か、左團次の師直が二重写しになって迫ってきた。

   九段目「山科閑居の段」で重要な役割を演じる加古川本蔵(玉女)と妻戸無瀬(文雀)と娘小浪(清之助)が、二段目三段目で登場する。
   私は、文雀の遣う老女形の演技が好きで楽しませてもらっているが、ことに、教養豊かで品格のある奥方や良妻賢母などは実に素晴らしく、その後ぶりの優雅な美しさと格調の高さなど秀逸であり、忠臣蔵の戸無瀬など本当に感激して観ている。
   簔助の老女形には、時にはドキッとするようなこぼれるような色気と艶やかさを感じてビックリすることがあるが、文雀は一寸雰囲気が違っていて、あくまでオーソドックスな正当派でそれが私には堪らない魅力である。
   「床本の裏っかわに何が書いてあるか、裏まで読んで役の気持ちになることが大事です。
   歌舞伎や文楽は、歳がいてこんことには芸に深みが出てこない。若い人は役どおりやってるけど、その奥に何かあるんです。」
   こう言う文雀も、「私も78歳になり、膝を悪くしてよう歩けません。玉男さんも出られなくなったし、・・・」と言う。
   心なしか今回も動きがギコチナイのが気になっていたが、出来るだけ長く至芸を見せて頂ける事を祈るのみである。

   最後になったが、「塩谷判官切腹の段」を語った豊竹十九大夫と三味線の豊澤富助の素晴らしい熱演に感激である。
   「通さん場」で客席への出入り禁止の段であるが、十九大夫の張りのある素晴らしい美声と緩急自在に語りかける富助の三味線の音が場内を圧倒して、忠臣蔵第一の見せ場を頂点に盛り上げていた。

   私は、今回は都合で後先前後して観てしまったが、忠臣蔵はやはり通しで観るべきであると思う。
   数年前に、歌舞伎で團十郎が主演した新橋演舞場、その前に松竹100周年記念の時と2回、文楽では、前の国立劇場での公演を観ているが、流石に3大歌舞伎の一つで、素晴らしくよく出来た作品であることがよく分かる。
   
   
   (追記)夜8時45分のNHKニュースで、吉田玉男さんの訃報を聞いた。
    12月の東京は寒いので行かないのだと言っていたが、肺炎で亡くなられたと言う。
    巨星落つ。
    ご冥福を心からお祈り致します。
   
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